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記憶喪失の男

 今日は平日にも関わらず学校が休みで、俺はココとの待ち合わせのために寮前の広場へ出てきた。

 霧が掛かって時刻は不明だが、スマホの画面には11:30と表示されている。

 待ち合わせ時間の三十分前だ。


「ちょっと早すぎるかもな……。あ」


 広場を挟んで向かいの寮が女子寮だ。

 その階段を降りてくる黒髪の女の子と目が合う。


「あ、バンくん」


 あっちも気づいたみたいだ。

 手を振りながら広場の中心で足を止める。


「おはよう、ココ。早いな」


「あっ、おはようございます! バンくんこそ」


 ココは階段を軽快に降りて、小走りに俺のところへやってきた。

 ふわりと花のような香りがした。

 今日の装いも可愛かった。ていうか可愛すぎる。悶え死にそうだ。


「可愛すぎる。悶え死にそうだ」


「もうバンくん! 口に出てますよ!」


「えっ!?」


 手で口を隠す。どこから口に出したのか分からない。

 俺は用心して黙り込んだが、その沈黙を引き取るようにココが会話を切り出した。


「今日は良い霧日和ですね」


 たしかに空は真っ白だ。そういえば吸血鬼が霧を好むのは日差しを避けるからだけでなく、他の人間に見つかりにくくなるためだとも言う。


「この分なら街の方も霧が深そうだ」


「そうですね。今日は何か買い物があるとか」


 プレゼントのことは伏せてある。サプライズ。その場で言った方が喜んでくれるはずだ。


「ああ。この島にも買い物ができる場所があるんだろ?」


「ありますよ、小さいですけれど。案内しましょうか?」


「ありがとう。頼むよ」


 そうして俺たちは街へ向かう。

 校門を抜け、坂を下り、街の主要道路へ出た。

 道路沿いを歩く。けっこうな距離だ。湖の匂いがして、港に出る。霧はやや薄いが、まだ太陽が見えるほどではない。


「ぜんぜん人がいないな」


「そうですね。私はその方が良いですけど」


「俺も静かで良い。いつもうるさいから」


 頭の中に浮かんだのはノーニャとエルゼだ。

 その点、ココは落ち着いていて、一緒にいると体温が上がってドキドキしてくる。

 力が有り余って走り出したくなるのをいつも我慢してるのだ。


「さて、着きましたよ」


 ココが立ち止まった場所は個人商店の前だった。

 食料品以外の雑貨を扱っているらしい。最初に連想したのはジャイアンの家だ。

 ここにアクセサリーが売ってるとは思えない。


「他にお店は……?」


「ないですよ。ああ、でも食料品のお店もあったかもしれません」


 どうやら本当にお店は無いらしい。

 湖の中にあるとはいえ孤島だもんなぁ。

 まいった。これじゃあココにプレゼントできない。


「ごめん、ココ」


 素直に頭を下げて謝る。ここまで連れてきてもらったのに、何がサプライズだ。


「やめてください、急にどうしたんですか?」


 面を上げてココに事情を説明する。ペンダントが無いこと、それが無いと落ち着かなそうに見えたこと。


「だからココにペンダントの代わりになるようなものをプレゼントしたかったんだ。本当にごめん」


 がっかりしたかな、と思った。

 だけどココはふっと息を吐いて、俺の手を握った。


「ありがとうございます、バンくんっ」


「え、なんで?」


「私はその気持ちが嬉しいです」


 なんて良い子なんだ。

 吸血鬼だから冷たい手なのに、とても温かく感じた。



 ◆



 結局、何も買わなかった俺たちは街を散策する。

 狭い街だ。車が一台も無い。ふたをした側溝が道の真ん中にあるし、道がぐねぐねして迷路のようだ。

 迷路を抜ける。ざぷんと潮騒がした。漁船たちがごんごんと音を立てた。


「ちょっとトイレ」


「……あっ、そうですよね。私はそこのベンチで待ってます」


 ココは漁港の並んだベンチを指さした。ベンチの後ろには何か記念碑がある。

 俺は手刀を切って海に面した小屋の陰へ行き、手早く用を足した。

 気分良くチャックを上げた時、何か物音が聞こえてきた。


「離してくださいっ!!」


 ココの声だ。俺はココの居た場所へ戻った。居ない。記念碑のある高台へ上がると、茂みの向こうで黒っぽい服を着た中年の男がココを押し倒していた。


「おい! お前!!」


 俺はダッシュで男を突き飛ばす。


 ドン!


「ぐぇっ」


 男は情けない声を出して防風林の松に頭をぶつけた。

 服装から漁港の人だと分かる。

 ココは怯えたように自分の体を抱きしめて、茂みに背中を預けていた。


「ココ、大丈夫か?」


「ごめんなさい、ごめんなさい……。私……」


 ガタガタと震えている。一種のパニック状態だ。


「まず落ち着け。ココが謝る必要はない」


 人が誰も居ない場所だからってココを一人にした俺にも責任はあると思う。

 だが、何よりこの男だ。


「いてえ……。おれはなんでこんなところに……?」


「しらばっくれるな。お前はココ……、女の子を押し倒していただろ」


「知らねえよぉ! その子をおれが? どうしてだ?」


「そんなのお前が一番よく知って、……いや」


 様子がおかしい。頭をぶって記憶をなくした? 違う。この症状、まるで吸血鬼に噛まれた人間みたいだ。

 まさか。

 ココに振り向く。


「その人は悪くないんです。ただ、私が……っ!」


「ココ!!」


 ココは駆け出した。

 追いかけようとして、足を止める。

 もし男が噛まれていたなら毒抜きしなければ吸血鬼化するからだ。


「おれ、なにかしちまったのかぁ……?」


 疑問を抱く男を手早く調べる。噛まれた痕跡はない。俺は男を解放した。ココが立ち去った方角、つまり学園のある山を見ながら顎に手を当てて思案する。


 ……記憶喪失の男と吸血鬼にされた時の記憶がない俺。

 ……押し倒されていたのに謝るココ。

 ……『その人は悪くないんです』と『バンくんはなんだか昔馴染みのような気がして放っておけないんです』という言葉。


 点が集まってきた。

 それらを線で繋ぐと見えてくる可能性。


「嘘だろ……。ココが俺を噛んだ標的だなんて」


 ココの真意を探りつつ、事実を明らかにしなければならない。

 なのに俺はおかしくなってしまった。

 ココが標的じゃなければ良いのに、と思っていたからだ。

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