二人の鉄腕
その人物は、まるでわたしのようであり、またわたしのようでなかった。
引っ詰めただけの茶髪と、着古したロングコート。男物のパンツスタイル。口には高級葉巻。そして、その右手は手袋によって隠されていた。まるで鏡写しの、もう一人のわたしのようだ。
女はどっしりと構えたようすで、口から葉巻を拾い上げてから両手を上げた。横にいた男装の少女もそれに従った。
「急になんだい、お嬢さん。そういうプレイをご所望なら、来る場所を間違えてるぜ」
「残念だけど、祈るのはそっちのほうだと思うわ。わたしはヘイズル・ウェザフィールド、私立探偵です。いまは警察から委任を受けて、ある事件の捜査をしています」
わたしは懐から探偵バッジを取り出し、それを女に見せた。片手袋の女は、いぶかるような目つきでわたしを見ていた。
「事件だって? それがアタシと何の関係が?」
「なんの関係、ですか。あなたがいまいる場所……ここがどこかご存知でして? ここは昨日あったフォグ事件の、まさにその現場です。許可された人間ならいざ知らず、一般人は立ち入り禁止です。身分証を提示してください。すくなくとも、わたしはあなたたちのような警官をラリュング市警内で見かけたことはないので」
「なんだ、アタシを火事場泥棒かなにかだと思ってるのか?」
「端的に言えばそうです。もし警官でしたら、わたしの非礼を謝罪しますが。しかしあなたたちは――」
昨日の事件の犯人のようだ。
わたしはそう言おうとしたが、そのまえに彼女が口を開いた。
「申し訳ないけどな、ミス・フィリップ・マーロウ。アタシたちにだって事情っていうのがあるんだ。実を言うと、アタシも探偵じみた仕事でここに来てるのさ。……どうだい、一杯おごらせてもらえないか。お互いに腹の内を話せば、疑いも晴れるはずさ。すくなくとも、アタシは火事場泥棒なんかじゃない」
「では、何と?」
「んー、なんて言えばいいかねぇ」
女はそう言って、隣の少女に目をやった。だが少女は手をあげたまま、眠そうにしているだけだった。
「あいにくですが、あなたとのデートに付き合うなら、行き先は警察署で、わたしの友人とのダブルデートになるでしょう。それでもよければ、付き合いますが」
「そんな気乗りしないデートプランは初めて聞くな。プランの変更は願えないか?」
「残念ながら」
「そうかい。アンタみたいな美人でタフな探偵さんなら、どこへだって行ってもいいんだけどな。警察署以外なら」
言って、女は自身の右腕に触れた。手袋に包まれた右腕。彼女はその中指あたりをつかむと、左手で一気に引っ張った。
わたしは、驚愕せざるを得なかった。
その女の右腕。文字通り白日の下にさらされたそれは、白銀に鈍く光っていたからだ。鋼鉄の義手……。わたしは、そのような腕を持つ者を少なくとも三人は知っていた。一人はかつてのわたしの上司で、一人はわたし戦友。そしてもう一人は――
わたしは革手袋に秘せられた自分の左腕に触れながら、臨戦態勢になった。手袋の下、わたしの左腕――かつてわたしが探偵ではないころに手術を受け、改造の施された左腕。霧の向こうとつながったそれが、まるで古傷のように疼いていた。
「手荒なマネはしたくないんだ、ミス……」
「ウェザフィールドです。ヘイズル・ウェザフィールド」
「まるでサリンジャーの小説みたいな名前だね」
隣の少年が茶々を入れる。その言葉の意味は、わたしにはわからなかったが。しかし、鉄腕の女とわたしの間の緊張感がその違和感のようなものをかき消していた。
「ミス・ヘイズル・ウェザフィールド。いい名前だ。だけど、『撃っていいのは、撃たれる覚悟があるやつだけだ』って言うだろう? アタシはかなり厄介な仕事をつかまされてんだ。邪魔立てするなら、容赦はしないぜ」
「暴力に打って出ようと? なら、なおさらわたしの友人のところへ連れて行ったほうがいい」
わたしは拳を握り返す。彼女と対になるように、鏡写しのように。左腕――宝冠の紋章が刻まれた、わたしの鋼鉄の左手。その内部構造に仕込まれた小型の弾頭射出装置が駆動音を骨身に伝えていた。
「答えは『タフでなければ生きていけない』か」
「優しくはなさそうだけど」
鉄腕女と少女が答える。
一触即発。まるで決闘前のカウボーイのような気分だった。
しかし、その緊張の糸は一瞬で切り落とされた。原因は、震動だった。
地鳴りのような激しい震動。
わたしはもうこの時点で気づいていた。かつては地震なる自然現象があったというが、ここラリュングでそんなことは起こらない。あるのは、フォグの行進だけ。その足音だけだ。
左手がふるえていた。それも弾頭射出装置ではなく、手首に巻いた腕時計型端末だった。文字盤が透過し、映像表示へと切り替わる。
そこには燕尾服にエプロン、手にはミトンをつけたニナが映っていた。
〈ヘジィ! エーリング地区にまたフォグの出現情報が出てるって!〉
「わかってる。ひどい地鳴りがするもの。すぐ行くわ。いつものアレ、用意しといてね」
鉄腕の女に目をやる。彼女も驚いている用だった。このズシン、ズシンと腹の底に響く歩行音。ケンカなんてしている場合ではないと悟ったのだろう。
わたしは振り上げた拳をおろした。
「悪運だけは強いみたいね、あなたたち。いますぐここから出たほうがいいわ。フォグがきたら、今度こそ現場は崩落するかもしれない。巻き込まれて圧死したくなければ、早く出ることね」
「一時休戦ときたか。じゃあ、また会えることを期待しるぜ。ミス・ウェザフィールド」
鉄腕の女は、その鋼鉄の右腕で少女を抱き上げると、瓦礫の間を飛びすさぶように駆け抜けていった。
「……じゃあ、わたしもそろそろ出たほうがいいわね」
鉄腕が消えた瓦礫のなかで、左手に手をかけた。革手袋の下、鋼鉄の左腕。手の甲がカメラのレンズ絞り羽根のように開き、中の紋章を顕現させた。
わたしはその紋章に囁く。我が真名は、霧の女皇。
「霧は来たれり、霧の女皇……!」
刹那、わたしの周囲は霧に包まれた。我が霧、赤錆色の霧に。




