第四章 二番目の神殿と、増える謎
第一の宝珠を壊してから一週間後。
俺とルージュは次の神殿を目指していた。
この一週間で、いくつかのことが変わった。
まず、俺の力が確かに少し弱まっていた。具体的には、魔法の最大出力が少し下がった。
ただ、俺はもともと最強なので、少し弱まったところで、まだ十分に強い。
というか、まだ十一枚も翼があるわけだから、当然そうなる。
(焦らずやればいい。あと十一個壊せばいいだけだ)
次に変わったのは、ルージュとの関係だ。
一週間一緒にいると、お互いのことが少しずつわかってくる。
ルージュは基本的に明るく元気だが、夜になると急に静かになることがある。
きっと、四年前の記憶が蘇る瞬間があるのだろう。
そういう時、俺は黙って横に座っていた。
(言葉で慰める手段がない。だが、黙って隣にいることはできる)
そういう時のルージュはだいたい、俺を抱き上げてしばらく抱っこしたまま黙っていた。
(……まあ、それでもいい)
俺も黙っていた。
暖かい沈黙というのが、あるということを、俺は初めて知った。
次の目標は、西の森の奥にある神殿だ。
そこには第九の魔王、百獣王フェロシアスがいる。
百獣王は獣を操る魔王で、森そのものを支配している。神殿に近づくだけで、森の動物たちが全員敵に回るはずだ。
(ルージュ一人では厳しい。俺がもう少し積極的に助けなければならないかもしれない)
「この森……なんか動物が多くない?」
ルージュが呟いた。
確かに、森の中に入ると、木の上や茂みの中に無数の目が光っていた。
「……見られてる気がする」
(正解。全部フェロシアスの手下だ)
「ベービィちゃん、怖い?」
「ぅ」
(怖くない。むしろあいつらの方が俺を怖いと思っているだろう)
実際、森の動物たちは俺を警戒していた。
彼らには俺が何者かが本能的にわかるのだろう。
魔神王の気配を感じ取って、怯えている。
(だから俺がいると少し安全なんだが、それを説明する方法が……ない)
突然、茂みから大きな狼が飛び出した。
ルージュが即座に剣を抜いた。
「来た!!!」
だが、狼は俺を見た瞬間に立ち止まり、しっぽを丸めて後退した。
「……え?なんで?」
(俺を見て怯えたんだ。当然だ。俺は魔神王だからな)
「ベービィちゃんが睨んだから逃げた……?」
(睨んでいない!!!普通に見てただけだ!!!)
「ふふ、ベービィちゃんって怖い顔するよね。かわいいけど」
(怖い顔!!!俺が!!!俺の顔が!!!魔神王の顔が!!!……まあ赤ちゃんの顔だから、そう見えるかもしれないが)
その後も、何度か魔物が現れたが、そのたびに俺を見て逃げていった。
「ベービィちゃん、なんかめちゃくちゃお守りじゃん!!!」
(だから俺は最強の!!!魔神王の!!!お守りとか言うな!!!……いや、作戦的にはお守りキャラでいた方がいいのか?……うむ)
俺は複雑な表情のまま、ルージュのバッグの中から森を眺め続けた。
お守り扱いは屈辱だが、作戦上は都合がいい。
魔神王として長年生きていれば慣れるものかもしれないが、あいにく俺はまだ一歳だ。
慣れる間もなく、今日も屈辱を重ねるだけである。
神殿は森の奥深くにあった。
巨大な木々が絡み合い、根が石壁のように張り巡らされた空間に、古い神殿があった。
入り口には、百獣王フェロシアスがいた。
半人半獣の姿。下半身は虎、上半身は人間だが、その体は厚い毛皮で覆われ、爪は鋼鉄のようだ。
「よく来た、小娘。その強さは認めよう。だが、我の支配する森で我に勝てると思うな」
「やってみないとわかりません!!」
ルージュは臆することなく答えた。
(相変わらずのやつだな……まあ、それがいい)
戦いが始まった。
フェロシアスは速い。
虎の下半身を使って縦横無尽に跳び回り、ルージュの攻撃をことごとく回避する。
ルージュも素早いが、フェロシアスはそれを上回る。
(まずい……これはかなりきつい。俺が助けないと負ける)
俺は判断した。
今回は少し積極的に動く必要がある。
だが正体はバレてはいけない。
(……使えるのは、見えない力のみだ)
俺はフェロシアスの後ろから、ごく小さな石を動かした。
フェロシアスが着地する場所に小石を転がして、足元を不安定にした。
「ぬっ!?」
フェロシアスが一瞬よろけた。
その隙にルージュが一撃を入れた。
「よしっ!!」
これを何度か繰り返しながら、少しずつフェロシアスにダメージを蓄積させていった。
(俺がやっていることは要するに、石ころをこっそり転がすことだ。最強の魔神王が。石ころを。こっそり。……まあ必要なのだから仕方がない)
そして最後の瞬間、ルージュが聖剣の力を全開にして一撃を放った。
「はぁぁぁぁっ!!!!!」
光の剣がフェロシアスを貫いた。
「ぐぁぁぁぁっ!!!」
フェロシアスが倒れた。
しばらくして、その姿が縮んでいき、筋肉質な、しかし普通の人間の体型の男になった。
「……久しぶりだ、この姿は」
「大丈夫ですか?」
「悪くない。宝珠はそこだ……お前は強い。ただ、一人にしては強すぎる。何か助けがあるな?」
フェロシアスが俺を見た。
(まずい。こいつは動物的直感が鋭い。見抜かれるかもしれない)
「この子?迷子の赤ちゃんですよ?」
「……そうか。まあいい。宝珠、好きにしろ」
フェロシアスの視線が俺から外れた。
俺は内心、盛大に安堵のため息をついた。
(危なかった……動物系の魔王は直感が鋭すぎる。気をつけなければ)
ルージュが宝珠を聖剣で砕いた。
二個目の宝珠が、砕け散った。
俺の翼が、もう一枚消えた。
十枚になった。
(よし……あと十個)
だが今度の「力の弱まり」は、一個目よりも少し大きく感じた。
(そうか……壊すごとに、影響が大きくなるのかもしれない。翼の枚数が減るほどに残る翼への依存が増すから……)
俺は計算を修正した。
最後の一枚を壊す頃には、かなり力が落ちているはずだ。
(それでいい。それが目的だ)
ルージュが俺を抱き上げた。
「二つ目!!ベービィちゃん、また一緒に頑張れたね!」
(一緒に、か……まあ、そうだな)
「あと十個……多いなあ。でも頑張ろう!」
(そうだ。頑張れ。俺も頑張る)
その夜、宿の部屋でルージュが日記を書いていた。
どうやらルージュは旅の記録をつける習慣があるらしい。
(几帳面なやつだな)
俺はルージュの横で腹ばいになりながら、その様子を眺めた。
ルージュのペンが走る。
「今日も宝珠を一つ壊した。これで二つ。あと十個。ベービィちゃんのおかげで今日も無事だった」
(俺のおかげと書いてある。間違いではないが、認めるのも複雑だ)
「ベービィちゃんはふしぎな赤ちゃん。方向を教えてくれたり、敵の弱点を知ってたり。でも赤ちゃんだからしゃべれない。なんでだろう」
(なんでだろう、ではない。俺が魔神王だからだ。だが言えない)
「まあ、いっか。一緒にいてくれるのが嬉しい」
(……)
俺はその一文を見て、なんとも言えない気持ちになった。
利用している相手に、一緒にいてくれるのが嬉しいと書かれる。
それはずるいと思った。
俺がずるいのか、ルージュがずるいのか、よくわからないが、とにかくずるかった。
(……俺は、ルージュを利用しているだけだ。それ以上でも以下でもない)
俺はそう思おうとした。
だが、なんとなく、うまく思い切れなかった。
(……赤ちゃん思考が邪魔をする。困ったものだ)
ルージュが日記を閉じ、俺の方を見た。
「ベービィちゃん、眠い?」
「ぅ」
(眠い。正直に言うとかなり眠い)
「じゃあ一緒に寝よっか」
ルージュは俺をそっと抱き上げ、ベッドに横になった。
俺は温かい毛布の中に包まれた。
(……暖かい)
「おやすみ、ベービィちゃん。また明日ね」
「ぅ……」
(おやすみ、ルージュ)
俺は目を閉じた。
十枚の翼が、静かに夜の闇に溶けていった。
あと十個。
まだまだ先は長い。
だが不思議と、焦る気持ちはなかった。
(……急がなくていい。どうせ俺はここにいるのだから)
そのままの言葉の意味を、俺は少し考えた。
どうせここにいる、とはどういうことだろう。
最弱になるまでは旅が続く。だからここにいる。
それだけのはずだった。
(……まあ、それだけだ)
俺は自分に言い聞かせながら、眠りについた。
宿屋の小さな部屋に、静かな寝息が二つ重なった。




