プレイバック
ガレージからクルマを出すと、とりあえずピルグリム・サーカスを出た。
しかし、「先回りする」と言って飛び出したわたしたちだったが、あいにく見事に渋滞にハマっていた。大した渋滞ではないが、しかしそれでもさっきから進んでは止まり、進んでは止まりを繰り返している。これはでは先回りどころではなかった。
カーステレオからは交通情報が流れていた。小鳥のさえずりのような顔をしたアナウンサーが、ハイウェイの渋滞状況を知らせている。さきほどのフォグ騒ぎのせいで、イーストサイドに行く道が詰まっているらしい。おかげで街の中心地たるピルグリム・サーカス付近も混み合っているとのこと。いまの渋滞の原因はそれだった。
――まあ。先回りと言っても、とりあえず情報がやってくるのを待つしかないけれど……。
ぼんやりとそう思いながら、FMに耳を傾ける。しかし次の瞬間、周波数が乱れ始めた。まだピルグリム局の周波数帯にいるはずだが……。
と、やおら目線を下げると、そこにはカーステレオをいじくるアンナがいた。
「渋滞情報なんてどうでもいいんだよ。もっとゴキゲンな音楽を流してくれる放送局はないのか?」
右へ、左へ、チューナーを行ったりきたり。先ほどからずっとノイズが鳴り響いている。
「この街でFM放送をしているのは、ラリュングFMだけよ」とわたし。「前世紀には、もっといろんな放送局があったらしいけれど。あとは海賊局しかないわ」
「海賊でも結構。ハードロックにヘヴィメタルは?」
「それはわたしの趣味じゃない」
「ツラ構えのとおりクラシックが好きか?」
「わたしの趣味は、クラシック・ロックよ」
わたしがそう言いつけると、同時に着信が入った。ニナから。いや、正確には、ニナを介して、クリスからだった。
*
ヘイズルとアンナが出て行ってから、クリスは黙々と本をあさり続けた。吸い付くように。とりつかれたように。
せっかくニナが用意したホットチョコレートも、彼女は気にせず読み続けた。おかげでニナは、代わりのものを用意しようかどうか、ずっと考えて奥に控えていたぐらいだ。
やがてクリスが手を止めたのは、ホットチョコレートが完全に冷め切って、ただのチョコレートドリンクになったころだった。
「……やばい」
まず第一声。クリスが発したのは、その一言だった。
ニナは、キッチンに新しい飲み物を用意しに行こうとしていたが、その手を止めた。代わりに彼女に問うた。
「えっと……なにがどう『やばい』んですか?」
でも、クリスはその質問にすら答えている余裕がないようだった。冷めたチョコレートドリンクを一気に飲み干して、ぷはーっと一息つく。しかし、それでもクリスは落ち着かない。
仕方なく、彼女は矢継ぎ早に、焦ったようすで口を開いた。
「わかったんだ。わかったんだよ……」
「わかったって、何がですか?」
「つぎだよ。そう、次に襲われる人」
そう言ってから、クリスはゆっくりと首だけ動かして、ニナを見た。そのときの彼女の瞳は、凍り付いたようなアイスブルー。完全に固まって、おびえているみたいだ。
クリスは、言葉を紡ぐ練習のようにモゴモゴと唇だけ動かすと、それからしてようやく《《それ》》口にした。
「……僕だ。次に狙われるのは、僕。クリスだ……」
*
わたしのクルマには、シフトレバーとエアコンの操作パネルの間に、車載映話装置を搭載している。いまそこにはクリスとニナの顔が映されていたが、わたしには半分も見えなかった。というのも、アンナが座席の前に飛び出していたからだ。
「ああン!? なんだってぇ? 次に狙われるのはクリス、おまえだって!?」
興奮気味に叫ぶアンナには、きっとわたしの姿など見えていないのだろう。映話画面に釘付けだ。
「アンナ、シフトレバーが動かせない。どいて」
「おっと、わるい。……って、それどころじゃない! クリス、そりゃいったいどういうことだ? 説明しろ」
〈うん。順を追って説明するけど……〉
自らを落ち着けるように、クリスはまず深呼吸。それからまだ暖かいホットショコレートを口にした。
〈失踪した人々は、どれもフレドリック・コールソンの『異空間の生成と接続に関する仮説』という論文に引用されていた。そこまではいいよね?〉
確認するように問うクリスに、アンナは深くうなずく。
〈それでだけど。ミス・ウェザフィールドの図書室で、片っ端からその引用された文献を読んだんだ。見つけられた範囲で、だけど。で、そのなかでも、特に被害者たちと同姓同名の著者の論文を重点的に読んだんだ。それでだけど、そのなかでは――〉
「いいから要点だけ言ってくれ。何言ってんだかサッパリだ」
〈まったく……。つまり、被害者と同姓同名の科学者たちは、みなコールソンとは真逆の論を展開していた人物だったんだ。むしろコールソンを異端視し、迫害までしようとしていた人物だったんだ〉
「つまり、自らを貶めた人物ってこと? じゃあ、この一連の事件の原因は怨恨?」
わたしがそう問うと、クリスはうなずき返した。
〈みたいだね。ちなみに僕らの世界では、コールソンはそのまま学会から破門されることになる……らしい。二〇三〇年には破門され、非業の死を遂げるらしいよ。だけどミス・ウェザフィールド、あなたたちの世界だと、コールソンは後に『フォグ』と呼ばれる兵器の礎を築いた人になっている。つまり、空間相転移装置を生み出した科学の父として〉
「であれば。フォグ開発の一端を担っていた彼なら、自らの個人的復讐のためにプログラムされた殺人機械が用意できたとしてもおかしくはない……?」
〈たぶんね。とはいえコールソンが死んだのは半世紀近くも前だし、それがなぜこのタイミングで起動したかはわからないけど。でもとにかくそのせいで、同姓同名の、別の時代の、別人を、勝手に仇敵だと思いこんで誘拐している。そのうえ霧を用いた空間転移によって、別の世界の人間にまで影響しはじめた。コイツは、自らの仇敵を求めて、自らの存在理由たる復讐を求めて、世界を行き来してるんだ……。僕はそう推理する。まるでノーランの『メメント』みたいにさ〉
「待て、クリス。それがどうおまえの誘拐とつながるんだ?」
アンナがまた顔をこっちに迫り出してきた。シフトレバーに彼女の鉄腕が当たる。
〈カンタンなことだよ〉とクリス。〈引用された反対派の学者の中に、僕の名前が――クリス・マイヤーの名前が入っていたから。だって僕は、ホーキング博士のファンなわけで。だったら、彼をこき下ろすのは当然だろ?〉
その言葉が出たとき、やっとわたしの中でも合点がいった。
あのとき――わたしが事件現場を訪ね、アンナと遭遇したとき。どうしてフォグは現れたのか? 何のために、誰を狙って現れたのか?
――そうだ。ヤツは、クリスを狙っていたのだ。
サイドブレーキを引く。大渋滞の環状交差点に入る手前で、わたしはドリフトして反対車線へと乗り込んだ。
「戻るわよ。異存はないわね?」
ギアを一速に入れ、発車しながらもわたしは問う。
「当たり前だ。ハニィが誘拐されるのは、もうゴメンでね」
「決まりね」
アクセルを踏みつける。ブレニムS800はけたたましいエキゾーストノートをあげ、ピルグリム・サーカスへと急いだ。




