左手の不発弾
瓦礫の山を飛び抜けてから、鉄腕とクリスは大通りに躍り出た。
右腕にクリスを抱えた鉄腕。そして路肩に停められた愛車、ハーレーダビッドソン。彼女はそれに飛び乗ると、クリスをサイドカーに投げ、エンジン・スタート。しかしハーレーの豪快なエキゾーストノートは、例の歩行音にかき消されていた。
「……こいつはすげえ」
思わず鉄腕も言葉を漏らす。
彼女がねぐらにしている街、オールド・ハイトはなんでも起こる街だ。どんな怪物も、超人みたいな殺し屋も、CIAやKGBの都市伝説だって何でも起きる。だから、ぶっ飛んだ事態にはもう慣れっこなはずだった。しかしそんな鉄腕ですら、目の前の光景に驚愕せざるを得なかった。
地響き。そして霧。うらぶれた倉庫街を覆い尽くそうとする霧と、その向こうから影を見せる巨人――巨大な人型ロボット!
「あれって……!」
クリスが叫ぶ。鉄腕も気づいていた。
「間違いねえ。あのとき見た巨人だ」
霧が晴れる。巨人がついにその全貌を現した。
白、黒、灰。モザイクのようなカムフラパターンに塗装された機体。装甲板に囲まれた怪獣のような脚部と、サスペンションがむき出しの腱。三本爪を持つ手と、脇腹に見えるミサイルハッチ。そして頭のない胴体。首あたりに設けられたカメラアイが赤く妖しく光っている。
「どうする? 巨大ロボットに、霧に包まれた未来のロンドン。ジョージ・オーウェルもびっくりだよ。それにあのミス・フィリップ・マーロウまで。これからどうするつもり? どうやってもどるの?」
「決まってる。真犯人に聞く。あの巨大ロボットのパイロットに聞くのさ。あそこから、犯人を引きずりだす」
「巨大ロボットにコクピットがあって、人が乗ってるって発想、正直現実的じゃないと思うけど。……あ、またなにか来た」
クリスが巨人の真向かい側を指さした。
そこは倉庫街の向かい側。エーリング総合医療センターがある方向だった。真っ白い病棟が三棟と、赤十字の刻まれた外壁。よく見れば、窓越しに避難する人たちの様子が見えた。
だが、クリスが指さしたのは、それではない。
赤十字の紋章が、そのなにかにかき消されていく。空気が赤色に満たされ、元の赤色はすべて上塗りされ始める。赤錆色の霧に。
「なんだありゃ、まるで赤い毒霧か何かだ」
「どうする? さらにややこしいことになりそうだけど」
「それでも仕事は変わらねえ。行くか、ハニィ?」
クリスがコクリとうなずく。
それを確認するや、鉄腕はアクセル全開。前輪を上げ、鉄馬をかっ飛ばした。
タイヤがアスファルトを咬み、加速する。鉄腕の右手が豪快にエンジンを噴かすたび、体が後ろへつんのめった。
「見えた!」
クリスが叫んだ。
彼の指さす方向には霧があった。うすもやの中からは、頭のない巨人がのそりと巨躯を動かしている。
そしてその真向かいからは、赤い霧が混じってきていた。上空で赤と白のかすみが渦を巻いて混ざり合い、異様なマーブル模様を描き始めた――その直後だった。
――衝撃。
再び、激しい地響きがエーリング地区に轟いた。その衝撃は件の巨人よりもすさまじく、鉄腕は思わずバイクの操舵を取られたほどだった。
蛇行運転しながら、鉄腕はなんとか体勢を立て直す。そしてその先で彼女が目にしたのは、晴れ渡った空。消え去った赤い霧。そして、なんと二体目の巨人だった。
それは、霧と同じ赤錆色の巨人だった。筋肉質な、それでいて女性を思わせるくびれあるフォルム。漆黒のバイザーと、それに秘せられた黄金色の二つ眼。そして何よりも特徴的なのは、その左腕だ。右手と比べてアンバランスな、巨大な左腕。赤錆色の巨人は、病院前のロータリーを拳で破壊して現れたのだ。地響きは、その出現の衝撃だった。
「……おいおい、いつからロンドンは東京かロサンゼルスになっちまったんだ」
こんなものは、オールドハイトでも見たことがない。巨人と巨人とがガンを飛ばしあっている。そして直後には、お互いの拳をぶつけ始めた!
「怪獣大決戦に生身で突っ込むのは気が引けるが、やるしかないな!」
アクセル全開。疾走するハーレー。その車体は震動するアスファルトに噛みつき、巨人の股下で急ブレーキ。振り落とされそうな勢いをいなしながら、ちょうど足下で急停車した。
「ここで待ってろよ、ハニィ!」
叫び、鉄腕はサドルを蹴って飛び上がる。
天高く伸びた彼女の右腕――鉄腕が巨人の装甲板をつかむ。怪力で装甲をゆがませながら、鉄腕は巨人の体を登り始めた。
――さっさと犯人をとっちめて、オールドハイトに帰らねえと……!
*
霧とは、一種の別世界である。そこには未知の世界が広がっている。ラリュングの難民たちにとっては、前世紀の大戦という遠い過去の世界。だが、わたしにとっての霧とは、そうではない。それはシュレディンガーの猫の実験のようなもの。観測できない別空間。別次元。異空間……。そして、わたしの相棒へとつながる通路である。
エーリング医療センターへ向けて駆け抜けたわたしを、赤錆色の霧は追従するようにして発生。
霧はわたしのすべてをかき消す。そして、その向こうからわたしの分身を出現させた。霧の女皇――ミストレス。巨大な左腕を持つ、左右非対称の巨人。
ミストレスは、その巨腕でわたしを拾い上げると、胸元のコクピットまで持ち上げた。ちょうどシャツの襟首あたりにあるハッチから飛び乗って、わたしはコクピットブロックへ。乗り入れると、呼応するようにして照明が灯った。
「目標はわかってるわね、あの巨人よ」
わたしは相棒につぶやきながら、左手を差し出した。鋼の左手。あの女と同じ義手。だが、わたしのそれはただの義手ではない。
レンズ絞りの羽根のように、手の甲が開く。そこへミストレスは応えるようにしてケーブルを伸ばしてきた。蛇のようにうねる、赤色のケーブル。それはわたしの腕に絡みつき、そして先端の電極を手の甲に突き刺した。
感覚が同調する。左腕から徐々に全身へ。わたしの意識は、ミストレスと同期。
視界には、周囲を囲うディスプレイ越しに巨人が見えた。頭のない、都市迷彩の巨人。恐竜のような巨大な足と、それに比して小さな三本爪の腕。カメラアイが真紅に灯った。
「ずいぶんと古いタイプの機体のようね。残念だけど、あなたはここで終わりよ。事情はあとでたっぷり聞いてあげるから、安心しなさい」
左拳を振り上げる。連動して、赤錆色の巨人も拳を上げた。手を開くと、巨腕に格納された三本の鍵爪が展開する。
「バイバイ、誘拐犯!」
振り上げた拳を、叩きおろす。クローを閉じながら――衝突。
……そのはずだった。
警報。ミストレスの敵味方識別装置に警告。民間人がいると、警告していた。
その真っ赤な警告表示に、わたしが条件反射的に手を止めたのか。それともミストレスのほうが勝手に止まったのかはわからない。だが、結果的には拳は止まっていたのだ。
原因は、目の前にあった。
都市迷彩が施されたフォグ。その首のない頭に
女が乗っていたのだ。栗色の引っ詰め髪に、ロングコート、そして白銀の右腕……あの女だった。
「……ここまで来てわたしの邪魔をするの?」
このまま殴れば、あの女を殺すことになる。いくら昨日の事件の容疑者とは言え、相手は民間人だ。殺すわけにはいかない。
――じゃあ、射撃兵装に切り替えるか?
左の掌を閉じながら思案する。いや、ダメだ。どのみちフォグに当たれば、あの女にも被害が加わる。いっそその場から離れてくれればいいが……。
しかしそんなわたしの思いとは裏腹に、鉄腕の女はフォグにガッシリとしがみついていた。フォグが彼女を引き剥がそうと暴れてみたが、それでもしぶとくつかまっている。あの鉄腕を装甲の合間にひっかけて、コートを身体を揺らしながら、フォグに喰らいついている。
「くっ……これじゃらちが明かないわ……」
かといって、どうやって彼女をどかせというのだ。無理だ。ミストレスの出力では、潰してしまうかもしれない。
そうしてわたしが懊悩していると、ついに痺れを切らしたフォグが、再び霧をまとい始めた。逃げるつもりだ。
すると、さすがにその異変に気づいたのだろう。鉄腕の女もフォグから手を離した。
――シメた。
今度こそだ。
わたしは左手を振りかぶり、両足で大地をつかんで、霧の女皇渾身の一撃を放った。左腕、巨大な腕からクローが展開。首なしの巨人をつかもうと、霧の中へ手を伸ばす。
だが、手応えはなかった。
一瞬間の後、フォグのまとった霧は失せ、またその巨影も失せていた。残っていたのは、道路の真ん中に立ちすくむ鉄腕女の姿だけだった。
わたしは思わずため息を漏らしてしまった。昨日、深夜遅くまで警察にいたのも、きっとあの女のせい。そしていま、事件の重大な手がかりを見失ったのも、またあの女のせいだ。
「まったく厄日だわ……」
ため息を漏らしながら、わたしは彼女を見下ろした。
しかし、そういえば彼女は一つ気になることを言っていた。
『アタシも探偵じみた仕事でここに来てるのさ。……すくなくとも、アタシは火事場泥棒なんかじゃない』
――まさかあの女もフォグを追っているのか? だとしたら……。
そう考えながら、わたしはニナにミストレスの回収を要請していた。




