ヒドラ戦、決着
右手はエルゼの手を握ったまま、左手を体の前で上下に振る。
ドス!
「痛ッ!」
左腕に包丁サイズの刃物が刺さった。
歯を食いしばって激痛に耐える。腱や神経は無事だ。
「あらん? アタシの蛇牙を防ぐとは良い勘してるワ~!」
どこかから声がする。でも間違いなくこのオカマ口調はヒドラに違いなかった。
「どこにいる!」
「そう聞かれて出てくるおバカさん、居ると思う?」
全方位から殺気。そしてシャーッという蛇の鳴き声に似た音。
この攻撃からは逃げられない!
「エルゼ」
俺は片手をエルゼから一時も離さなかった。
あいつにエルゼを奪われてたまるかって思ってたから。
「バン?」
無垢な疑問符。そこに疑いなどは無い。
本気を出せばきっと同じ気持ちで俺を見ることはできなくなる。
『その時が来るマデ、力は見せてはイケナイのデスヨ』
だよね、ノーニャ?
「きゃっ!?」
俺はエルゼを突き飛ばした。
「ごめん、エルゼ。ごめん、ノーニャ。今が『その時』なんだ」
「いきなり何するのよ! バン!」
エルゼの抗議を流し、左腕に刺さったダガーナイフを……、一息に抜き取る。くそっ、鋭い痛みが走った。我慢する。腕から血が流れ、剣先まで滴っていく。
「――銀炎術、纏!」
呼吸。全身の細胞に火を熾すイメージが具現化する。俺の左腕に滴る赤い血は、肌の上で揺らめく銀の炎になった。
「バン!? その銀色の炎は……」
エルゼの言葉を遮るように霧の中から蛇が襲いかかる。
シャーッ!
シャーッ!
シャーッ!
「黒蛇九!」
九つの蛇頭が俺に噛み付いた。
えぐるような痛みが全身に走る。反動で飛び上がりそうになる。踏ん張って止める。
体に噛み付いた蛇を左手で捕まえる。左手から燃え盛る銀の炎は、しめ縄のように絡まる蛇に引火する。
「まだだっ!」
大きく息を吸って、さらに燃やせ全身を。やつの体に炎が燃え移るまで。
俺の炎に霧が一気に蒸発した。
下半身を大蛇に変化したヒドラが木の幹に胴体を巻きつけ、両腕を九本の蛇に変化させているのが見えた。
「あっつぅい!? やだもー!! アナタねぇ! その炎、吸血鬼ハンターじゃないのよぉ!! アタシの腕が……」
燃えカスになった腕を引く。
「良かったじゃないか、蛇に足は不要だ」
「アタシの腕は前足じゃないワー!!」
キシャアアア! と怒鳴るなり、そのデカい図体で俺に伸し掛かった。
「ふぐっ」
筋肉が、骨が、悲鳴を上げる。絶好調だ。アドレナリンドバドバだ。もう痛くなんか無い。
ぬめぬめとした蛇皮に指を食い込ませて、俺は再び息を吸って腹の奥に鉄球を思い浮かべた。デカくて重たい鉄球だ。そいつが俺の軸になって回転しだす。足の裏から炎の渦が生まれるイメージだ。
「はぁ!? アナタ、アタシをどうするつもりぃ!?」
意識が現実に戻った時、俺はヒドラを両腕で締め上げ、炎を巻き上げながら回転していた。
「こうするんだよォ!」
そしてそのまま遠投する。
霧を抜け、森の端へ。地面を転がり、崖を落ちていく。
ザバン!
俺は崖に駆け寄る。途中、足がもつれる。思った以上に血が抜けている。あっ、痛い。興奮が引いて痛みがぶり返してきた。
這うようにして崖から顔を出すと、湖面に体の半分以上を浸けたヒドラの姿が見えた。
「ヤダもう! 日が出てるじゃないッ!?」
ここまで来ると日光が熱い。
ヒドラの体は水に沈みながら炎を上げて灰化していく。
「やったか……」
巨体が灰になるのは時間がかかった。エルゼに報告しようと森の方へ振り向く。なんとか立ち上がれたが、がくんと足腰の力が抜ける。出血のせいか? さらに左腕の感覚が……、違う。意識が侵食されている。
『仕方ない、アンタのカラダを貰うワよ』
頭の中でそんな言葉が聞こえた。
左腕からドス黒い血が流れる。そうだ。ダガーナイフを左腕で受け止めて、それで……。
「バン!」
目の前から声がした。
エルゼ? 大丈夫なのか? 霧の薄い場所に出て。さっきまで怖がってたじゃないか。
その言葉が出なかった。まずいぞ。全身の感覚が一瞬で刈り取られていく。
『抵抗しても無・駄。アタシは吸血鬼ハンターを乗っ取ったこともあるワァ』
耳元で囁かれているようで気持ち悪い。
ああ、やばい。もうダメだ。
どうする。エルゼ……。
「バン!!」
かろうじて動く首で後ろを見る。
坂でつまづきながら必死の形相のエルゼが転がり落ちてきた。
そして、その勢いで俺を……。
ゴチン
殴った。
「は?」
『ああん?』
俺とヒドラがハモる。意識が同化してる。
『そうよぉ、アナタはア・タ・シ』
違う! 俺は!
……俺は?
頭上に青空。天に燦々と太陽が輝く。
俺は太陽に右手を伸ばした。
パシッ
右手を握った感覚だけがある。でも間違いなくエルゼの手だ。さっきまで握っていた感触がする。
『んもう! 離しなさい! 消滅したくなければ!!』
消滅するのはお前だけだよ。
『はあ? 意味不明……って、アナタもしかして……』
アタシごと殺す?
馬鹿だワ、アナタ。
「アタシ、いや、俺は半吸血鬼なんだよォーーーー!!」
『嘘だワ!! そんなの……! じゃあ、この光で消滅するのは……』
「お前だけだ!」
俺は半分人間だから、日光で消滅しない。
吸血鬼のように超回復も異能力も持たないけれど、人間として当たり前に生きて、死ねる!
『アアアアア!!!! アタシは、アタシは……』
断末魔が聞こえた。
同時に走馬灯のようなものが見えた。
「ヒドラ……。お前は他人が羨ましかったのか」
自分が嫌いだった。女で背が高くて、男の服を着るしかなかった。男だとかオカマだとか言われた。その度に頭を打ち付け、背を減らそうとした。親には他の姉たちと比べられて出来損ないと言われた。仕事も男のものだった。いっそ足を切断しようとしたその時に美しい人と出会った。彼は男か女か分からないんだけど、美しかった。そして彼に殺された。彼は吸血鬼になればなりたいものになれると言った。
「……でも、お前がなりたかったのは他人じゃない。自分を大事できる自分なんだよな」
『そうだワ。アタシはアタシ自身を好きになりたかった……』
「なら、心の思うがままに生きろ」
『生きろ、か。面白いことを言うワァ……。でもありが……とう……』
俺の中でヒドラが死んだ。人として死んだんだと思った。だから俺は黙祷を捧げた。
しばらくの沈黙の後、頭上から声がする。




