クリス、宇宙を語る
敵の敵は味方ではないが、少なくとも敵ではない。それに彼女の言ったとおり、人手が多いに越したことはない。お互い依頼人も別で、競合する関係ではないとわかると、彼女との協力関係はより好ましいものに思えてきた。
わたしは愛車まで戻ると、アンナを先導するようにしてエーリング地区を出た。バックミラーにはアメリカンスタイルのバイク。向かう先は、わたしの事務所兼自宅。かつてラリュング図書館の分室であった場所だ。
「大した事務所だ。ウチとは大違いだな」
一階の旧図書室から二階の自宅に向かうエレベーター。その内部は、珍しく人でいっぱいだった。前方、操作卓の近くにわたし。その後ろにアンナと、その相棒クリスが並んでいる。
エレベーターは、ベルの音を鳴らして到着。手動で柵を開けると、そこにはエプロン姿のニナが待っていた。
「おかえり、ヘジィ……って、そちらの方は? お客さんがいるなんて聞いてないけど……」
「ちょっといろいろあってね。とりあえず三人分のコーヒーだけ用意してもらえるかしら」
「ミルクとお砂糖は?」
わたしはそのまま視線を奥の二人へ向けた。わたしは断然ブラックである。
「ミルクたっぷり。砂糖増量」とクリス。
「ブラックでいい」とアンナ。
二人の注文を聞きつけると、さっそくニナがキッチンに戻って、コーヒーを淹れに行った。
それから始まったのは、軽い事情聴取のようなものだ。ラリュングの外からやってきたという義手の女と、その相棒。耳を疑うような話だが、たしかにそれは事実のようだった。
「……つまりあなたたちは、オールド・ハイトという街から霧を抜けて、このラリュングにやってきた、と」
わたしは平静を装うようにコーヒーを飲んだ。が、内心冷静ではいられなかった。
「そういうことだ。アタシらも警察の依頼を受けて、失踪者を追っていた。原因は深い霧と、巨大な怪物……アタシとクリスはそいつを追って、霧の中へ飛び込んだ。そしたら、いつの間にかここにいたってわけさ」
「なるほど。あなたが霧の向こうからきたということはわかりました。しかし、時間を超えたというのは? あなたたちがいたアメリカ合衆国というものを、わたしたちは知りません。それにここがラリュングではなく、ロンドンという街だったということも。……霧がタイムマシンになったと、そう言いたいんですか?」
「わからん。でも、たぶんタイムトラベルだ」
アンナはお手上げと言わんばかりに両手を上げてみせる。
「タイムトラベルなんてあり得ない。ホーキング博士が証明した」
一方のクリス。激甘のコーヒーを飲みながら、彼女は言った。
「でも、ブラックホールを利用した超高速移動によるタイムトラベルなら、可能性はある……って、博士は言ってた。でも、仮にできたとしても未来へのタイムトラベルだけ。過去は不可能だ。まあ、それに関しては、僕らは未来に来たからクリアしてるけど。だけど、僕らは霧の中を抜けただけだ。ワームホールを通過した覚えも、光の速さまで加速した記憶もない。それに、仮に霧の中に特異点があったとしても、一世紀以上も先の未来にいくために必要な速度と時間、そのときハーレーにかかるエネルギーは――」
クリスの解説は止まらない。彼はコーヒーのお代わりを要求。糖分を摂取しながら、解説を続ける。が、アンナはまったく聞いていないようすだし、わたしも話のほとんどを理解していなかった。
「……とまあ、とにかく不可解なんだ。霧の向こうが未来のロンドンなんて、どう考えてもありえない。そんな理論、聞いたことがない」
「だそうだ。理解できたか、ミス・ウェザフィールド?」
「理解できないということだけは、わかったわ」
わたしはコーヒーを飲み干し、空いたカップをニナに渡す。
「だけど、クリス。あなたがいくら論を説いても、現実に起きていることに代わりはないわ。この街は霧という防護壁に覆われていて、かつてそれは空間転移装置として使われていた歴史がある。それが前世紀に起きたという第三次世界大戦の真相よ。……そしてどうやらこの事件の手がかりに、その霧が関係していることは明白。気になるならクリス、その聞いたことないって理論を見てみる?」
言って、わたしは事務所の一階を指さした。
そうだ、我がウェザフィールド探偵事務所は、旧ラリュング図書館分室を改造している。そして書庫には、仮想の本棚によりラリュング中の資料が集まっている。
「すごい、まるで大英図書館だ!」
一階。応接間となっている資料室へ真っ先に飛び込んだのは、クリスだった。あと追うのはわたしとアンナの二人。ニナは洗い物の続きをしていた。
クリスは本のない本棚に分け入ると、すぐに水を得た魚のようになった。使い方を教えずとも、こういう子は直感的にわかるのだろう。さっそくホログラフを出現させ、仮想のページを繰り始めた。
「すごい。ウチもこうすればいいのに」
「勘弁してくれよ。アタシは活字を見るとめまいがするんだ」
やれやれと頭をかくアンナ。クリスは彼女をそっちのけで本を開き始めた。わたしですら、ここまで本棚を荒らしたことはなかっただろう。すっかり床は本だらけになっていた。
クリスの様子を見ながら、わたしとアンナは、応接セットのほうに腰を下ろした。アンナは呆れたようすで彼女の本の虫っぷりを見ていた。
「あの子、ニナって言ったか」
クリスから視線をそらさず、彼女は言った。
「ええ。うちで使用人兼事務員として働いてもらっているわ」
「へぇ。あの子がアンタの可愛い彼女だと思ったぜ」
「カノジョ? 違うわ。ニナはわたしの養子よ。戸籍上はね。ある事件でニナは両親を失い、帰る家を失ったの。だからわたしが保護しているだけよ。……それよりアンナ、本題に入りましょう。あなたとわたしが追っている事件、その手がかりがあるの」
「どこに?」
「そこに」
わたしはクリスがひっくり返してまわる本棚を指さした。
「クリス。一番奥の右から二番目の本棚。その一番下の棚にラリュング大学図書館の資料が排架してあるはず。その中からフレドリック・コールソンの『異空間の生成と接続に関する仮説』という資料を探してくれないかしら」
うなずいたクリスは、早速はじから本を眺めはじめた。彼女はものの三分足らずでそれを発見した。
「見つけたけど、これ紙切れだよ? 参考文献一覧みたい」
「それでいいの。こっちにちょうだい」
クリスはそのページをコーヒーテーブルまで持ってくると、わたしたちにも見えるよう広げて見せた。
「実はラリュング市内で失踪を遂げた人物は、この論文で引用されている学者と全員が同姓同名だとわかってるの」
「奇妙な符号だ。偶然じゃあなさそうだな」
「そういうこと。アンナ、あなたたちが追っている失踪者の名前は、ここにある?」
言われて、アンナは目をしばたたいた。しかしそれよりもクリスのほうが早かった。
「間違いないよ。オールドハイトの失踪者も同姓同名だ。あの巨大ロボット――フォグは、この文献をもとに人をさらってる」
「だけど何のために?」
アンナが問うも、誰もその答えを持ち合わせていない。わたしも、その奇妙な符号を知っただけだ。だが、これで次の被害者を推測することができる。
しばらくの沈黙。それを破ったのは、クリスだった。
「コールソンって学者には、実は見覚えがあるんだ。彼は、僕らの時代の人だよ。学会ではかなり異端視されていた人だったから、記憶にある。……ねえ、もしあの書庫を自由に使っていいって言うなら、僕に調べさせてよ。犯人の正体、突き止められるかも」
「本当か、クリス?」
アンナの問いに、自信満々にうなずくクリス。たしかに、前世紀の学者のことなら、わたしよりも彼女のほうが詳しいだろう。それに、あの博識さはわたしよりも上のはずだ。図らずも共同戦線はいい方向に転んでいる気がした。
「だとさ、探偵さん。それじゃアタシたちは先回りして犯人をとっちめようぜ。またあの巨人に暴れられたら、たまったもんじゃねえ」
「そうね。じゃあ、手分けして調べましょうか」
わたしはソファーから腰を上げる。そうしてわたしとアンナが応接間を出たとき、ちょうど洗い物を終えたニナが顔を出していた。
「また出てくるわ、ニナ。クリスはここに残るらしいから、仲良くね」
「わかったよ。ねえ、彼女コーヒーのお代わりはいるかな?」
すると、すぐに「僕はそれよりホットチョコレートがいい」という答えが返ってきた。




