すれ違いも解決
一時間目が始まって、俺は教科書を忘れていたことに気がつく。
今朝、変な夢を見たせいだ。
俺はしぶしぶ手を挙げて申告する。
「先生、教科書を忘れてしまいました」
この時間の担当はディンゴ先生だ。
彼は面倒臭がりだから怒らない。ただ、貸しを作るとちょっと面倒だ。
「そうか、なら見せてもらえ……って言っても隣いねえのか、仕方ねえな」
俺の両隣は誰も居ない。
ディンゴ先生が前の席の関西さんに声を掛けようとすると、エルゼがガタッと立ち上がった。
「わたしのを見せてあげるわ」
「いやお前の席じゃ遠いだろうが」
ディンゴ先生はエルゼに対しても通常営業を続ける。
「では席替えをするわ」
エルゼもこれで通常営業だ。
「えっ、エルゼ様どうしてですか? やはり私の隣は嫌でしたか……?」
続けてエルゼの隣の席で推し活中のココがへりくだりながら止めに入る。
「バンはわたしの下僕だからわたしが面倒を見る。それだけよ」
「下僕!? 私もエルゼ様の下僕にしてください!!」
「いやよ。あんたはわたしの友達だもの」
「とっ、ともだ!? ……ちにゃ」
ココの意識が飛んだ。
「俺はエルゼの下僕じゃない」
「は? じゃあ誰があんたの面倒を見るのよ!」
教室がざわざわした。
あの天下のエルゼ様が転校生の面倒を見てるってどういうこと? というざわつきだ。
俺もざわついている。エルゼがいつ俺がハンターだと口を滑らせないか心配でならないからだ。
「エルゼ、エルゼ。落ち着いて。下僕は置いといて、教科書は見せてもらうから、な?」
「分かればいいのよ」
エルゼは近くに居た男子生徒をこき使って、机を運ばせた。
そしてぴったりと机を付けて、俺の隣にぽふっと可愛い音を立てて座った。満足そうな顔で俺を眺める。可愛い。
ガタッ
「エルゼ様ァーーッ! って、あれ? もうバンくんの隣に?」
突然ココが覚醒して俺たちをじっくり観察した。
エルゼがニヤッと笑って腕を組む。
「ココもこっち来なさいよ」
「いやそれどういう理屈?」
隣のエルゼにツッコミを入れてる隙にココが答える。
「はい! 今いきます!!」
「いや来なくていいって!」
ガタガタと机を動かしてくる。エルゼの隣に移動しようとして、俺の前で机を置いて止まった。
「バ、バンくん……」
流れで一瞬だけ忘れていたけど、俺とココは絶賛ギスギス中なのだ。
でも関西さん痴漢誤解事件でココは割って入った。
「ココ、今朝は俺を助けようとしてくれた……で良いんだよな? もしそうならありがとう」
机に額が付くほど頭を下げる。
ココのおかげで早とちりせずに済んだ。
「い、いえ。私の方こそ! バンくんを突き放してごめんなさい!」
ゴチン! と自分の額を机にぶつけるほど頭を下げた。
「いいっていいって。頭を上げて」
そこまで謝られるほどのことじゃない。何か理由があるんだとは思う。
「それに、あの時はありがとうございましたっ」
港の公園で暴漢に襲われた時の話だ。
「それもいいからいいから」
ココは頭を上げる。
「で、でも」
その時の顔は俺がココのお礼を断った時のと同じだった。
「分かった、大丈夫だから。どんなお詫びもお礼も受け入れる」
そう言うとココの表情が明るくなった。つられて俺も明るい気分になった。
よし、どんな申し出も受け入れよう。
「それなら私が教科書をお見せしましょうか?」
ココがおずおずと提案したものは何かまずい気配を俺の背後に生み出していた。
「ちょっとココ。わたしがバンに教科書を見せるのよ」
「ああっ、すいません。エルゼ様。……でも、エルゼ様って教科書を持参されていないですよね?」
「えっ、そうなのか?」
俺はエルゼに振り返った。
「ああ。そうだったわね。……教科書」
エルゼはさっき机を運ばせた男子生徒から教科書をカツアゲする。
さすがにこれは見過ごせない。
「いやいや、それは返してきなさい」
「なんでよ。今この瞬間からこれはわたしのものよ」
「ジャイアンかお前は。もういい! 俺はココに見せてもらう」
俺はエルゼに背中を向けた。
「ハァァァァ!? なんでよ!! わたしが見せるって言ったのよ!?」
どういう理屈で俺に教科書を見せようとしたんだ、こいつは。
怒っているけど脅威は無い。本当にキレると手が出るから。
「さあココ、机を付けて教科書を見せてくれ」
「は、はい……。じゃあお言葉に甘えて」
教科書を忘れたのが俺なのに、ココは下手に出ながら机を隣り合わせにし、教科書を見せてくれた。反対側ではエルゼがぶうたれる。
というかいつの間にか授業は進行していた。ディンゴ先生め、無関係を貫いたな。
前の席の関西さんは振り向いて俺に向かって指をずびしっと向ける。
「両手に花やな。たいがいにせえよ」
「ご、ごめん」
怒られてしまったが当然だ。
その後の授業中、俺はまったく集中できなかった。
「あっ、バンくん、ごめんなさい」
教科書をめくろうとする手がぶつかって、互いにもじもじしてしまうし。
「チッ」
良い感じの空気になると背中から舌打ちが聞こえてくるからだ。
それにココに見とれている時も舌打ちされる。
少しは美少女なココを至近距離で眺める時間を許してくれよ。
◆
放課後。
一時間目からずっとエルゼの機嫌がすこぶる悪かったので、俺はエルゼを引き止めた。
他の生徒はいそいそと逃げるように教室から立ち去った。ココはまた先生の手伝いらしく不在だ。
「エルゼ、機嫌を直してくれよ。お前がピリピリしてると教室で誰も話せないからさぁ」
「は? わたし別に怒ってないけど」
「怒ってるじゃん。そうだな、じゃあ、何か一つお願いを聞くから機嫌を直してくれ」
奥の手だ。
父さんと暮らしていた頃、近所の子供たちへの対応と同じだ。
「いま良からぬことを考えてなかったかしら?」
「か、考えてないよ」
「あ、そ」
あぶねえ。考えてはいけないキーワードを考えてしまった。これだけは心を読まれる。
「ほらほら、何でも一つ願いを聞くから言ってみろ」
急かすことで気を紛らす作戦。
そうやってエルゼが漏らした答えはこうだ。
「……お祭り」
祭り。と言えば今週末に神社で行われるアレのことだ。
「ああ~、その日はちょっと先約があってなぁ……」
残念ながらノーニャからの指令がある。さすがにこれは断らざるを得ない。
というかエルゼが祭りに行きたがるなんて思いもよらなかった。
ガタン
「ん? 誰かいるのか?」
教室の扉の音だ。
聞き耳を立てていた人物が姿を表す。
「バンくん……。お祭りに行く先約ってエルゼ様とじゃないんですか?」
ココが教室に入るなり駆け寄って、俺に問い詰めた。
「そ、そうだけど。どういうこと?」
「エルゼ様と行くものだと思ってたんです! だから私、てっきりバンくんとエルゼ様って……」
「俺とエルゼがどうしたんだ?」
「い、いえ! 何でも無いです! そんなことより、誰と行くんですか?」
うっ。
それは答えられない。
逃げるように顔をそらすとエルゼが腕組して仁王立ちしていた。
「で、誰と行くのかしら?」
これがゲームだったら、「がんばる」と「たたかう」の二択しかない。
「……姉の友達」
苦渋の選択の末、嘘にならない範囲で答えた。
エルゼとココは二人でひそひそ話をして、俺を置いて教室を出ていった。
嫌な予感しかしなかった。




