第二章 勇者との出会い(赤ちゃんはかわいい)
人間の街というのは、思っていたよりも複雑な場所だった。
俺は夜明け前に街の入り口に辿り着いた。よちよち歩きで何時間もかかった。最強の魔神王がよちよち歩きで何時間も、というのはかなり情けない絵面だが、それが俺の現実だった。
街の入り口には門があって、衛兵がいた。
俺は衛兵の前に立った。
衛兵は最初、下を見ていなかったので俺に気づかなかった。
「……」
(おい。俺がいるぞ。見ろ)
「……」
(おい!!見ろ!!俺がいるぞ!!魔神王だぞ!!……いや待て、魔神王とは言えないのか。普通の赤ちゃんとして見てもらえばいいのだ)
「……」
(おいコラ!!!俺を見ろ!!!)
俺は地団太を踏もうとしたが、バランスを崩して尻もちをついた。
そのタイミングで衛兵が下を見て、俺と目が合った。
「……え?」
衛兵は硬直した。
街の入り口に、一人の赤ちゃんが尻もちをついて座っている。
「な、なんで赤ちゃんが……!?」
「ぶぇ」
(そうだ、俺は赤ちゃんだ。かわいい赤ちゃんだ。助けてくれ)
「お、おい!誰かいるか!?ここに赤ちゃんがいるぞ!?」
衛兵は大声で叫んだ。
やがて数人の衛兵と、何人かの住人が集まってきた。
全員が俺を見て、まず固まり、それから「あらあらかわいい」とか「一人でどこから来たの」とか言い始めた。
俺は内心思った。
(これが「かわいい」という概念か。俺様は生まれて初めて「かわいい」と言われた。まあ当然だ。俺は最強であり、かつかわいい赤ちゃんなのだから)
「だれかこの子のことわかる人いない?」
「見たことないわね、どこから来たんだろう」
「とりあえず温かい場所に連れて行かないと」
人間たちが俺の周りでわいわいしている。
俺は内心うむうむと頷きながら、彼らに抱き上げられるのを待った。
(そう、俺を抱き上げろ。そして世話をしろ。俺は普通の迷子の赤ちゃんだ。そういうことにしておけ)
やがて俺は抱き上げられ、街の中へと連れて行かれた。
人間の街は、俺が想像していたよりもずっと賑やかだった。朝市が始まりかけていて、パンや野菜や魚を売る声が聞こえる。石畳の道が続き、木造の家々が立ち並んでいる。
(面白い。人間というのは、こういう場所に住んでいるのか)
俺は物珍しそうに辺りを見回した。
それがまた「かわいい」と評価されたらしく、抱いてくれている衛兵のおじさんが「ほら、珍しいか?かわいいな」と言いながら頭を撫でてきた。
(むっ、俺様の頭を勝手に撫でるとは……まあいい。ここは赤ちゃんとして振る舞う場面だ)
俺は大人しくなでなでされた。
そして連れて行かれたのは、街の宿屋だった。
宿屋のおかみさんに預けられた俺は、温かい布に包まれ、温かいミルクを飲まされ、すっかり快適な環境に収まった。
(ふむ。悪くない)
だがここで問題がある。
俺は勇者を探さなければならない。
宿屋のおかみさんはいい人だが、勇者ではない。
(どうやって勇者を探すか……)
俺が考えていると、宿屋の扉が勢いよく開いた。
「おかみさん!昨夜の部屋代、お支払いします!あと、今日の夕飯もお願いしたいんですけど、あのー、宿泊も延長できますか!?」
元気な声だった。
俺はその声の方を向いた。
そこに立っていたのは、鮮やかなルージュ色の長い髪をポニーテールにまとめた、少女だった。
年齢は十五歳くらいだろうか。背はそれほど高くないが、動きがきびきびしていて、腰に剣を差している。目は大きくて、どこか強い光を持っている。
(……あれが、勇者か?)
俺は直感した。
あの少女は、普通ではない。その雰囲気、その眼差し、その立ち居振る舞い。
勇者だ。
「あら、ルージュちゃん。いいわよ、延長は大丈夫よ。ところで見て、今朝ね、街の入り口に迷子の赤ちゃんがいたの」
おかみさんが俺を指さした。
ルージュという少女が俺の方を向いた。
俺はルージュの目を見た。
ルージュは俺の目を見た。
三秒ほど、静寂があった。
「――――かわっっっっっっっっいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!」
ルージュは叫んだ。
俺は内心思った。
(お、おう)
「なに!?なんでこんなかわいい子がいるの!?どこから来たの!?迷子なの!?一人なの!?赤ちゃんが一人で!?」
ルージュは矢継ぎ早に質問しながら、俺の前にしゃがみ込んだ。
顔が近い。
(目が大きいな。ルージュ色の髪というのも珍しい。まあ、勇者というのはこういう見た目なのかもしれない)
「ねえ、ひとりなの?お家は?おとうさんとおかあさんは?」
「ぶぅ」
(いない。俺に親はいない。俺は十二人の魔王の祈りから生まれたんだ。まあ、強いていえば十二人の魔王が親みたいなものだが、あいつらには内緒で出てきた)
ルージュの目が潤んだ。
「一人なんだ……かわいそうに……」
(別にかわいそうじゃない!!!俺は最強の魔神王だ!!!一人でも全然平気だ!!!……ちょっと抱っこしてほしいとは思うが)
「おかみさん、この子の身元がわかるまで、私が面倒見てもいいですか?」
「あら、ルージュちゃんが?」
「はい!私、旅してるからいろんな街に行くし、その中で親を探してあげられるかもしれないし!それに……かわいいし!!」
最後の「かわいいし」に全ての理由が集約されている気がしたが、俺はそれでよかった。
(よし。乗った。この勇者に乗ってやろう。うまくやれば宝珠を壊してもらえるはずだ)
「あなたの名前はなんていうの?」
ルージュが俺に聞いた。
(名前……俺の名前は魔神王だが、それは言えない)
「ぶぅ」
「ぶぅちゃん?」
(違う!違うが……まあいい。なんでもいい)
「ぶぅちゃんって呼んでいいかな?」
(……ぶぅちゃん。俺が……ぶぅちゃん……魔神王が……ぶぅちゃん……)
「ぶぁ!」
(名前くらいはちゃんとしたのがいい!!!ぶぅちゃんはない!!!)
「あ、嫌だった?ごめんね。えーと……じゃあ、ベービィちゃんはどう?」
(ベービィ……まあ、赤ちゃんのことだな。悪くはない。魔神王の名前としては全くふさわしくないが、今は赤ちゃんのふりをしているから、むしろ適切かもしれない)
「ぅ」
「ベービィちゃんね!よろしく!私はルージュ!勇者のルージュ!よろしくね!」
ルージュは俺を抱き上げた。
(おお!!!抱っこだ!!!抱っこされた!!!)
俺は必死に平静を保とうとした。
(落ち着け俺。俺は魔神王だ。抱っこされたくらいで動揺するな。これは作戦だ。この勇者を利用するための作戦だ。動揺するな……でも暖かい……人間て暖かいんだな……ふかふかだし……)
「うわ、この子の目って赤いんだ。すごくきれいな赤い目……」
(当然だ。俺は魔神王だからな。魔王の目は赤い。それが俺の真の姿の証だ)
「魔神王だったりして!」
(!!!!!!!!!!!!!)
「はは、冗談冗談。こんなかわいい子が魔神王なわけないよね」
(そうだ!!!!そうだな!!!!俺は普通の赤ちゃんだ!!!!絶対に怪しまれてはいけない!!!!落ち着け俺!!!!)
「よし、ベービィちゃん!私と一緒に旅しよう!親を探してあげるから!」
(よし!これでこの勇者と一緒に旅ができる!あとは宝珠の神殿に連れて行く方法を考えれば……いや待て。俺には喋る手段がない。どうやって神殿の場所を教えるんだ?)
俺は新たな問題に気づいた。
だが、まあ、なんとかなるだろう。
俺は最強の魔神王だ。
なんとでもできる。
(たぶん)
ルージュとの共同生活が始まった。
ルージュは思っていた以上にスパルタな勇者だった。毎朝日の出前に起きて訓練をするし、宿を出たら一日中歩き回るし、魔物が出れば戦い、情報収集のために酒場に入り、夜は剣の手入れをしてから寝る。
そんなルージュが俺を連れて旅をするとどうなるかというと、
「ベービィちゃんお昼寝してる間に訓練してくるね!」
俺は宿の部屋に残されるわけだ。
(……おい)
「ベービィちゃん、今から魔物が出るかもしれない道通るけど、バッグの中で待っててね!頭出してていいから!」
俺はバッグから頭だけ出して道を進む羽目になった。
(これは屈辱だな……でも風が心地よい……いや屈辱だ)
「ベービィちゃん!魔物が出た!今から戦うから目閉じてて!」
(目閉じてない!!!俺が見てないと助けられないだろう!!!)
そう、問題はここだ。
ルージュは結構強い。剣の腕前は十五歳とは思えないほどだし、魔法の心得もある。
だが普通の魔物相手ならともかく、強い敵が出た時は厳しい。
俺がそっと助けてやらないといけない場面が出てくる。
最初にそれが起きたのは、旅を始めて三日目のことだった。
街道を歩いていると、突然大きな魔物が現れた。
オーガーだ。
三メートルを超える体躯、石のような皮膚、大きな棍棒を持った緑色の怪物。
「……あー、オーガーか」
ルージュは剣を抜きながら、少し表情を曇らせた。
(あれが強いということはわかる。ルージュには少し厳しい相手だ)
「ベービィちゃん、バッグの奥に隠れてて!」
(嫌だ)
「いいから!」
(嫌だと言っている!)
「ぶぅぶぅ!」
「もう!大人しくしてて!」
ルージュはバッグの口を少し締め、オーガーに向かっていった。
俺はバッグの隙間から外を覗いた。
ルージュの戦い方は見ていて小気味よかった。小さな体を活かして素早く動き、オーガーの攻撃をひらひらとかわしながら剣で傷をつけていく。
だが、一撃が致命的に届かない。
オーガーの皮膚が分厚すぎて、ルージュの剣が深く刺さらないのだ。
じりじりと追い詰められていく。
(……まずい)
俺は判断した。
助けなければならない。
だが正体はバレてはいけない。
(方法は……そうだ、目に見えない魔法を使えばいい。風の魔法で少し後押しすれば、ルージュの攻撃が入る)
俺はこっそりと、極小の魔力を練った。
ほんの少し、風の魔法。
オーガーが大きく振りかぶった瞬間、俺はそっとオーガーのバランスを崩した。
オーガーがよろけた。
その隙にルージュが飛び込み、首元に剣を深く刺した。
「やった!!」
オーガーが倒れた。
ルージュは肩で息をしながら剣を収めた。
「ふぅ……最後の隙は何だったんだろ、よかった。運が良かったな」
(運じゃない。俺だ)
「ベービィちゃん!大丈夫だった?怖かった?」
ルージュがバッグを開けて俺を覗き込んだ。
(全然怖くなかった。俺が怖いくらいだ。あのオーガーにとって)
「ぶぅ」
「強がってる顔してる!かわいいな~!」
(強がってない!!!本当に怖くなかったんだ!!!)
ルージュは笑いながら俺を抱き上げた。
(……まあ、いい。これでよかったんだ。目立たずルージュを助ける。それが俺の作戦だ)
だが、このあと俺には大きな課題が残っていた。
どうやってルージュを最初の神殿へ連れて行くか、だ。
その夜、宿の部屋でルージュは地図を広げて考え込んでいた。
「次はどこに行こうかな……魔王の神殿の場所、全部はわからないんだよね。噂だと北の山に一つあるって聞いたけど……」
(北の山!!!そうだ!!!北の山には確かに第四の魔王、岩盤王テラフォルムの神殿がある!!!いい情報だ!!!)
「でもかなり遠いし、道も険しいし……うーん」
(行け!!!行くべきだ!!!絶対に行くべきだ!!!)
「ぁあ!!!ぁあ!!!」
「ん?ベービィちゃん、どうしたの?」
(地図だ!!!地図の北を指差すのだ!!!)
俺は必死に手を伸ばして、地図の北を指した。
「北?北に行けってこと?」
「ぁ!!ぁ!!」
(そうだ!!!北だ!!!北に行くのだ!!!)
「まさか行こうって言ってるの?」
「ぁあ!!!」
(そうだ!!!)
「……赤ちゃんが旅の方向を指示してる……?」
(そうだ!!!おかしいと思うな!!!俺は賢い赤ちゃんなんだ!!!)
「ふふ、なんかすごいね。でもいいか、北の山かあ……じゃあ、行ってみようかな!魔王の神殿があるなら、宝珠を壊しに行かないと!」
(よし!!!!!!!!!!!!!)
「ベービィちゃん、勇者の旅は危険だよ?大丈夫?」
(大丈夫だ!!!俺は最強だ!!!……まあ、最弱を目指している最中だが、今はまだ最強だから大丈夫だ!!!)
「ぅあ!」
「なんか力強く頷いた……赤ちゃんなのにすごいね」
(赤ちゃんだから頷く力強さくらいしか発揮できないんだ!!!もどかしい!!!)
こうして俺とルージュの本格的な旅が始まることになった。
最強の魔神王と、十五歳の女勇者。
一人は最弱を目指す赤ちゃんで、もう一人は魔王を倒しに行く少女だ。
どう考えても前途多難な組み合わせだったが、俺はなぜか不思議と、悪くない気分だった。
(……ブータはいないが、まあ、これはこれで……)
俺はその考えを途中で打ち切った。
感傷的になっている場合ではない。
俺は魔神王だ。
最強から最弱への旅を、今まさに始めたところだ。
(行くぞ、ルージュ。俺様が――こっそり――導いてやる)
「ベービィちゃん、今日はよく眠れた?」
「ぶぅ」
(眠れた。なぜなら抱っこされながら寝たからだ。……言わないが)
「よし!今日も出発!!」
ルージュは元気よく立ち上がり、俺を抱き上げた。
朝の光の中、二人の旅は続く。
次なる神殿へと向かって。




