頭突きと涙と覚悟
俺たちは廊下の突き当りに来て、ちょうど事件のあった階段に来た。
エルゼは目をこすっている。目尻が赤くなっていた。
もう特例血等Aなんて関係ない。いくら吸血鬼でも泣いてる女の子は放っておけないだろ。
「ハンカチいるか?」
「は? 泣いてないから。でも、さっきは取り乱して悪かったわね。あんたの顔を見たら、昨日の自分を許せなくなったの」
強がりめ。
だから、エルゼのおかげで俺は冷静さを取り戻すことができた、とは言えない。
俺はエルゼが落ち着くのを待って、彼女の顔を覗き込む。
真紅の瞳は奥で炎が揺らめいているようだった。
「話があるんだろ、エルゼ」
「ええ。ただ、その前に先にわたしの目的を話しておく」
「わかった。で、目的って?」
「獣を殺す」
ぞくり。
これは殺気だ。からっ風に吹かれたように鳥肌が立つ。
ココの惨状を俺は見ていない。もしその場に俺も居合わせていたならそう思っただろう。
「目的は了解した。で、話ってなんだ?」
「どうして屋上行きの階段で襲われたのかディンゴに聞いたでしょう?」
「ああ。知っているのか?」
「いいえ。推測よ。でも聞く覚悟があるなら話す」
その推測を聞いたら後には引けないということなのだろう。
「わかった」
エルゼは階段を上る。
上は三階、そして屋上だ。
二階と三階の間にある踊り場で足を止める。
「昨日、ここで獣が出たの」
「ここで? どんな獣だったんだ?」
エルゼが首を振った。見てないようだ。代わりに彼女は床を指差す。
俺は足を止めて床を確かめた。タイルに細かい引っかき傷がある。
「わたしたちは教室で話し合いをしてたのよ。その時、変な声が聞こえてココが様子を見に行った」
「それでココが襲われた、と」
「ええ。わたしが駆けつけた時にはココは倒れていたわ。屋上行きのこの階段で。下の階に逃げても良かったし、教室に逃げても良かった。でも、彼女は上の階に逃げた。なぜか分かる?」
教室に、ところでエルゼが拳を握りしめた。
たぶん返り討ちにするつもりだったのだろう。
「さっぱり」
「ここからはわたしの推測。ココが上の階に逃げた理由は屋上へ出るつもりだったんじゃないかしら?」
「屋上……はっ!」
俺はポケットに手を突っ込んで、それを取り出した。
屋上への鍵。ココから受け取っていたのだ。
じゃ、じゃあまさか、ココが屋上への階段で襲われたのって……。
「やっぱり。あんたが屋上の鍵を持ってたんだ」
「そんな……。俺が鍵を受け取っていなければ、いや、ココに助けを借りなければ……」
どこで間違ったんだ?
ココが逃げられなかったきっかけを俺が作ってしまった。
間違いない。俺のせいだ。くそ!
エルゼはやれやれと肩をすくめた。
「バン、落ち込んでどうするの?」
何を言っているんだ?
その言葉の真意を汲み取れなかった。
「落ち込んでどうするって……。ココが襲われたんだぞ! 俺のせいで……」
思わず声を荒げる。
エルゼは俺の制服のネクタイを掴んで、思い切り引っ張った。
「バン!」
「痛ッ」
ゴチンと額がぶつかる。
「しっかりしなさい。あんたも泣くつもりなの?」
目の前のエルゼの目元は赤くなったままだ。
俺は数分前のエルゼと同じなんだ。事実に打ちのめされて正気を失って、現実を受け止められなくなるところだった。
「泣くつもりは、無いよ」
ふっ、とエルゼが笑みをこぼして離れた。
俺はネクタイを締め直す。背筋がピンとして、視界がクリアに見えた。
「だから最初に聞いたじゃない。覚悟はあるかって」
「覚悟って……。ショックを受ける覚悟ってことじゃないのか?」
充分に覚悟していたつもりだった。
言い訳をするつもりはない。
「違う。あんたはこの話を聞いた。だから決断の時なのよ。これから何をするのか。で、あんたはどうしたいの?」
そうか。そういうことか。
エルゼは話をする前に自分の目的を宣言した。
「『獣を殺す』、だな」
俺とエルゼの目的は一緒だ。
その理由は分からない。でも獣を放っておくべきじゃないのだけは確かだ。
やらねばならない時が来た。




