右手での握手
結局、わたしは貴重な手がかりを取り逃がすことになった。首のない、都市迷彩をしたフォグ。あのタイプは、かなり旧式のものだ。初期型の、大戦当時のものとみて間違いないだろう。そう考えると、霧の外からラリュングに迷い込んだと考えるのが最も現実的だ。
――しかし、ならばヤツはどうして特定の人をさらっている?
その問いに対する答えも、いまや文字通り霧の中である。
赤錆色の霧に包まれ、消えていくミストレス。コクピットから降りたわたしは、クレーターの穿たれたロータリーからその様子を見ていた。赤錆色の霧の向こうには、あの都市迷彩の機体の残滓らしき白い霧も見える。すぐにそれも失せたが、そのときにはもう二体の巨人は消えていた。一つはわたしの事務所兼自宅の地下格納庫へ。もう一機は、わたしのあずかり知らぬ霧の向こうへ……。手がかりは消えていった。
――あとの頼みは、マリーに渡したリストぐらいだけど……。
そう思いながら、わたしは病院のロータリーを抜けた。ミストレスの左拳が穿った大穴が、火山の噴出孔のようになっている。駐車されていたクルマの群れは、警報装置の合唱を始めていた。
すると、噂をすれば何とやらだ。携帯型端末に着信があった。発信者はマリー・ライアル。わたしは通りへ出ながら、それに応じた。
「もしもし、マリー。ずいぶん早いわね。なにかわかったの?」
「ええ。それより、またエーリングでフォグが現れたみたいですけど。ご存知ですか?」
「間近で見たところよ。今度は誰が狙われてたのか……。それでどう? 調べはついた?」
「まあ、いちおうは。ですが、正直あまりいい結果ではないです。その……なんていうかですね……」
マリーは言葉を濁す。その釈然としない態度に、わたしは少しだけ苛立ちを覚え始めていた。
「いいから、結果を教えて。なにがわかったの?」
「あの失踪者リストにある、全員の名前が載った文献です」
「全員の名前が? それはなに? 何かのリスト?」
「学術論文です」
「論文? いったいなんの?」
「それが問題なんです。実はその論文、グローブ紙の資料保存係のおじいさんに聞いて、偶然見つけたものなんです。データベース検索にはひっかからない、かなり古いモノ。ラリュング・シティ成立以前の学術論文……つまり、大戦前の前世紀の論文なんです。それも保存状態が悪くて、完全なカタチでは保管されていないようです」
「大戦前のモノね……。じゃあマリー、その名前って言うのはどこに載っているの?」
「唯一残っていた場所です。最後の最後、引用文献のページに、被害者と同姓同名の学者が書いた論文が列挙されていました」
「偶然にしては出来すぎね。……その論文の著者とタイトルは?」
「フレドリック・コールソン。タイトルは『異空間の生成と接続に関する仮説』です。」
「異空間の生成……。わかったわ。蔵書はラリュング図書館にあるかしら?」
「ラリュング大学の大学図書館のほうです」
「了解。もしフォグがこの論文の関係者と同姓同名の人間をさらってるとしたら、次の被害が食い止められるかもしれないわね。……ありがと、マリー。引き続き頼んだわ」
通話終了。
端末の通話モードを切ったところで、わたしは革ジャンのポケットから手帳を取り出した。メモのページに殴り書きする。論文タイトルと、ラリュング図書館。だんだんと全容が見えてきた。
そうして手帳を戻したところで、わたしは自分が大通りに出ていると気づいた。
エーリングの工業区域。その大通りには、いつもならトラックがひっきりなしに走っている。だが、さすがに今は一台もなかった。なにせ巨人が現れた直後だ。通りは人はおらず、ただ警報を鳴らすクルマと、遠くから聞こえるサイレンの音だけがあった。
――いや、それだけではなかった。
人気のない、パニックから解放された道路にそれはいた。燃えさかる模様の描かれたアメリカンタイプのバイク。それもサイドカー付き。サイドカーには、男装の少女が乗り込んでいる。そしてバイクのボディには、あの女が寄りかかっていた。鋼鉄の右手を持つ、背の高い、ロングコートの女。彼女はまるでわたしを待っていたようだ。
「よう、また会ったな。お互い生きて再会できて何よりだ」
「こちらこそ。……しあし、よくもまあノコノコとわたしの前に出てきましたね。警察に行く覚悟はできましたか?」
「おいおい、まだ言うかよ。勘弁してくれ。警察署でデートって言うなら、アタシはさっさと逃げるぜ。そのためにコイツを連れてきてる」
彼女はバイクのボディをコツコツと叩いた。その、白銀に光る右腕で。
「アンタ、探偵つったな。それも、警察から依頼を受けて事件を追ってるって。その事件って、あの巨大ロボットがらみか?」
答えるべきか。わたしは一瞬迷った。脳裏には先ほど抱いた疑問。彼女とわたしは、同じモノを追っている……。
気づけばわたしは、口を開いていた。
「フォグ――と、わたしたちはそう呼んでいます。おっしゃる通りです。わたしは一連のフォグ事件と、失踪事件の捜査をしていますが――」
「ビンゴだ!」
バチンッ、と鉄腕女が指を鳴らした。あまりの音の大きさに、わたしは思わずのけぞってしまった。
「実は、アタシも追ってるのさ。そのフォグって怪物と、失踪した人間をさ。目的は同じってワケだ。どうだい、ミス・マーロウ。一時休戦からの、共同戦線といかないか? お互い手数は多ければ多いほどいいはずさ。だろ?」
「ウェザフィールドです。ヘイズル・ウェザフィールド。捜査への協力なら、いっこうに構いませんが……。そういうあなたは? えー……と、ミス……」
「アンナ・マイヤー。アンナでいい」
鉄腕女はそう言って、鋼の右手を差し出してきた。握手をしよう、ということなのだろうが、わたしはためらってしまった。
鋼鉄の手。それがなにを意味するか、わたしはよく知っている。かつて、わたしと同じ手をしていた者がどのような最後を遂げたのかを……。
しかし、彼女の好意を払いのけるわけにもいかない。わたしは右の手でその握手に応えた。だが、まだアンナを信用したわけではなかった。




