第三章 最初の神殿(最強の赤ちゃんが最弱を目指す旅)
北への旅は、思っていた以上に過酷だった。
いや、俺にとってではない。
ルージュにとってだ。
俺はバッグに入っているか抱っこされているかのどちらかなので、体力的には全く問題ない。
ルージュが問題だ。
北に向かうにつれて気温が下がり、道が険しくなり、魔物も強くなる。
ルージュはその全てを一人で乗り越えながら進んでいた。
疲弊しているのは見てわかった。
それでも彼女は前を向いて歩いていた。
(……なぜ勇者になった?)
俺はある夜の焚き火のそばで考えた。
ルージュは焚き火の前でパンをかじりながら、ぼんやりと炎を見ている。
俺はその横で腹ばいになって同じ炎を見ていた。
(十五歳の小娘が一人で旅をしている。魔王を倒すために。なぜそんなことを?)
俺には疑問だった。
人間は不思議な生き物だ。
弱いのに、なぜ戦う?
「……ベービィちゃん、起きてる?」
「ぅ」
(起きている)
「そっか。ねえ、ちょっと聞いてくれる?赤ちゃんに話してもしょうがないかもしれないけど……なんか、話したくなっちゃって」
(聞く。話せ)
「……私が勇者になったのはね、村が魔王に襲われたからなの。四年前のことだけど」
ルージュの目が遠くなった。
「その時、私は十一歳だった。魔王が来て、村は焼かれて、いろんな人が亡くなって……私は生き残ったんだけど、それからずっと思ってたの。次は私が戦う側になろうって」
(……そうか)
「ばかみたいでしょ。十五歳の女の子が魔王を倒すとか、無謀すぎるって言われるの、わかってる。でも、やらなきゃいけない気がして。このまま普通に生きてたら、また誰かが同じ目に遭うかもしれないし」
(……俺のせいか)
俺は思った。
十二人の魔王は、俺を生み出すために世界中で力を集めていた。その過程で、どれだけの村が、どれだけの人間が、被害を受けたのかはわからない。
だが、その影響の一つが、目の前のルージュかもしれない。
(……余計に弱くならなければならない)
俺の決意が、さらに固くなった。
「……なんか、ベービィちゃんに話したら少し楽になった。ありがとね」
(礼を言われる筋合いはない。俺こそ……まあ、いい)
「もう寝よっか。明日も長い道のりだし」
(そうだな。寝ろ。俺も少し寝る。寝るのは得意だ。赤ちゃんだから)
「おやすみ、ベービィちゃん」
「ぅ」
(おやすみ)
北の山の麓まで来るのに、五日かかった。
途中でルージュが崖から落ちかけたのを俺がこっそり風魔法で助けたり、強い魔物が出た時に俺がこっそり弱点をついて混乱させたり、雨が激しくなった時に俺がこっそり結界を張って濡れないようにしたりした。
もちろん全部こっそりだ。
ルージュには気づかれていない。……たぶん。
「なんかね、今回の旅って運がいい気がするんだよね。崖から落ちかけた時もギリギリ助かったし、魔物もタイミングよく隙ができるし、雨も私だけあまり濡れないし」
(そ、そうだな。運がいいな。俺は知らない。関係ない。はい次の話をしよう)
「ベービィちゃんがラッキーキャラなのかも」
(ラッキーキャラ!!!俺が!!!魔神王が!!!ラッキーキャラ!!!)
「お守りみたいな」
(お守り!!!!!!!!)
俺は複雑な気分だった。
最強の魔神王がお守りキャラとして扱われている。
屈辱だった。
だが悔しいことに、喜んでいる自分もいた。
(役に立てているということは……まあ、悪くない)
山の麓から山頂の神殿まで登るのに、さらに三日かかった。
標高が上がるにつれて、魔力が濃くなっていく。
(これはテラフォルムの神殿が近い証拠だ)
俺にはわかった。
第四の魔王、岩盤王テラフォルム。
大地の力を操る魔王で、神殿全体が巨大な岩でできている。
そして宝珠を壊せば、俺の翼が一枚消え、力が少し弱まる。
(……久しぶりだなテラフォルム。まあ会ったことはないが、知識として知っている。あいつはきっと驚くだろうな。俺が宝珠を壊しにきたと知ったら)
神殿が見えてきた。
巨大な岩の塔が、山頂に聳え立っている。入り口には巨大な石扉があり、地面は溶け込んだような岩盤で覆われている。
「あれが……神殿」
ルージュが息を呑んだ。
やや顔が青い。怖いのだろう。
(当然だ。あの中には魔王がいる。人間には脅威のはずだ)
「……行こう」
だが、ルージュは足を踏み出した。
(……なかなかやるじゃないか)
神殿の中は、想像以上に壮観だった。
天井が高く、壁には古代の文字が刻まれ、石の柱が並んでいる。
そしてその奥に、岩盤王テラフォルムがいた。
高さ五メートルを超える巨大な岩の体躯。山そのものを人の形にしたような存在。地面に腰を下ろし、目を閉じている。
「勇者よ、よく来た」
テラフォルムは目を開けた。岩の眼窩の奥に、鈍く光る眼球がある。
「貴様が宝珠を壊しに来たのであろう。来るとわかっていたが……」
テラフォルムの視線が、ルージュのそばにある俺に向いた。
一瞬、固まった。
「……なぜ赤ちゃんがいる?」
「この子は私が面倒を見てる迷子なんです!気にしないでください!」
(そうだ気にするな。そして俺を認識しようとするな)
「……赤ちゃん……なぜか魔力を感じる……」
(まずい!!!気づかれる!!!)
俺は全力で魔力を隠した。
「迷子の赤ちゃんじゃ!それ以上でも以下でもない!さあ戦いましょう!!!」
(ルージュ、お前は余計なことを言わないでいい)
「……まあよい。勇者よ、宝珠が欲しければ我を倒すことだ」
テラフォルムが立ち上がった。
その巨体が動くだけで地面が揺れる。
「ベービィちゃん、バッグの中に入ってて!危ないから!」
(嫌だと言っている!!!俺がいないとお前が危ない!!!)
「ぶぅぶぅ!」
「もう!大人しくしてて!」
ルージュはバッグを岩の陰に置き、テラフォルムと向き合った。
(……まあいい。ここからでも助けられる)
戦いが始まった。
テラフォルムは地面から岩を召喚し、ルージュに叩きつけようとする。
ルージュは素早く動いてかわし、剣で岩を砕きながら近づこうとする。
だが、テラフォルムの体は岩そのものだ。剣が当たっても傷一つつかない。
「ぐっ……固い!!」
(当然だ。岩盤王だからな。普通の剣では効かない。ルージュ、弱点は……右の肩の継ぎ目だ。そこだけ岩が薄い)
俺はルージュに弱点を伝える手段がないことに気づいて焦った。
(くっ……やはり伝える手段がない……!!!)
俺は考えた。
伝える方法は……
(風だ!!!風で誘導する!!!)
俺はこっそり、ごく弱い風の流れを作った。
ルージュの髪がふわりと揺れ、俺の方を向く形になった。
ルージュと俺の目が合った。
俺は必死に、右肩を指差した。
(右!!!!肩!!!!そこだ!!!!!!)
「……え、ベービィちゃん?何か言ってる……?」
(右肩!!!!薄いところ!!!!そこを狙え!!!!!)
「ぁあ!!!ぁあ!!!」
「右……?右上……?右肩?」
(そうだ!!!!!!!!!!!!!!!)
「試してみる!!!」
ルージュは大きく回り込み、テラフォルムの右肩に向かって跳躍した。
剣が、右肩の継ぎ目に深く刺さった。
「ぐぁぁぁっ!!!」
テラフォルムが怯んだ。
その隙にルージュはさらに剣を押し込み、岩の体に亀裂を走らせた。
「こんな小娘に……!!!」
「行くよ!!!」
ルージュは剣に光を宿らせた。聖剣の力が宿ったのだ。
その光が剣を通じてテラフォルムの体に流れ込み、岩盤王の体を内側から砕いた。
「ぐ、ぐおぉぉぉぉぉぉ……!!!」
テラフォルムが崩れ落ちた。
巨大な岩の体が砕け、地面に散らばる。
しばらくの沈黙の後、その砕けた岩の中から、小さな老人の姿が現れた。
小さく、皺だらけで、白い髭を持つ老人。
「……やられた。よもやこの我がやられるとは……」
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫とは言えんが……まあよい。宝珠はそこにある、取るがよい」
ルージュは奥の祭壇に向かった。
そこには光り輝く球体、宝珠が置かれていた。
(来た……!!!!!!)
俺の心臓が高鳴った。
正確には赤ちゃんの心臓だから大した鼓動だが、気持ち的には大高鳴りだった。
「これが……宝珠」
ルージュは聖剣を構えた。
「壊します!!」
聖剣が宝珠に振り下ろされた。
パァン、と小さな音がした。
宝珠が砕け散った。
その瞬間。
俺の体から、一枚の翼が消えた。
同時に、ほんの少し、力が弱まった感覚があった。
(……消えた。一枚、消えた)
俺は自分の背中を確認した。
十二枚あった翼が、今は十一枚になっている。
もちろん、翼は隠しているので外からは見えないが、俺には感じられた。
(よし……あと十一個だ)
崩れた岩の中の老人テラフォルムが、何かに気づいたように目を細めた。
「……妙な感覚がある。宝珠が砕けた時に……何か、大きな力が揺らいだ気がした」
「え?」
「……いや、気のせいかもしれん。勇者よ、お前は強い。次の神殿でも、その力を使え」
「ありがとうございます!あの、お爺さんはこれからどうするんですか?」
「魔王としての力を失えば、わしはただの老人じゃ。この神殿で余生を過ごすとしよう。静かでよい」
「そうですか……お体に気をつけて」
「お前も気をつけろ。次の神殿は……わしよりも手強い魔王がいる」
(わかっている。俺の知識では、次は何番の宝珠を壊すのがいいか……)
俺は計算した。
十二人の魔王の力のバランスを考えながら、最も効率よく宝珠を壊す順番を考える。
(まずは力の弱い魔王から攻めていくのが道理だ)
俺は方針を決めた。
そしてルージュが俺を抱き上げた瞬間、俺は気づいた。
さっきまでより、ルージュを抱いている感触が、少し違う。
力が弱まっているせいで、温度を感じやすくなっているような気がした。
(……暖かい)
俺はなんとなく、ルージュの腕の中に体を預けた。
「? ベービィちゃん、今日はくっついてくるじゃん。かわいい~!」
(くっついてない!!!疲れたんだ!!!旅は疲れるんだ!!!俺は最強だが疲れるんだ!!!……少しだけな!!!)
ルージュはご機嫌で鼻歌を歌いながら、山を下り始めた。
俺はその腕の中で、揺られながら思った。
(一つ目、完了だ)
十一枚の翼が、夕暮れの中でうっすらと輝いていた。
もちろん、ルージュには見えていない。
それでよかった。
今はまだ、それでよかった。




