意識途切れ逃走
「まさか俺! ココ! とうとう何かやってしまったか?」
ココは泣きながら首をぶんぶんと横に振った。
俺は甚平の下衣を確かめる。下ろした形跡は無い。いや、無かったからポケットのキーホルダーが尻に刺さったんだ。
その時、後ろの茂みから男が出てきた。
「見つけた! お前ーっ! 俺の女をーっ!」
「に、逃げるぞっ」
ココの手を引く。俺は自分が信じられなかった。
そして泣いてばかりで何も教えてくれないココに腹が立っていた。
林を抜けて、夜の街を走りながら、俺まで泣きそうになった。
「ううっ、バンくん、私……わだし……」
めそめそ女を引っ張って、路地裏に入る。
息切れで何も言葉が返せなかった。女に飢えた男の集団が大通りを通り抜けてやっと息が整う。
ココはまだヒックヒックと泣いていた。
「泣くな! 泣いて何か変わるのかよ!?」
……やっちまった!
思ったことが口に出てしまった。最悪のタイミングだ。泣いてる女の子に怒鳴るアホがどこにいる。
「だって私は、私は……わーん!」
わんわん泣くって言葉があるけど、まさにそれだった。初めて聞いたよ。
泣くなって言った自覚と余計に泣かせた責任が押し寄せて訳が分からなかった。
大通りから人の声が近付いてくる。
「泣くな! 逃げるぞ!」
俺は泣きじゃくるココを引きずるようにして路地裏を走った。
車も走ってないような島だから、道は細く、うねうねとしていた。暗がりで余計に先が見えず、家と家の間に入り込んだら、その先は岩肌が俺たちの逃げ場を塞いでいる。
振り向くと男たちがゾンビのようにゆらゆらとにじり寄る。
「ぐへへ、逃げても無駄だ」
見知らぬ男だ。逃げてくる合間にまた一人また一人と情欲ゾンビ化したのだろう。
俺は大きく息を吸って呼吸を整えながら、何とかして逃げる算段を考えた。ココが吸血鬼の力を発揮すればこんな岩もひとっ飛びだろう。だが、今のココには何を言っても通じる気がしない。
「銀炎術……いや、相手は人間だ。せめて原因さえ分かれば……」
そうつぶやきながらココを見やる。
◆
一瞬、また意識が飛びかけた。
いや実際に飛んでいた。
「邪魔だボケェ!」
ドゴッ
左頬をタンクトップのおっさんに殴られた。
俺の周りにゾンビたちがいた。というか俺はゾンビ集団の一部になりかけていた。
「ココッ……いや待てっ!」
振り向きかけて止める。原因なんて分かり切ってる。ココだ。いま振り向いたところでまた意識を持っていかれる。それなら意識を別のところに置いておけばいい。なんて冴えた考えだ。
俺は踵を返してココに飛びかかる。その勢いのまま岩肌に思い切り自分自身の頭を打ち付けた。
ゴチッ
ブチリと鳴って何かがスパーク。音叉のような頭蓋骨で痛みが反響する。
俺の背中に男たちが殴りかかっているのが分かった。必死こいてもこれが俺の限界。守るとか言って、ダッサ……。
「よく守ったわね、バン!」
頭上から声がした。
「エルゼ!?」
屋根の上からエルゼが飛び降りて、カコン! と下駄を鳴らした。
「ここからはわたしが相手よ!」
ビシッと男たちに手に持った短い棒を突き出す。
シュン、ペチ
「……」
それ射的屋でもらった残念賞じゃん。
「ウボァァァ!!」
男たちが咆哮した。
「逃げるわよ」
「え?」
俺が確認する前にエルゼはココを小脇にかかえて跳躍する。置いていかれた俺は慌てて岩肌に手をかけ、屋根の上にのぼった。すぐ下の路地裏に理性を失った亡者たちが屯している。ここをよじ登るという発想も出ないとは本格的にゾンビだ。
「エルゼ様っ、私……」
トタン屋根の上でココがエルゼにすがりつく。エルゼはよしよしと頭を撫で、背中を優しくさすった。ココを抱きとめながらエルゼは俺の顔をまじまじと見ながら、深いため息を吐いた。
「な、何だよ?」
ため息を吐かれる心当たりなど無いのだが。
「あんたの顔、血まみれだから。それ、他の生徒に見られでもしたらどうすんのよ」
「ああっ、ヤバイ。どうしよう」
最悪、俺が人間だとバレてしまう。
あわてて甚平の袖で拭く。
見られてなければ良いんだけどなぁ。
「まあ、そうでもしなきゃダメよね。男は狼なんだから」
「……どういうこと?」
また学園に狼が紛れ込んだってわけじゃないし。
「聞いてないの?」
「何が?」
エルゼの腕の中でココが縮こまる。
そういえば、ココが花火の瞬間に何かを言ってたが、音でよく聞こえなかった。
エルゼがやれやれと肩をすくめると、ココの両肩を掴んで、無理やり目を合わせる。
「ココ! あんたは臆病者よ!」
「お、おい! いきなりどうしたんだよ」
大声を出したエルゼを止めようとする。
「ウボァァ! ヤラセロォ!」
後ろから性欲ゾンビの声がした。
壁をよじ登るどころか、集まったゾンビの背中を後ろのゾンビが踏み台にして、俺たちのいるトタン屋根にいよいよ迫ろうとしているではないか。
「来るな! あっち行け!」
ゲシッゲシッ
足の裏で蹴落とす。
俺の背中でエルゼとココが大事っぽそうな会話をしていて、最後にエルゼの声だけが聞こえた。
「勇気を見せなさい!」
それは良く言えば応援、平たく言えば叱咤だった。
ぜんぜん話が見えない俺はエルゼの突然の剣幕にただただびっくりした。
「でも私、勇気なんて分からないです……」
「わたしが教えてあげるわ。バン!」
「え? ……今度は俺も!?」
エルゼはココを脇に抱えただけでなく、俺まで脇に抱え込む。
そんな小さな体躯のどこに力を隠してんだと思ったその瞬間、民家のトタン屋根がベコッと凹んで、俺たちは空高く跳躍した。しかも、高い。
「おいおい、エルゼ! そんな高く跳んだら霧を抜けちまうぞ!」
「そうよ! 抜けんの、霧を!!」
「ハァ!?」
そして、満月が見えた。
エルゼの手が震えていた。月光は太陽の反射光だ。霧から出るのを避けるエルゼがこれを怖がらないはずがない。
ほんの一瞬が何十秒にも感じた。落下感が全身を覆うと、もうそこは港だった。芝生のある公園に俺たちは転びながら着地する。
エルゼはその場にぺたんと女の子座りになった。
「こ、怖かった~っ」
腰が抜けたって感じだが、言うほど怖がってないように見える。
むしろやりきった顔をしてる。なんだよ、お前、格好よすぎだろ。
「お前、格好よすぎだろ」
「ふぇえ? 耳キーンして分かんないわ」
やべ、また思ったことが口に出た。
「そ、そうか。聞こえてなくて良かった」
本気でエルゼが俺の初恋であってほしいと思ったから。
しばらくしてエルゼが俺を手招きしたので、しゃがんで話を聞く。
「男たちが追ってるのはココ。あんたが絶対に守るのよ、狼たちからね」
港にも男たちがチラホラと徘徊し始めた。
俺はココの手を取る。それが無意識だったことに気づいて、改めてぎゅっと握りしめた。
「エルゼ。あとでまた会おう」
「もちろん。……ココ、次はあんたよ」
俺の陰に隠れるココに声を掛ける。
ココが小さく頷いたのを確認し、俺は学校の方角へ駆け出した。




