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第一章 ~十二の祈り、一つの命~

世界の始まりから数えて、幾千もの夜が積み重なった。

 月が十二回その形を変え、十二人の魔王がそれぞれの神殿へと集結したのは、そんな特別な夜のことだった。

 第一の魔王、炎を司る「灼熱王」ヴァルカノスは溶岩の神殿の中心で膝をついた。その巨大な体躯から揺らめく炎が立ち上り、神殿の石壁を赤く染め上げる。

「我が宝珠に祈りを捧げる。最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第二の魔王、氷を司る「氷結王」グラシアールは凍てつく神殿の中で静かに手を合わせた。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第三の魔王、雷を司る「雷霆王」サンダロスは嵐の神殿で轟く雷の中、高らかに叫んだ。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第四の魔王、大地を司る「岩盤王」テラフォルムは大地の神殿で地を踏み鳴らした。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第五の魔王、風を司る「暴風王」ゼフィロスは空の神殿で翼を広げた。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第六の魔王、水を司る「深海王」アビサロスは海底の神殿で泡を吹き出した。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第七の魔王、闇を司る「暗黒王」テネブロスは影の神殿で目を閉じた。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第八の魔王、毒を司る「猛毒王」ヴェネナスは毒霧の神殿で紫色の煙を吐いた。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第九の魔王、獣を司る「百獣王」フェロシアスは密林の神殿で咆哮した。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第十の魔王、骸骨を司る「死骸王」オステオスは墓場の神殿で骨を鳴らした。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第十一の魔王、幻を司る「幻惑王」ファンタズマは夢の神殿で笑みを浮かべた。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 第十二の魔王、時を司る「時空王」クロノスは時の神殿で砂時計を傾けた。

「最強の魔神王よ、この世界に降り立て」

 十二の祈りが世界中に広がり、十二個の宝珠が同時に輝きを放った。光は天高く昇り、一点に集束し、そして――

 爆発した。

 世界が揺れた。山が震え、海が荒れ、空が割れた。

 そして静寂。

 その静寂を破ったのは、世界の誰もが予想しなかった音だった。

「ぅえぇぇぇぇぇぇぇん!!!!」

 産声だった。

 地上に降り立った最強の存在、魔神王は――生後間もない赤ちゃんだった。

 十二人の魔王は言葉を失った。

 ヴァルカノスが恐る恐る近づき、その小さな存在を見下ろした。

「……こ、これが魔神王か?」

「ぶぇぇぇぇん!!」

 赤ちゃんは元気よく泣き、その泣き声が衝撃波となって周囲半径五十メートルの木々をなぎ倒した。

 そう。魔神王は赤ちゃんだった。だが、最強の赤ちゃんだった。

第一章 俺様は最強である(でも赤ちゃんである)

 俺の名前は魔神王。

 といっても、誰かに付けてもらった名前じゃない。俺が俺自身をそう呼ぶことにした。なぜなら俺は魔神王だからだ。

 生まれたのが一年前のことらしい。

 らしい、というのは、俺には記憶がないからだ。生まれた瞬間のことは覚えていない。まあ当然だろう。誰だって生まれた瞬間のことは覚えていない。俺が最強であっても、そこだけは同じだ。

 だが、俺には生まれつき備わった知識がある。

 自分が魔神王であること。十二人の魔王の祈りによって生まれたこと。十二枚の翼を持ち、その翼が力の源であること。そして、この世界において最強の存在であること。

 そういった知識が、俺の中には最初から刻み込まれていた。

 だから俺は物心がついたとき――まあ、それが生後三ヶ月くらいのことだったわけだが――既に自分の置かれた状況を理解していた。

 問題は、理解していても、俺が赤ちゃんであるという事実は変わらないということだ。

 歩けない。

 話せない。

 自分では何もできない。

 それが俺、魔神王の現実だった。

 十二人の魔王たちは俺を大切に育ててくれた。いや、大切に育てようとしてくれた、というのが正確かもしれない。

 なにしろ十二人とも、赤ちゃんの育て方なんて全く知らなかったのだ。

 たとえば第一の魔王、ヴァルカノスは俺のおむつを替えようとして、そのたびに炎の手で俺のお尻を焦がしかけた。

「ぬぁぁぁぁ!!!あっつい!!!あっつい!!!」

 俺が泣き叫ぶたびに衝撃波が発生し、ヴァルカノスは吹っ飛ばされた。

「ぐはっ!す、すまない魔神王様!今度こそ!」

「いや待て待て待て!!!近づくな炎の手で近づくな!!!」

 もちろん、俺の言葉は赤ちゃんの言葉なので、ヴァルカノスには「ぶぇぇぇ」としか聞こえない。

 それが最も困ることだった。

 俺の思考は完全に魔神王のものだ。論理的で、高尚で、威厳に満ちている。

 だが、口から出るのは「ぶぇ」か「うぁ」か「にゅ」だけだ。

 これは屈辱だった。

 本当に屈辱だった。

 俺は最強の魔神王であるにも関わらず、自分の意思を全く伝えることができないのだ。

 おむつが濡れたことも。

 お腹が空いたことも。

 眠たいことも。

 全部「ぶぇ」で表現しなければならない。

 十二人の魔王たちは俺の「ぶぇ」の意味を必死に解読しようとしていた。だが当然、解読できるわけがない。

「ぶぇというのは怒りの表現では?」

「いや、腹が減っているのだ」

「違う、眠いのだ」

 魔王たちが議論する横で、俺は「お前ら全員ハズレだ!おむつだ!おむつが!!」と叫んでいるが、当然「ぶぇぇぇ」にしかならない。

 そんな日々が続いていた。

 そして、俺が一歳になった。

 

 誕生日の日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 十二人の魔王が全員集まって、俺のために誕生日の祝いを開いてくれた。食べ物が溢れ、飾り付けがされ、なんとも賑やかだった。

 俺はその中心で、ご機嫌に両手をばたばたさせていた。

(なかなかやるじゃないか。俺様のために祝ってくれるとは。まあ当然だが)

 そんなことを思いながら、俺はプレゼントを次々と受け取った。といっても受け取るのは魔王たちが勝手にやってくれるわけだが。

 炎の剣。

 氷の鎧。

 雷の杖。

 大地の盾。

「……いや、赤ちゃんに何を贈ってるんだお前ら」

「ぶぇ」

「魔神王様は喜んでおられる!次を!」

 次々と届く物騒なプレゼントの数々を前に、俺は内心頭を抱えていた。

 そして最後に、第十一の魔王、幻惑王ファンタズマが恥ずかしそうに差し出したのが、あれだった。

「その……わ、儂はこういうものは得意ではないのじゃが……魔神王様は赤ちゃんであらせられるし……その……」

 ファンタズマが取り出したのは、ふかふかの、まるっこい、小さなぬいぐるみだった。

 茶色くて、大きな目玉がついていて、なんともいえない間の抜けた顔をしている。耳がぴょこんと生えていて、短い手足がついている。

「ぬいぐるみじゃ。名前は……その、ブータとでも呼んでやってくれ」

 俺は、そのぬいぐるみを見た瞬間、

(!!!!!!!!!!!!!!)

 心の中で何かが爆発した。

(な、なんじゃこれは!!!なんじゃこの丸くてふかふかなやつは!!!目がでかくて!!!耳がぴょこぴょこしてて!!!なんじゃ!!!なんじゃなんじゃ!!!)

「ぶぇぁあぁぁぁ!!!!」

 俺は両手を思い切り伸ばして、そのぬいぐるみをつかもうとした。

 最強の力が込められた俺の手が、ブータに触れる寸前、俺は必死に力をセーブした。

(壊すな!壊すな!!ちゃんとつかめ俺!!!優しく!!!最強の俺が!!!優しく!!!)

 俺はこれまでの一年間で学んだことがある。俺の力は加減しないと周囲のものを全て破壊してしまうということだ。

 慎重に、慎重に、俺はブータをつかんだ。

「ぶぅ……」

 ブータが俺の腕の中に収まった。

 ふかふかだった。

 信じられないくらいふかふかだった。

 俺は思った。

(これが幸せというものか……)

 十二人の魔王がその光景を見て、全員が「おお……」と声を上げた。

「魔神王様がお喜びだ!」

「ファンタズマよ、お主が一番のプレゼントを持ってきたではないか!」

「そ、そうか?照れるのう」

 俺はブータを抱えながら、ご機嫌でころころと転がった。

(ブータよ。お前は今日から俺の家来だ。よろしくな)

「ぶぅぶぅ」

(俺様的に言えば、これが今日最高の出来事だ。魔神王として生まれてよかったと思う瞬間がもしあるとすれば、まさにこの瞬間だ)

 ブータはもちろん答えない。ただのぬいぐるみだから。

 だがその間の抜けた顔が、なんとも言えず俺の心に刺さった。

 

 あの日から一週間が経った。

 俺はブータを肌身離さず持ち歩いた。

 寝る時も、ご飯を食べる時も、魔王たちに遊んでもらう時も、常にブータを抱えていた。

(ブータよ、今日も俺と一緒にいてくれるな?)

「……」

(そうか、ありがとう。お前は本当にいい奴だ。その無口なところが特に好きだ。余計なことを言わない。ただそこにいてくれる。最高じゃないか)

 俺はブータとの生活に完全に満足していた。

 そして、その日がやってきた。

 第三の魔王、雷霆王サンダロスが俺の相手をしてくれていた日のことだ。

 サンダロスはガタイのいい雷神みたいな魔王で、俺をよく高い高いしてくれた。

「ほれ魔神王様、高い高いじゃ!」

「ぅわぁぁ!!!」

(た、高い!!!高いぞ!!!これは!!!高い!!!)

 俺は内心絶叫しながらも、外面では「ぅわぁぁ!」と声を上げていた。これが楽しいのか怖いのかよくわからない感情だということは、生後一年で学んでいた。

 だが、問題はその高い高いをやっているとき、俺がブータを手に持っていたことだ。

 高い高いのはずみで、俺の手の力が一瞬緩んだ。

 ブータが宙に投げ出された。

(!!!ブータ!!!)

 俺は反射的に手を伸ばした。

 つかもうとした。

 だが俺の手に力が入った。

 最強の力が。

 加減ゼロの、魔神王の全力が。

 ブータに触れた瞬間。

 ぱぁん。

 という、小さな音がした。

 ブータは、跡形もなく消えた。

 正確に言えば、宇宙の塵よりも細かい粒子に分解されて消えた。

 俺は、自分の手を見た。

 何も持っていない手を。

 ブータがいない。

「……」

 サンダロスが状況を理解して、青ざめた。

「ま、魔神王様……その……」

 俺の中で、何かが静止した。

 頭の中が真っ白になった。

 そして。

「ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!!!!!!!!!!!!」

 俺は生涯最大の泣き声を上げた。

 その泣き声は衝撃波となり、周囲半径三百メートルの全ての木をなぎ倒した。

 地面が割れた。

 空が揺れた。

 十二人の魔王が全員飛んできた。

「魔神王様!!どうされた!!」

 俺は泣き続けた。

 ブータがいない。

 ブータが消えた。

 俺が消した。

 この力のせいで。

 この忌まわしい、最強の力のせいで。

(俺は……俺は……こんな力、いらない!!!!)

 泣き声が世界を揺らした。

 その夜、俺は決意した。

 最弱になろう、と。

 

 俺の決意は固かった。

 翌朝、俺は目覚めた瞬間から考え続けた。

(最弱になるためにはどうすればよい)

 答えはすぐに出た。

 俺の中に刻み込まれた知識がそれを教えてくれた。

 十二の宝珠。

 十二人の魔王が守る、十二個の宝珠。

 俺が生まれるために使われた、あの宝珠たちだ。

 一つ宝珠が壊されるたびに、俺の力は一つずつ失われる。

 十二枚の翼が一枚ずつ消え、それに比例して俺の力が弱まる。

 そして十二個全てが壊された時、俺は最弱になる。

 完全に、ただの普通の生き物になる。

(やるしかない)

 だが問題がある。

 宝珠を壊すためには聖剣が必要だということだ。

 聖剣は魔族の俺には扱えない。

 つまり、誰かに頼まなければならない。

 誰に?

 人間の勇者に。

 俺は考えた。

(人間の勇者……勇者というのは魔王を倒す者だ。魔王を倒すということは、宝珠を壊すことで魔王の力を弱め、そして倒すということを意味するはずだ。つまり、俺がやりたいことと勇者のやりたいことは、方向性が一致している)

 よし。

 勇者に頼もう。

 だが、どうやって?

 俺は正体を明かして頼むことはできない。なぜなら魔神王が「最弱にしてくれ」と頼んだら、どうなるかわからない。勇者は魔王の味方ではないが、魔神王の「最弱化計画」に協力してくれるとは限らない。

 それに、俺が魔神王だとわかれば、世界中の人間が俺を恐れるだろう。恐れられながら生きるのは、もうたくさんだった。

(俺は赤ちゃんの姿をしている。赤ちゃんは普通、警戒されない)

 そうだ。

 俺は普通の赤ちゃんのふりをすればいい。

 勇者のそばに近づき、普通の赤ちゃんとして世話をしてもらいながら、裏で宝珠破壊を助ける。

(完璧な作戦だ。俺様の頭脳は常に最高だな)

 俺はその夜、ひっそりと魔王の城を脱出した。

 もちろん、脱出と言っても、魔王たちに気づかれないようにこっそりと、だ。

 十二人の魔王が寝静まった頃、俺はよちよちと廊下を歩いた。

(よ、よちよち……いや待て、これが赤ちゃんの歩き方か。いいのだ、赤ちゃんだから。俺は最強の存在だが今は赤ちゃんなのだ。よちよちでいいのだ。よちよちでいい。いいんだ。……くぅっ、屈辱……!)

 城の門を抜け、俺は外の世界へと踏み出した。

 夜の草原が広がっている。

 満天の星。

 遠くに人間の街の灯り。

(あそこに人間がいる。あそこに勇者がいるはずだ)

 俺はよちよちと、人間の街へ向かって歩き始めた。

(俺様、魔神王。最強から最弱への旅、今ここに始まる)

 空には十二枚の翼がうっすらと光っていた。

 だが俺はその翼を隠した。

 普通の赤ちゃんに翼はない。

 俺は普通の赤ちゃんだ。

 今この瞬間から、俺は普通の赤ちゃんだ。

(……誰かに抱っこしてもらいたいな)

 夜の草原を一人でよちよち歩く赤ちゃんは、内心そんなことを思いながら、人間の街へと向かっていった。

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