ライフルと宝剣
鉄腕=アンナ・マイヤーは、自慢の右腕を地面に叩きつけて、その反動で天高く舞い上がった。
眼下には、環状に広がるメインストリート。歪曲したビルボードには、白人の女優がニッコリと笑っている。
巨人は、その隣にいた。巨大な看板に映る女優とまったく同じぐらいのサイズの、鋼鉄の塊。首なしの巨人には、ちょうど女優の顔が当てはまって見えた。
「観念しな!」
空中でぐるんと一回転。鉄腕は姿勢を正すと、そのままフォグの脳天に急転直下。強烈なキックを喰らわせる。
だが、ダメージを喰らったのはフォグではなく、鉄腕のほうだった。
「ッってぇ! クソ、骨折したらどうすんだ。個人事業主にはちゃんと労災おりんのか?」
平べったい頭部。その頂点に設けられた真紅の単眼が、ギョロリと動いた。焦点を合わせるようにして、レンズ絞りが鉄腕へと導かれていく。舐めるような目つき。敵か否か、選別するような。復讐相手を確かめるような目つきだった。まるで人間のような……。
「はっ。アタシはコミックに出てくるロボットは好きさ。人が乗ってるやつはなおさら。ヒーローの証だからな。でもな、無人ってのは、ちょっと悪役っぽいよな。そうだろ? モノアイとなったらなおさらさ。違うか?」
拳を振りかぶる。鈍く輝く鋼鉄の右腕。いま、それはガスっぽいラリュングの陽に照らされ、妖しく輝いた。
「だったら、ぶっ壊す理由はそれ以上必要ないな!」
*
自宅ガレージにクルマを停めると、わたしは大慌てでリビングへ向かった。
事務所兼応接間が一階で、二階はわたしとニナの居住スペースだ。ベッドルームが二つと、バスルーム。それからキッチンカウンターと、リビングがある。そしていま、ニナとクリスはリビングにいた。
二人はバルコニーから見える景色に釘付けだった。カーテンの開け放たれた向こうには、いつもならピルグリム・サーカスの美しい街並みが広がっている。だけどこのとき見えていたのは、ガスっぽい空気と、その奥に見える巨影。そして閃光だった。金属と金属がぶつかり合う激しいノイズと、そして空間を切り裂くような突風がここまで飛び込んでくる。閃光がはしるたび、バルコニーの窓がグツグツと揺れていた。
――あの女、本当にフォグと生身で……!
信じられない。そう思ったが、それが現実だ。今は彼女に任せておくほうが賢明だろう。
「アンナは?」
わたしに気づいたのか、クリスが振り向いて言った。
「見えてるでしょ。あの巨人とやりあってる……。彼女、何者なの? フォグと生身で戦うって、本気なの?」
「本気だと思うよ。だってアンナは、オールドハイトのスーパースター。前だって、バカでかい怪物をブチのめしてた」
「それ、本当……?」
思わず開いた口がふさがらなくなった。でも、彼女が強いことに違いはない。
ならば、いまわたしがすべきことは、アンナを信じてクリスを守ることだろう。それに、わたしもピルグリム・サーカスで霧の女皇を呼び出したくはない。こんな市街地で対フォグ戦闘は勘弁願いたかった。
「わかった。とりあえずフォグは、彼女と軍警察に任せるわ。だからクリス、わたしはあなたを護衛する。いいわね?」
「いいけど、どこかに逃げるの?」
「いいえ。でも安心して。ここがラリュングで一番安全なはずだから」
そう言ってから、わたしは左手に着けた腕時計を口元へ近づけた。そして小さくささやく。「防衛モードへ移行」と。
すると次の瞬間、先ほどまでピルグリム・サーカスを映していた窓に、鋼鉄製のシャッターがかかりはじめた。それはこの事務所全体を覆い隠し、銃撃から守る。事務所を要塞へと変貌させていく。
「すごいクールじゃん。秘密基地みたいだ。ミス・ウェザフィールド、あなたいったい何者なの……?」
「しがない道楽探偵よ。地下にシェルターがある。そこなら、万が一事務所をフォグに踏みつぶされても安心よ。さあ、ついてきて」
わたしはニナとクリスを連れ、地下室へ。念のためエレベーターではなく、階段を使った。それに地下室には、クリスに見せてはならないものもある。わたしのフォグ――ミストレス。その秘密は、わたしとニナしか知らないし、知らせるつもりもない。だから、格納庫に立ち入らせたくなかった。
そうしてシェルターまでたどり着いたが、しかしそれでもクリスは落ち着かないようすだった。
「あったかいココアでも用意しますか? 地下のパントリーになら何かあるけど……」
気を利かせてニナが問うたが、しかしクリスは首を横に振った。
「いらない。それよりミス・ウェザフィールド、一つ気がかりなことがあるんだ」
「気がかりなことって?」
わたしは子供に相対するときのように、穏やかな口調で言った。だが、クリスはわたしにそのような応対を求めていないようだった。彼女はわたしに一人の人間として、いや一人の探偵、ヘイズル・ウェザフィールドとしての振る舞いを求めているようだった。
「あのとき――おそらく首なしの巨人が僕を狙って現れたとき。あの首なしに加えて、もう一機フォグが現れた……。覚えてる? 赤い霧が立ちこめたかと思えば、次の瞬間、巨大な左腕を持ったフォグが現れたよね。あいつはなんなの? もしかしたら、あいつもコールソンの作ったフォグかもしれない」
「それは違うわ」わたしはポーカーフェイスで言った。「あのフォグは、コールソンの機体を殴ろうとしていた。違う? それにね、あれは『赤錆色の霧』と言って、この街にはよく現れるフォグなの。そいつはほかのフォグを破壊しては、街も一緒に破壊していく。そういう迷惑なやつなのよ」
「それってつまり、街の守り人?」
「さてね。でも赤錆色の霧を快く思っている人もいるし、そうでない人もいる。わかるでしょ?」
「うん。わかるよ。でもね……」
クリスはまた押し黙り、それからしばらく唇だけモゴモゴと動かした。言葉を発する練習のように。それからまたしばらくして、彼女は意を決したようすで言ったのだ。
「もう一度聞くよ。ミス・ウェザフィールド。あなたは何者? このすっごい事務所や、それに大英図書館ばりのハイテク・ライブラリ。警察の捜査資料にだってアクセスできる。しかもそのアクセス権限は、ハッキングという形式ではなくて、『上位権限を持つ者』だった。しがない道楽探偵が、なんでそんなことを? ねえ、ミス・ウェザフィールド。僕たちに何か隠してる。違う?」
そのとき、彼女の目は疑いに満ち、そしてわたしの左腕ーーレザーグローブの下を見透かさんとしていた。わたしの左腕。鋼鉄の義手。宝冠の刻まれた、ミストレスとの契約証に。
――なるほど。腕っぷしの強い鉄腕女と、頭のキレる少女。いいコンビだ。
わたしは妙に納得した。
そしてその刹那、そんな得心を打ち消すような衝撃がはしった。ズンッ……! 地下シェルターに響く、地鳴りのような震動。だが、もちろん地震などではない。
「いまの、まさかアンナがフォグをブチのめした音かしら?」
わたしは意地悪く言って、それから左腕の腕時計に目を落とした。文字盤に表示されるのは、監視カメラが捉えた外の様子だ。そこにはクルマを踏みつぶし、巨大な拳を地面へと突き立てたフォグの姿があった。霧のせいでよく見えないが、これはあまりいい状況ではないだろう。やはり生身でフォグと戦うなど、不可能だったのだ。
――仕方ない。彼女たちにも共犯者になってもらうしかないか。
心のなかで自嘲気味に笑む。嗤うのは、もちろん自分宛だ。なんとなく、こうなる気がしていた。
「わかったわ。クリス、行きましょう」
「行くって? どこに?」
「あなたのハニィを助けに」
左腕、覆い隠していたレザーグローブを抜き払う。白日の下にさらされたのは、我が白銀の左腕。アンナの鉄腕が実戦に即した無骨なライフル銃なら、わたしの鉄腕は、高貴なる霧の女皇の為に作られた宝剣のようなものだ。装飾過多な刻印は、戦うためのものではない。
「わたしの秘密、知りたいんでしょ?」




