第一話―2
5分ほど抱き締めると満足したのか、里奈は雅哉から手を放して、壁際においてあった椅子に腰掛けた。
すっかり頭に血が上った雅哉は、なんとか気持ちを落ち着けようと、右手で顔を覆う。
「大丈夫?」
あまり感情の感じられない里奈の問いに雅哉が、
「大丈夫です。それよりここは……!?」
顔から手を退し応えようとしたとき、昨日の記憶が一気によみがえってきた。
紅く染まった月。それに吠える獅子のようなもの。吹き飛び、ぼろぼろになる己の体。
「雅ちゃん?」
里奈は急に動かなくなった雅哉に今度は心配そうな声で声を掛ける。その声が聞こえていないのか、雅哉は呆然とした声で呟く。
「なんで生きてるんだ?」
昨日あれだけぼろぼろになったのどうして自分は死んでない。そもそも、何故昨日の傷が綺麗さっぱり消えているんだ。
雅哉は震える手で全身に触れて見るも、傷は見当たらず痛みもなかった。
(あれは夢?そんなはずがない)
周囲を見回してみると、壁やドアは白色で統一されており、自分が着ている服も病院の患者が着ているものだ。つまり、今自分は病院のベットいるということになる。
(昨日僕はあの化け物に殺されかけて、病院に運ばれた……)
ならばあの傷はどうなる。それにあの化け物はなんだ。
(全部夢なのか……?)
今目の前にいる里奈も、あの化け物も全て夢だとしたらつじつまが合う。しかし、
(夢にしてはリアリティ過ぎる)
内容は非現実的だが、感じた感覚はあまりにも鮮明すぎた。
(なんなんだ?なんなんなんだ、一体……?)
「雅ちゃん」
混乱する雅哉の耳に、里奈の落ち着いた声が響く。
「義姉さん……?」
その顔は今まで見てきた里奈のどんな表情よりも真剣で、悲しげだった。
「これから話すことは、馬鹿らしいと思うかも知れないけど、全部本当のことだから真剣に聞きなさい」
「……」
雅哉は黙って頷く。
そして、里奈は語りだした。この世界の影を、真実を。「この世には、裏で世界を操っている人達がいるの」
雅哉は出だしからいきなりスケールの大きい話に、戸惑うが黙って耳を傾ける。
「その人達はある特殊な力を持っているの。ううん……特殊というのはおかしいか。これはこの世界に存在する、全てのものが始めから持っているものだものね」
里奈は相変わらず感情を感じさせない声で続ける。
「昔は信じられ今は誰もが存在しないと決め付けるもの。それでも知らない人間は一人もいないだろうもの。即ちそれは――魔術師」 里奈の口から紡がれた詩的な言葉の最後の一説に雅哉は驚いた。
「魔術師!?」
「そうよ。昔、人々が恐れ、忘れていった異能――魔術を駆使して、様々な現象を引き起こす者。それが魔術師よ」
魔術師。おとぎ話などでよく悪役ででてくる、魔法使いなどと同じ、人であり人ならざる者。
「魔法は本当にあるって言うの!?」
「ええ、そうよ。実際の呼び方は魔術だけどね」
目を見開いて問う雅哉に、無感情に返す里奈。
「でも、存在するのは魔術だけじゃない。魔術と共に語られてきたもの――魔獣や妖魔もこの世界にも存在するの」
里奈の言葉を聞いて、昨日の獅子の異形を思い出す。
「つまり僕は、昨日あの化け物――妖魔に襲われてぼろぼろになったところを魔術師に助けられたってこと?」
「そんなところよ」
混乱した雅哉の問いを里奈は変わらぬ声で肯定する。
(魔術……妖魔か……)
昨日のことがなければ信じられなかっただろう。しかし、あの異形を見てしまったからには信じるしかない。この世界はには魔術師も化け物も存在するのだ。
「でも、なんで僕が?」
雅哉がその疑問を口にしたとき、話し始めてから初めて、里奈の顔に感情が浮かんだ。それは、悲しみ。
「義姉さん……?」
突然悲しそうな顔しだした里奈をいぶかしみ、雅哉が声をかけると、
「ごめんなさい、雅哉……!」
そう言って、また雅哉を抱き締めた。
「ね、義姉さん……?」
驚いた雅哉が逃れようとすると、服の胸部――丁度今、里奈が顔を埋めているところ――が湿り気を帯びてきた。
「えっ……」
雅哉が動きを止めて里奈を見ると、肩が微かに震えていた。
(泣いてるのか……?)
よく聞けば、微かな嗚咽も聞こえてくる。
何故いきなり泣き出したのか。それは分からないが、
「――――!」
雅哉は右手で強く抱けば壊れてしまいそうな肩を抱き、残った左手で彼女の作り物のように綺麗な髪の上から頭を撫でる。
「泣かないで下さい」
昨日のことや今しがた聞いた話は頭から飛び、ただ里奈を泣きやまそうと優しく頭を撫で続ける。
「雅ちゃん……」
少しそうしていると、里奈が胸からを放して見上げてきた。
涙に濡れたその顔はまだ悲しげで、庇護欲を掻き立てられた。
昔から義姉はあまり感情見せない性格で、泣いたところなど見たのは初めてだったので雅哉は、
(義姉さんもやっぱり、感情のある普通の女の子なんだな……)
と、再確認した。
「ごめんね、雅ちゃん」
「いいですよ。昔はいつも僕がこうしてもらってたんですから」
すまなそうに謝る里奈に雅哉は微笑む。
昔まだ二人が共にに暮らしていた時は、雅哉が泣くといつも里奈が抱き締めて、頭を撫でてやっていた。別々に暮らし始めて随分たったが、その時の記憶は雅哉の心に大切にしまわれている。
「それで、なんで貴方が狙われたかって話だけど――」
「あの、それより義姉さん?」
落ち着きを取り戻し、話を続けようとする里奈を、雅哉はどこか焦った声で止めた。
「なに?」
「落ち着いたんなら、放して欲しいんですけど……」
里奈の腕は以前として、赤くなった雅哉の背中に回されている。
「いや」
「なんでですか?」
「放す理由がないから」
「放さない理由もないんじゃないんでしょうか?」
「あるわ」
「なんですか?」
「私が雅ちゃんのこと大好きだから」
なんのてらいもなく放たれた言葉に、雅哉は今日一番濃く顔を赤らめる。
「義姉さん!」
「それとも、雅ちゃんは私のこと嫌い?」
「えっ!それは嫌いじゃないですけど……」
「じゃいいわね。このまま話すわ」
結局押し切られた雅哉は深いため息を吐く。
こうしたやり取りはなにも今日が初めてではない。一緒に暮らしていた頃には毎日のように行われ、結果は雅哉の全敗。一度も勝ったことはない。
義姉がこのやり取りをからかうためにやっているか、それとも好意を表すためにやっているのか、あの無表情から読み取ることは未だにできない。よく落ち着いて見れば、雅哉と触れ合っているときの里奈の頬は、微かに朱が指しているのだが、抱き締められたりすると、真っ赤になって焦りだす雅哉が気付くはずもなかった。
「それで、なんで貴方が狙われたかというと、貴方が強大な魔力を秘めているからよ」
下から覗きこむようにする里奈の顔を見ないように、顔を背けていた雅哉は、その台詞で里奈と目を合わせた。
「僕にそんな力が……?」
「そうよ。さっき言ったけど、万物には少なからず魔力が宿ってるものだけど、貴方はその量が多すぎるの。だから、魔力を餌とする妖魔に狙われた」
里奈の応えを聞いた雅哉は、震えながら己が両手を見る。
現代医学では決して治せない傷を、たった一晩で完治させる魔術。それを操る力を自分は持っている。
「でも、僕は魔術なんて使えないよ?」
「それはね、雅ちゃん。力だけあっても、それを自覚しないと魔術は使えないからなのよ」
「自覚しないと……」
もう一度己の手を見る。平均的な男子の手より華奢な手。しかし、そこには人々が遠い昔に忘れ去った魔術を扱う力がある。
「貴方が力を持っているのは始めからしってた。だから本当は貴方を家から離せさしたくなかった。だけど、事情が事情だったから……だけど、もっと早くに手をうっておくべきだった。そうしたら、こんなことには……」
悔しげな、そして悲しげな里奈の台詞で、雅哉は先程の涙の訳を悟る。
「義姉さん……」
離れていてもずっと自分を大事に思ってくれていた義姉の気持ちがうれしかった。
「いいですよ。こうして五体満足で生きてるんですから。ところで、あのとき助けてくれて、傷を治してくれたのは、義姉さんなんですか?」
ここまで色々なことを知っているということは、里奈も魔術師なのだろう。だから、義姉が助けてくれたのだろうと思って聞いてみたのだが、
「いいえ。私じゃないわ」
と、否定された。
「じゃあ、誰が?」
礼もしないといけないのでそう聞くと、義姉はひどく冷たい顔をした。
「私がここに来たのは、貴方にさっきの説明をするのと、貴方をその“人”のところへ連れて行くためなのよ。だから、行けるなら今から行くけど大丈夫?」
その冷たい表情はいつもの無表情の仮面に覆われすぐに見えなくなった。それが気になった雅哉は、里奈が“人”というのに妙な言い方をしたことに気付かなかった。
「あの、義姉さん……?」
躊躇いながらも聞こうとした雅哉は、
「なに?」
いつにも増して冷たい里奈の声に、
「いえ、なんでもないです……」
聞くのを憚られた。
その後すぐに何故か里奈が持っていた代えの服に着替え、(これまた何故か部屋を出ようとしない里奈と口論になったが、結果は言うまでもない)病院の外に停められていた車に乗り込み、市街地を走り抜け、気付けば山道を走っていた。
(どこに行くんだろう?)
窓の外を流れる青々とした木々を見ながら、雅哉はぼんやりと考えた。
さっきまで走っていた市街地は自分の住む町、隆禅町のものだ。だが、今いる山道は見たことがなかった。そもそも、隆禅町近くには山など無い。
(これも、魔術の力か……)
漫画などでよく見る結界というやつだろうか。
(本当、凄い力だな)
そう思い、雅哉は窓から目を離し、隣りに座る里奈を見る。
昔、一緒に暮らしていた大切な義姉。その頃となにも変わらず自分を大切にしてくれる義姉。彼女もこんな力を持っているのかだろう。そう思うと、急に義姉が別人のように見えてきた。
「どうしたの?」
視線に気付いたのか、里奈がこちらを向く。
「義姉さんはどんなことができるのかなって思って……」
正直になにを思っていたか言えるはずもなく、取り敢えず嘘では無い質問をしてみた。
「そうね。錬金術って言う、平たく言えば物を創る術よ」
「ヘー、錬金術ですか。名前だけは知ってます」
「結構有名な魔術だからね。でも、それが魔術である以上、漫画みたいに簡単じゃないのよ」
「危ないんですか?」
雅哉の問いに里奈は少しだけ考えるてこう言った。
「危ないといえば危ないけど、他の魔術に比べる死んだりする可能性は低いから、比較的安全ね。だけど、錬金術の危ないところは命の重みを軽くするところにあるの」
「命の重み……?」
「そうよ。命は一つしかない。それはたとえ人間でも蟻でも同じね。だけど錬金術は、それを幾つにでも増やすことができるの」
「命を増やす……?」
漫画等では良く異能力があっても、死は免れないものとして扱われている。それはきっと、命の儚さと大切さを伝えるためなのだろう。しかし、現実でそれを死を逃れる術があるのでは、そんなものは一欠片も伝わってこないだろう。
命はなんにでも一つ。その自然の節理を壊す禁忌の術。それが、錬金術なのだ。
「そうよ。さらにはホムンクルスと呼ばれる人造人間や、キメラなんていう命の製造や合成なんかもできるの」
「命の製造や合成……」
命を軽んじる錬金術。ならば、
「義姉さんはその力でなにをしたいんですか?」
義姉はなにを思い、その力を使うのか。それが気になって聞くと、里奈は滅多に見せない笑みをその顔に浮べて言った。
「決ってるわ。雅ちゃんを守りたいのよ」
当たり前のことだというように、照れることもなく即答した。
「義姉さん……」 いつも自分のことより雅哉を優先していた里奈。
(やっぱり、義姉さんは義姉さんだな)
他人のように感じたのが嘘のように思えた。
「それより雅ちゃん」
「……?」
「怖くないの?」
どこか心配そうな声で聞いてくる里奈に、雅哉は微笑む。
「大丈夫ですよ。義姉さんがいますから」
苦しい時、つらい時、いつも守ってくれた義姉。女の子に守られるのは複雑な気持ちだったが、それでも彼女の隣りは安心できた。母の腕に抱かれているかのような安らぎを、感じられた。
だから怖くはなかった。
(義姉さんがいるなら……)
里奈の目を見て答えると、
「えっ!?ま、雅ちゃん!?」
雅哉が覚えている限りでは初めて動揺して、顔を真っ赤に染めていた。
山道を30分ほど走っただろうか。正面には巨大な建物が鎮座していた。
灰色に近い白で塗装されたその建物はからは、得体の知れない“なにか”を感じた。だがそれは、嫌な感じではなく、どちらかといえば心地がよかった。
(あれ?この感じ、前にどこかで……)
どこか温かくて優しい感じはたしか……
「雅ちゃん」
その声で雅哉は思いだしかけた記憶を手放し、周囲を見るともう建物の玄関前まできていた。
「着いたわよ。降りる準備をして」
里奈はそういうが雅哉も里奈も何も持っていない。
雅哉がそのまま外に出ると続いて里奈が出てくる。
外は空気がとても澄んでいて、木々の匂いが仄かに香ってきた。
「行きましょう」
そう言って里奈は雅哉の手を取って歩きだした。
「義姉さん」
一応反抗してみるが、案の定里奈は意に介さずに歩き続ける。
ため息を吐いて、雅哉は里奈に合わせて歩きだす。奇妙な感覚はもう消えていた。
建物の中は見た目通りに広く、複雑だった。里奈が手を取ったのは迷わないように配慮したからかもしれない。
しばらく迷路のような通路を歩いていると、巨大扉に行き着いた。
里奈は雅哉から手を放すと、扉の前まで行き、服の内ポケットから何かカードのようなものを取り出し、それを扉の表面に滑らした。すると、扉が開きそれが巨大なエレベーターであることがわかった。
里奈はエレベーターに乗り込み雅哉に向って手招きした。
その大きさに驚きながら雅哉はエレベーターに乗り込む。
里奈はそれを確認するとコントロールパネルらしきものに触れる。
巨大な扉が閉まりエレベーターは下降を始めた。
「驚いた?」
里奈がこちらを向き聞いてくる。
「驚かないほうがどうかしています」
ここに使われている機械などは軽く現代科学の二世代は先をいっているのが、素人目にもわかった。
「凄いですね……」
完全に圧倒された声で言うと、
「そうじゃなくて、私達が機械を使っていることに驚かなかった?」
という質問が帰ってくる。
確かにそれは思った。
漫画等では魔術と科学は共存できないもののように書かれていることが多い。
「魔術には魔術の、科学には科学の利点があるだから――」
里奈が言い終わる前にエレベーターが目的地に着き、扉を開く。
「――――!」
扉の向こうにあったものを、雅哉は忘我の面持ちで見上げた。
それは一言で言うなら巨大な鎧だった。
赤く光る両眼を除いて後はほぼ全て純白に染まっており、額には十字架のような模様が見えた。
「――だから、混ぜてみればいい」
いつの間にか隣りで同じように鎧を見上げていた里奈が、先程の言葉の続きを口にする。
「混ぜる……?」
忘我の顔のままで、ほとんど独り言のように呟いた声に、里奈は頷く。
「そうよ。それがこれ。魔術と科学の粋を結集して作り上げた人型兵器――魔導騎兵アルカディアよ」




