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一番美味い食料

 木曜日。四時間目の終わりに、昼飯をどこで摂るかを考える。

 前方を窺うとエルゼはココの隣の席で爆睡していた。

 これがチャンスだ。終業のベルが鳴る。


「よし」


 立ち上がった勢いそのままに教室を出る。

 一番うしろの席だから誰よりも早く教室を出ることができた。


「ねえ、そんなに慌ててどこへ行くのかしら?」


 俺の隣にエルゼが居た。


「……は? さっきまで居眠りしてただろ」


「ふぁ~あ。そうだったかしら」


「あくびしてるのが証拠だろ」


 あくびをした口を手で隠しながら窓の外をにらみつける。


「ところでどうして昼間に授業なのかしら。夜やりなさいよ、吸血鬼なのだから」


 霧で濾過された弱い日光。この程度で吸血鬼は死んだりしない。

 俺は速歩きしながら答える。


「人間社会に紛れるためだそうだ。霧宮島でも街の方は普通に人が住んでる」


「ああ、そう。で、バンはどこへ行くの?」


 俺は歩みを早める。

 誰も居ない一年二組を過ぎる。


「ちょっとこっちに用事があるんだ」


「へえ奇遇。わたしもそうなの」


 俺はさらに歩みを早める。

 誰も居ない四組を過ぎる。


「絶対にバレる嘘を吐くなよ」


「証明できないでしょう? 嘘も隠し事も」


 俺は歩みを止める。

 誰も居ない七組の前で停まる。そこは廊下の端だった。


「教室に忘れ物をしたから俺は戻るよ」


 俺は踵を返す。こんなに長い廊下だが、一年一組しかない。

 ぺたぺたとした上履きの音の後ろをコツコツとしたストラップシューズの音が付いてくる。

 抗議しようと振り向いた。腕を組んだエルゼが足を止めた。


「あら、わたしもちょうど忘れ物を思い出したの」


 気になったことにはとことん神経質になり、嘘を平然と吐く。

 どれも吸血鬼らしい特徴だ。


「エルゼって天邪鬼って言われないか?」


「いいえ。吸血鬼よ」


 エルゼはそう言って俺の隣に立った。


「やれやれ」


 俺は肩をすくめ教室へ戻ることにした。



 ◆



 教室の席に戻った俺は一つ前の席の関西さんに話しかけられた。

 馬にまたがるように椅子に座って人差し指を立てる。


「バンさん、知っとるか? 血の匂いがするって噂」


「血? 知らないな」


「これがなんと人の血だって噂や! あかん、考えただけで乾きを思い出してまう」


 乾き。吸血鬼が人の血を吸う理由だ。

 吸血鬼になった瞬間から乾きに悩まされるという。


「へえ、でもどうして人の血の匂いがするんだろう?」


「うちが思うにな、誰かが人を連れ込んでるんやないかと思う」


「でも人から直に血を吸うのは禁じられているだろ?」


「せやで。吸血鬼ハンターに狙われるからなぁ。バンさんも気い付けや」


 屈託のない笑みを浮かべる彼女は俺がその吸血鬼ハンターだとは知らない。

 俺は一抹の寂しさを覚えながらうなずく。


「そうするよ」


 関西さんは普通に良い人だ。

 吸血鬼じゃなかったら友達になれただろう。


「あっちで呼ばれてるみたいや。ほな」


 関西さんは立ち去った。残った俺は机に突っ伏す。

 このままだとエルゼだけでなく他の生徒にも俺が人間だとバレてしまう。

 そうなれば死だ。


「バンくん、大丈夫ですか?」


 頭上から声がする。

 頭を上げるとココが心配そうに見下ろしていた。


「ああ。単にエネルギー切れだ」


「でもこんど鳴ったら私はかばいきれませんよ」


 ココはエルゼが座る机の隣に目配せする。

 エルゼはじっとこっちを見つめたまま、頬杖を付いている。


「実は俺もそう思う」


「なら」


 ココが俺の手を取った。


「なら?」


「良い場所を知っています」


 俺はその手を握り返した。柔らかい。だが、魚のように冷たかった。

 ココに連れられて教室を出る。エルゼがゆっくりと後ろを付いてくるのが分かった。

 俺は振り向かずに言う。


「エルゼが俺を追いかけてくる」


「そうですね。これからもずっとこうだと思います、疑いが晴れるまで」


「ずっと昼飯抜きはキツいな」


「でしょうね。だからその廊下の角を曲がったら走ります」


「え?」


 理由を問う前に廊下の端にたどり着いた。もちろん一年一組側の。


「行きますよ!」


「うわっ」


 ギュン!

 十五段ほどの階段をひとっ跳びした。踊り場でターンを決める。

 ドン! と誰かに肩がぶつかった。


「ってえな! 僕にぶつかって謝らんとは!」


 ドラクだった。あまり教室に居ないと思ったらこんなところに。

 だが、そんなことお構いなしにさらに跳ぶ。

 これがココの身体能力。俺はあまりの勢いに肩が外れ掛ける激痛に耐え、気がついたら階段の行き止まりに居た。


「ここは?」


「屋上への扉です。でも、ここから先はお一人で」


「どうして?」


 ココは扉に鍵を差し込む。


「行けば分かります。あ、この鍵のことはみんなには秘密にしておいてください。私、優等生なので」


 その優等生って言葉が二重の意味に取れると思いながら、俺は階段の下を振り返る。

 コツコツとかかと鳴らす音が聞こえてきた。


「まずい、来たぞ」


「大丈夫です。私が止めます。さ、開きましたよ」


 ガチン。

 鍵の外れる音がした。

 ココが俺と入れ替わりに階段の下へ向く。


「わかった。ありがとう」


 ココに促されるまま屋上へ出た。かぁっと全身が熱くなった。陽の光だ。太陽が雲間から顔を見せていた。体じゅうの力が抜ける。半吸血鬼だから日光では死なない。でも、日光で弱体化する。それでも久々の日差し。心が洗われる。

 背中から扉ごしに声がする。


「エルゼ様は行ったみたいです。私はここにいますので」


「ああ。急いで食べておこう。……いただきます」


 パン! と両手を合わせ、食う。たった三口だった。

 機関支給の固形食料には変わらないのに、今までで一番美味かった。

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