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狂ってしまいたい

 境内の裏から顔を出すと、焦臭い匂いがした。霧が掛かって屋台の方は判然としないが、滲む炎の影が見えた。火事だ。

 ディンゴ先生が俺の肩を引き、境内の裏に引き戻した。


「この騒ぎは火事だけが原因じゃ無さそうだ。気を引き締めろ」


 俺は訳も分からず頷いた。

 何が起きてるんだ?

 耳を澄ます。女の悲鳴の合間に男たちの怒号が聞こえる。


「このやろう! 俺のだ!」


「邪魔だ! 俺が俺が!」


「逃すなぁ! あっちに行った!」


 何か逃げていて、それを奪い合っているらしい。

 泥棒でも出たのか?

 ディンゴ先生はハンカチを口元に当てる。


「これは吸血鬼の仕業かもしれない。先生は火元を確かめる」


 判断が早い。突然のことに俺は付いていけてなかった。

 置いてかれたくない。

 早速、境内の裏から出た先生を引き止める。


「あの、俺に出来ることは!?」


「バン君、きみはここにいなさい!」


 そう言って先生は駆けて行った。

 まるで「何もするな」と言われたような気がしてムシャクシャしてくる。


「俺だって何か出来るはずだ……。そうだ、エルゼ!」


 屋台を見に行くと言って別行動していたんだ。

 俺は境内から出て煌々と燃える屋台通りへ走る。

 だが、そこで見つけたのは男たちに押し倒され、浴衣を引き剥がされるココの姿だった。


「バンくん……!」


「ココ!? くそっ、お前ら! 離れろ!!」


 ココと男たちの間に入るようにして男たちを跳ね除ける。

 若い男二人、婦人を連れていたお爺さん、それに射的屋の親父さんもいた。


「あれ、何してたんだおら……。おお、あんちゃん、どうした?」


「射的屋の親父さん、覚えてないのか?」


「いや、頭がぼんやりしてやがる。……あ、この子も……、うう……」


 親父さんはココになまぐさい目つきを向けていた。


「親父さん! ココにそんな目を……」


 俺の前に二つの円錐がしどけなく晒され、浅ましいことに腰がざわつく。

 ああ、ココ!

 下腹部から突き上がる本能の揺らめきに任せてたわわなその量感へ手をのばす。



 ◆



「大丈夫か、バン君!」


 ディンゴ先生の声だ。意識が飛んでいた。すぐ背後にディンゴ先生がいたのも気づかなかった。

 それから俺は自分が今なにをしようとしたのか思い出す。ココを直視できなかった。

 隣で邪心に飲まれた親父さんがよだれを垂らしていた。


「俺もこうなっていたのか……。馬鹿野郎がっ」


 ガンッ!


 俺は額を屋台の柱に打ち付けた。

 じーんと痛みが頭を支配する。それでいい。

 俺とココを囲うように、虚ろな目をした男たちが這い寄る。


「バン君、この場は先生が引き止める! きみはココ君を連れて逃げるんだ」


 俺がココを? 出来るのか、俺に?

 どうしよう、エルゼ。なんでいないんだよ。こんな時、エルゼならなんて言ってくれる?


『これから何をするのか。で、あんたはどうしたいの?』


 頭突きをされた時の言葉が蘇る。

 出来るか出来ないかじゃない。俺がどうしたいのかってことだ。

 そんなの決まってんだろ。


「ココ! 掴まれ、俺がお前を守るから」


 俺はココに手を差し出す。

 今まで何度もココに助けられてきたんだ。

 借りっぱなしじゃ気がすまない。


「バンくん、私っ、私っ」


 でも、ココは子供みたいに泣いていて、過呼吸気味になっていた。

 だからこっちから手を引いて立ち上がらせる。

 先生が男たちを押しのけて、逃げる隙間を作ってくれた。その隙間を二人で駆け抜ける。


「行け! ただ、決してココ君を人だと思うな!!」


「それってどういう――」


 男が「女だ女だ……」とゾンビめいた挙動で襲いくる。

 ディンゴ先生の忠告が喉につっかえたまま、俺はココを連れて神社の脇にある林へ入った。

 林の外から理性を失った男たちの怒号のような雄叫びが聞こえる。でも、暗いから俺たちを探すのに一苦労しているらしい。


「どこだ! その女は俺のだ!」


「いや俺のだ!! 離せっ」


「逃がすな逃がすな! 探せっ、探せーー!!」


 訳がわからないし怖すぎる。

 林の中は暗がりで走るには足元は最悪だ。

 案の定、草履を履いたココが木の根につまづく。


「大丈夫か、ココ? 人が離れるまで少しここで――うっ」


 振り向いたらココの谷間に視線が吸い寄せられる。

 霧で湿った浴衣を剥ぎ取り、突き出した砲弾を握りしめる妄想が脳裏をよぎった。

 いつの間にか俺は赤子のようにむしゃぼりついて――



 ◆



 ガン! バキッ!


 木の幹にこれでもかと額を打ち付けた。

 頭がスッとする。視界が真っ赤だったが、その向こうでココが心配そうに俺を見つめている。


「バンくん、急にどうしたんですか!?」


「ココ! 大丈夫か? 俺が何かしたんじゃ……」


「大丈夫です、大丈夫。それよりバンくんが大丈夫ですか!? 頭から血が滝みたいに」


 ほっ、良かった。あれは妄想だったんだ。でも、確実に言える。意識が飛んだ。吸血鬼は生気を吸う。洗脳、催眠、魅了など様々な方法で。俺の中に芽生えてはいけない淫夢がその証拠だ。

 それに。


「ウアーッ! おかしくなりそうだ!」


 ズボンの股をちぎれんばかりに握りしめる。怒張するそれが今にも炸裂しそうだった。


「ごめんなさい、ごめんなさい。バンくん、逃げてください。間違う前に」


 ココは顔を上げず、ぼろぼろと謝る。

 逃げろ? 逃げろってなんだ。何から逃げる?

 この浴衣の下の蜂腰か? 突き出して科をつくる尻か?


「はは、うまそうだ」


 いっそ狂ってしまいたい。淫らな期待で満たされた体がふらついた。

 頭の中にまで霧が立ち込めてくる。

 耳元で涙まじりの声が聞こえた。


「やだ……、バンくんとこんな風にっ……」



 ◆



 チクッ


 右の尻に刺すような痛みがあった。

 俺はいま良い夢を見てるんだ。邪魔をするな。

 甚平のポケットからそれを取り出す。


「クリスタルのキーホルダー?」


 なんでこんなもの……。

 ぼやけた視界が晴れてくる。

 目の前には着崩れしたココがすすり泣いていた。

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