第六章 三番目、四番目、五番目の神殿
宝珠を二つ壊してから、さらに旅は続いた。
この頃には、俺とルージュの間には奇妙な連携が生まれていた。
俺が何かを指差したり、ある方向を見たりすると、ルージュはそれを参考にして動くようになっていた。
「ベービィちゃんが右を見てるから右に何かある……?」
(そうだ、右に罠がある。避けろ)
「ぁあ!」
「右側を迂回する!」
(よし!!!わかってきたじゃないか!!!)
言葉は通じないが、なんとなく意思が通じるようになってきた。
ルージュはこれを「ベービィちゃんの感覚がすごい」と表現していたが、まあそれでいい。
正確には俺の魔力による索敵と分析の結果なのだが、それを説明する方法が俺にはない。
(……「感覚がすごい赤ちゃん」として通っているのか。俺様が。まあいい。作戦的には好都合だ)
俺は複雑な心境のまま、今日も指差し係を続けた。
三番目の神殿は毒霧の神殿だった。
第八の魔王、猛毒王ヴェネナスの神殿で、周囲が毒霧に覆われている。
街道から外れた沼地の奥、枯れた木々が立ち並ぶ中に、くすんだ紫色の霧が漂っていた。
「毒霧……これは普通に歩いたら死ぬやつじゃないですか!?」
(そうだ。俺は毒など効かないが、ルージュは効く)
俺はひっそりと毒を中和する魔法を周囲に展開した。
見た目には何も変わらないが、毒霧は俺たちには効かなくなった。
「……あれ?毒霧なのに全然平気……?」
(風向きが都合よかったということにしておけ)
「なんか運がいい!!やっぱりベービィちゃんはお守りだ!!!」
(お守りじゃない!!!魔神王だ!!!……まあいい)
毒霧の中をずんずん進んでいくルージュの後ろで、俺はバッグの中からため息をついた。
お守り呼ばわりにも、だいぶ慣れてきた自分がいる。
慣れるというのは恐ろしいことだと思った。
猛毒王ヴェネナスは、蛇のような体を持つ魔王だった。
下半身が巨大な蛇で、上半身は人間に近いが、肌が鱗に覆われ、口から毒の牙が覗いている。
その体を神殿の柱に巻きつけながら、俺たちを見下ろした。
「ほう……よく毒霧の中を通ってこられたな。並の人間ではないとみえる」
「ありがとうございます!並の人間じゃないので!」
(謙遜しないのか)
「ふふふ……だが毒は必ず効く。我の毒牙に触れれば、どんな勇者も終わりじゃ」
「触れなければいいんですよね?」
「……そう簡単にはいかぬ」
ヴェネナスは素早く動いた。
蛇の下半身を使って滑るように床を駆け、ルージュの周囲を高速で旋回し始めた。
毒の霧を吹き出しながら、じわじわと包囲を縮める。
「くっ……速い!!どこから来るかわからない!!」
(熱だ。ヴェネナスは蛇型だから、変温生物と同じ弱点を持つ。周囲の温度を上げれば動きが鈍る)
俺はこっそり周囲の温度を少し上げた。
じわりと空気が熱を帯びる。
ヴェネナスの動きが、わずかに鈍くなった。
「……ぬ?なぜ急に……」
(今だ、ルージュ!!!)
「ぁあ!!」
「え!?ベービィちゃんが叫んだ!?今がチャンス!?」
(そうだ!!!!!行け!!!!!)
「わかった!!!行くよ!!!!!!」
ルージュが一気に踏み込んだ。
速さが鈍ったヴェネナスの懐に飛び込み、剣を腹部に叩き込む。
「ぐあっ!!貴様……何をした!?温度が……!?」
「知りません!!このまま行きます!!!」
ルージュは畳み掛けた。
聖剣の光がヴェネナスの体を貫き、そのまま奥の祭壇へと突き進んだ。
「ぐぉぉぉぉぉぉ……!!!」
ヴェネナスが崩れ落ちた。
しばらくして、巨大な蛇の体が縮み、小柄で細身の人間の姿になった。
「……負けたか。久しぶりに感じる痛みじゃ……」
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫ではないが、致命傷でもない。宝珠を持っていけ、勇者よ」
ルージュが聖剣で三つ目の宝珠を砕いた。
俺の翼が、また一枚消えた。
九枚になった。
(……九枚か)
力が少し落ちた感覚がある。だがまだ十分に動ける。
問題ない。
「三つ目!!ベービィちゃん!!!」
ルージュが俺を抱き上げ、高く持ち上げた。
「うぁあ!!!」
(た、高い!!高いのは苦手だと言っているだろう!!!落とすな!!!)
「あはは!ごめんごめん!でも嬉しくて!」
(嬉しいのはわかるが俺を使って表現するな!!!)
ルージュはそれでも笑いながら俺をしっかり抱きしめた。
温かかった。
(……まあ、いい)
四番目は死骸王オステオスの神殿。
骸骨の軍団を操る魔王で、神殿中に骸骨がうごめいている。
石造りの薄暗い神殿に入った瞬間、ガラガラと骨の音があちこちから聞こえてきた。
「ガイコツ……こういうの苦手なんだよな……」
ルージュが小声で言った。
顔が少し青い。
(そうか。俺は別に苦手ではない)
「でも行かなきゃ!!」
(そうだ。行け)
ルージュは気合を入れて神殿の奥へ踏み込んだ。
すぐに骸骨の群れが現れた。
大小さまざまな骸骨が剣を持ち、盾を持ち、じゃらじゃらと音を立てながら押し寄せてくる。
「多い!!!!多すぎる!!!!」
(多いな……俺が少し間引く必要がある)
俺はひっそりと、骸骨を操る魔力の流れを乱す呪文をかけた。
骸骨軍団の動きが、急にぎこちなくなった。
ある骸骨は自分の剣で自分の足を叩き、ある骸骨は隣の骸骨にぶつかり、またある骸骨はその場でくるくると回り始めた。
「???なんか急にガイコツがおかしくなった!??」
(そうだ。乗れ、その勢いに)
「行くよ!!!!」
ルージュは混乱している骸骨の間をすり抜け、次々と剣で砕いていった。
骨が砕ける乾いた音が神殿に響く。
そして奥の玉座に、骸骨の魔王オステオスが座っていた。
全身が白骨で、眼窩の奥に赤い光が宿っている。高い玉座に腰かけ、骨の杖を持っていた。
「よく来た、勇者よ。だが骨の体は聖剣でも切れんぞ」
「本当に?!?」
(嘘だ。聖剣の光は骨を砕く。だがそのことをオステオスはルージュに知られたくないから言っている)
「でも試してみますよ!!!」
ルージュが聖剣を振るった。
聖剣の光がオステオスの骨に触れ、バキバキバキッと砕いた。
「ぬっ!?嘘じゃ……!!!」
「嘘だったじゃないですか!!!」
(当然だ。最初から試せばよかったのだ)
オステオスの骨がどんどん砕けていく。
最後には骨がすっかりなくなり、玉座の上に小さな光の粒が漂うだけになった。
「……やられた。まさか本当に試すとは思わなかった……」
「最初から試しますよ!!!」
「そ、そういう勇者は初めてじゃ……」
四つ目の宝珠が砕けた。
八枚になった。
(……八枚。三分の一が消えた)
今回の力の落ちは、少し大きく感じた。
魔力の細かい制御に、以前よりわずかに集中が必要になっている。
(気をつけなければ。だが、まだやれる)
五番目は暴風王ゼフィロスの神殿。
空に浮かぶ神殿で、強風が常に吹き荒れている。
山の頂上から見上げると、雲の切れ間にそれらしき建物の影が見えた。
「空の神殿……どうやって行けばいいんだ……」
(翼があれば一発なんだが……まあ、そうもいかない)
俺はどうやってルージュを空まで連れて行くかを考えた。
(風を使ってルージュを浮かせる。ルージュに「突風で飛ばされた」と思わせれば……)
「ぁあ!!!」
「え!?飛び込んで、ってこと?空に向かって???」
(そうだ。飛べ。俺が何とかする)
「……わかった!信じる!!ベービィちゃんのことは絶対信じる!!!」
(毎回思うが、お前の俺への信頼はどこから来るんだ……)
ルージュは崖の縁に立ち、一瞬だけ下を見て、目を閉じた。
それから両腕を広げて、空に向かって踏み出した。
「うわっっっっっっっっ!!!!!!!!」
突然の突風にルージュが浮き上がった。
「な!!なんで!!!浮いてる!!!私浮いてる!!!!!!!!!」
(浮いてる浮いてる。そのまま上に行け)
「こわい!!!!こわいこわい!!!!あ、でも神殿に近づいてる!!!!!」
ルージュはパニックになりながらも、風に乗って神殿へと向かった。
もちろん俺も一緒にバッグの中で浮いている。
「ベービィちゃん!!大丈夫!?」
「うぁあ!!!」
(大丈夫だ!!!俺が風を操っているから!!!……それが言えないのがもどかしい!!!)
神殿に着地した。
暴風王ゼフィロスは羽根を持つ大きな魔王で、全身が嵐を纏っていた。
「よく来た。だが風の中では戦えまい」
「やってみせます!!!」
この戦いが一番手こずった。
風が強すぎてルージュが自由に動けないからだ。
俺はルージュの周囲だけ風を和らげる魔法を使ったが、それでも限界があった。
何度もルージュが吹き飛ばされかけ、そのたびに俺がこっそり風を操って引き戻した。
「なんか吹き飛びそうになっても戻ってくる!!!」
(そうだ、俺のおかげだ!!!!!!)
「風の神殿なのに私だけ風の影響を受けにくい気がする!!なんで!?」
(俺だ!!!!俺のおかげだ!!!!!!それくらい気づけ!!!……気づかれたら困るが!!!)
俺は内心で矛盾した叫びを上げながら、必死に風を操り続けた。
最終的に、ルージュはゼフィロスの風を逆手に取って、その勢いを自分の剣に乗せることで一撃を入れた。
「はぁぁぁっ!!!!!」
聖剣がゼフィロスを捉えた。
「ぐぉぉぉ……!!貴様、只者ではないな……!」
「ありがとうございます!!」
(褒められて礼を言うな)
五つ目の宝珠が砕けた。
七枚。
力が、また一段落ちた。
(……七枚か。半分以下だ)
今回は確かに、いつもより「弱くなった」という実感が強かった。
魔力の出力が、以前の半分以下になっている感覚がある。
(……まだ十分だ。まだ七枚ある)
だが、奇妙なことに気づいた。
力は弱まっているのに、気分は軽い。
(なぜだろう……)
考えてみれば当然かもしれない。
力が弱まるということは、力でものを壊してしまうリスクが減るということだ。
ブータを消してしまったあの事故のような出来事が、起きにくくなっている。
(……そうか。俺は力を恐れていたんだな)
俺は自分の手を見た。
普通の赤ちゃんの、小さな手だ。
この手でブータを消してしまった。
(……ブータ……)
「ベービィちゃん、どうしたの?なんか寂しそうな顔してる」
(寂しそう、か。そうかもしれない)
「大丈夫?」
「ぅ……」
(……大丈夫だ)
ルージュが俺の頭を優しく撫でた。
「頑張ったね。今日も」
(……俺はそんなに頑張っていない。お前が頑張ったんだ)
俺は思ったが、「ぅ」しか言えないので黙っていた。
七枚の翼が、夕暮れの空に静かに溶けた。
ルージュはすでに次の神殿のことを考えながら地図を開いていたが、俺はしばらくの間、自分の手のひらをじっと見つめていた。
(……あと七つ)
それだけ壊せば、この手はもう、何も消さない。
俺はそっと手を握った。
小さな拳を、ゆっくりと。




