血の匂い
「エルゼ、話があるんだけど」
「奇遇ね。わたしもあんたに話があるの」
彼女はキョトンとした顔をした。
一方の俺はなんとなく予想していたことだ。
教会に来た時、『ちょうど良いところに来てくれた』って言ってたのはそういうことなんだろう。
「なら教室に来れば良いじゃないか。今の所、俺は初日さえ除けば無遅刻無欠席だぜ!」
吸血鬼の学校とはいえ学園生活は憧れだったからな。
任務遂行まで楽しんでやる所存だ。
「教室は嫌いなのよ」
ぷいっ。
知らんぷりするな、こっちを見ろ。
「不登校少女め」
「うるさい。あんたが銀の首輪をしてなければ、今ごろ首を切り落としてたわ」
キッと鋭い視線をぶつけてくる。
だんだん分かってきたぞ、エルゼの扱い方が。
「お~、こわ。でもディンゴ先生の頼みというか命令でな。嫌でも連れてく」
ココのペンダントを教室で渡したら、私物持ち込みの罰として今こんなことになっている。
まあ、今後ココがペンダントを身に着けるのを黙認してもらうための貸しと言って良い。
「わたしあの先生も嫌い」
「わがままだなぁもう」
「わたし五歳の時から吸血鬼だもの。学校なんて知らない」
「まさかの幼卒かよ」
「は? わたし、足し算もできるわ」
「二たす三は?」
エルゼは片手の指を一本ずつ曲げて、小声で「いちにーさん」と数えている。幼稚園児か?
「五」
「正解。じゃあ、五たす十二は?」
「ちょっと! 指が足りないじゃない」
じろりと睨まれた。足し算できない子に睨まれてもぜんぜん怖くない。
というか。
「はぁ~……。マジで幼稚園児レベルなのかぁ」
「はぁ!? 誰が幼稚園児レベルの子供ですって~!?」
指の数をゼロにした拳を俺に向ける。
しかもまた瞳孔が血のごとく赤くなった。
「ちがう! そういう意味で言ったんじゃないし、そこまで言ってない!!」
クソ、この程度でキレるのかよ!
もうやだ、誰か危険物取扱の免許持ってる奴いない?
エルゼは深呼吸をして、目を伏せる。瞳の赤が引いていく。
「何見てんのよ。あんたもこの目が不気味なんでしょ? それとも真祖の証とでも思ってる?」
わざとらしく片目を閉じて、俺に静かな眼差しを向ける。
せっかくキレイな目なのに急に何を言い出すんだコイツは。
「いや? 宝石みたいだと思うぞ」
「でしょ……、って、はぁ!?」
目を見開いて、俺を二度見した。
体のことを言うのは失礼だったかもしれない。
「すまん。これは俺が悪かった」
即座に頭を下げる。殴られるかも。
「べ、別に悪くないわよ」
「え?」
思わず頭を上げる。聞き間違いか?
今度は頬を赤くしたエルゼがいた。
「なにジロジロ見てんのよ!」
「ごめん」
今度は怒られた。まったく、おかしな奴だな。
エルゼは長い溜息を吐き、コツコツと靴音を鳴らしながら教会の出口へ向かう。
出口の前で首だけで振り向いた。
「何してんの。学校、連れて行くんでしょ?」
「いやそうだが、いきなりどうしたんだ?」
「別に。でもあんたが無遅刻無欠席するほどなんでしょ?」
なるほど。
少しは学校に興味を持ってくれたんだな。
俺はエルゼの元に駆け寄る。
「ああ! 今まで訳あって学校に通えてなかったからなぁ」
「ふーん。あんたもなんだ」
エルゼは得心したように顎を上げた。
こいつの事情は知らない。
俺は吸血鬼化して機関に拾われたから、学園生活が出来なかった。
「そうだぞ。それに吸血鬼はみんなワケアリじゃないか」
俺は一足先に教会の敷居を跨いで、エルゼの方へ振り向いた。
「確かにそうかもしれないわね。そんなワケアリでも学校は楽しいのかしら?」
ううむ、少し答えに困る質問だな。
漫画で憧れてきた学園生活を送れることは確かに楽しい。
だから手放しに『楽しい』と言えたら良いんだが、思ってたより現実は現実的だった。
「正直言うと最初は無視されてて辛かった。でも最近は教室に馴染めてきて楽しくなってきたところだ」
エルゼはフッと小さく笑って、やれやれと肩をすくめた。
「あんた、やっぱり変人よ」
「せっかくなら天才だと言ってくれ」
「何言ってんの。馬鹿」
そう言ってエルゼは教会を出た。
最後の『馬鹿』の言い方がくすぐったくて、俺は頭が真っ白になってしまい、寮までの道をほとんど喋れずに黙々と歩く。
◆
寮の前はランプ灯が点いていた。振り向いたエルゼをぼんやりと照らす。
「送ってくれてありがと」
女子寮と男子寮は広場を挟んで隣同士だ。図らずも送った形となる。
それにしてもぜんぜん喋れなかったな……。
変に意識してしまって調子が狂った。
「ああ。じゃあまた明日」
「ん? 明日は日曜で学校は休みじゃないかしら?」
「あっ、そうだっけ」
「ええ」
「……」
本当に調子が狂ったな。
重たい沈黙が流れる。たぶん俺の中だけで重たい沈黙だが。
「じゃあわたしは戻るわね。おやす」
「ま、待ってくれ!」
とっさにエルゼの手を握って引き止める。
色々と話すつもりだったんだ。ノーニャくらい関係を深めて好きかどうか明らかにするつもりだったんだ。でも、出来なかった。俺はたぶん恋愛スキルがとんでもなく低い。漫画でしか知らないから当然だ。そもそも俺を噛んだ相手かどうか、恋愛かどうかで確かめるという方法が無理だったのかもしれない。……くそ、何か、何か無いか! 会話の糸口!
「何かしら? そんな深刻そうな顔をして」
彼女はキョトンとした顔をした。
一方、俺はその顔を見るのは今日で二度目だった。
「あっ、そうだ。俺に話があるんじゃないのか?」
「ええ、そうだったわね。でも今はそんなことどうでも良くなったの」
エルゼが体を引いたので、握っていた手が離れた。
「なんだ。気になるじゃないか。教えてくれよ」
「そんなに知りたいのかしら?」
「ああ」
何でもいい。接点が欲しかった。
そう思っていたら今度はエルゼが俺の手を握り、グッと引っ張ってくる。
意表を突かれ、エルゼの目線までかがむ形になった。
「じっとしてなさいよ」
エルゼが俺に顔を近づけて――
「え?」
耳元でささやいた。
「あんたから血の匂いがするのよ」




