第9話 会いたかったから
棚の上に横たわるパンテラに、ドットが話しかける。
「もうすぐレオが来るぞ」
「……私は、行けない」
パンテラは棚に顎を置く。
「私に会う資格はないの」
「どうして」
ドットはゆっくり接近して腰を下ろす。
「前にも言ったでしょ。ここで会いたいと思うことは、死を願うことになる」
「だから私には……どうしても会えない」
ドットは息を吐く。
そして間を置いた後……
「……トラは単独の生き物だ。特に俺は家族を持ったことがないから、説得力はないかもしれんが……」
「一つ聞きたいんだが、パンテラはここに来たときどう思った…?」
微かに首を傾げるパンテラに、ドットは続ける。
「……不安じゃ、なかったか?」
「…………ここはどこだろう、って感じ……」
その言葉にどこか安堵したようなドット。
「レオだって同じはずだ」
「気がついたら白いひらけた場所に立っている。
右も左も分からないまま、野生の勘に習って前進するしかなかった。
……そして、光を出ると、見たことのない広い景色の中にいる。不安以外の何物でもない」
一瞬の間。
「それでも、自分が最も親しかった妻が出迎えてくれれば、それはレオにとって大きな安心材料になるはずだ」
「レオが一番最初に自分を出迎えてほしいのは、パンテラのはずだ」
そう言い切った。
ただ、パンテラは黙り込んだままだった。
それを見たドットは――
「……まぁ、無理はさせるつもりはない。
俺はもう迎えに行ってくる」
そう言うと、ドットは背を向け、歩きだす。
数秒経過。
――そのとき
「待って」
パンテラの声が聞こえた。
「……私も、行く」
重い足取りではあるものの、パンテラはドットについていく。
そして、あるとこでドットの足が止まる。
「…………来るぞ」
その言葉を合図に、目の前に白い光が現れた。
「……………っ」
立ちすくむパンテラ。
目の前の光はどんどん大きくなっていく。斜線上に伸びていく白光。肉球で足音は聞こえなかったが、何かが近づいてくる気配は感じた。
――そして
光の巨大化が収まったとき、一匹のオスのライオンが見えた。
「…………? ……パンテラ……?」
「……レオ……」
レオは少し近づいて
「なんで……? なんでここにいるんだ? というか、ここは……」
「ここは死後の世界よ」
「……あぁ、そっか……。俺さっき死んだのか……」
沈黙するレオだったが、その表情は少し安堵しているようだった。
「なんにせよ、また会えてよか――」
「ごめんなさい……!」
突然、パンテラが頭を下げる。
「……?どうして謝るんだ?」
当然の疑問。
レオが尋ねると、パンテラはゆっくりと、自身の想いを告げる。
「私、ここで会いたいと思った。
レオに会いたいって思った……」
「……? それの何が……」
息を呑む。
「ここは死後の世界なのよ?
ここで会いたいならこっちに来ないといけない」
「会いたいと思ったら、死を願うことになるの。
私は、会いたいって思った……。
会いたいって、思ってしまった……」
「……ごめんなさい……」
パンテラは顔を伏せたまま、黙り込んでしまった。
すると、レオは少しの間を置くと、口を開いた。
「……俺、今来たばかりだからあんまわかんねぇけどよ」
「俺も会いたいって思ったぞ」
「…………ぇ?」
パンテラは少し顔を上げる。
「ウイルスに体が侵されてさ、餌も取れずに餓死するまでゴロゴロしてただけだったし、一匹だったからな……」
「会いたいと思うことが死を願うことになるなら。その理屈がもしあるなら……」
「たぶん俺の方がよっぽどダメだろ」
レオは優しく微笑んだ。
白くて長い犬歯が、左頬の口角の上昇とともに現れる。その笑みは、猛獣と呼ばれているにはあまりに不釣り合いだった。
「俺も会いたかった」
レオの弾力のある舌が、パンテラの額を通過する。
そして、頭と頭がこすれると……
「待っててくれてありがとう」
レオの言葉から発せられたのは、感謝の言葉だった。
「……ありがとう……。 ありがとう……」
同じ言葉で、パンテラが返す。
パンテラとレオは、しばらく額をこすり合わせていた。
しかし、レオが顔を上げた瞬間。
「……ん?」
ドットと目が合った。
「……あれは、トラ?」
「どうも」
ドットが近づいてくる。
「この方はアムールトラのドットよ」
パンテラが紹介すると
「うおー! トラだ! やっぱりトラだ!」
レオの声が一段と高くなった。
「アフリカで噂があったんですよ! アジアにトラっていう独特の模様があって、俺たちと似た猛獣がいるって!」
レオの反応とは反対に、その場の空気は平然としている。
すると、ドットが優しく返す。
「俺もここに来たとき、同じ反応でしたよ。
アフリカに、たてがみがあって同じくらいデカい猛獣がいるって噂があったんで……」
「だいたいここに来たライオンとかトラ、それ言うのよね」
調子が戻ったパンテラも、会話に入る。
「そうなのか?」
レオが聞く。
「えぇ」
「ふーん。やっぱ噂って、インド洋を越えて流れてくるもんなんだなぁ」
「模様まで、よく伝わるよね」
「色が見える鳥とかから、伝わってくるんですかねぇ」
デカい猫三匹がそんな会話をしていたそのとき
「はぁ〜い! 世間話は終わりましたか?
そろそろオリエンテーションの時間ですよ!」
セラが割って入った。
「……?」
「レオさん、初めまして。私は自然管理本部・副監督、そしてオリエンテーション係を務めております、セラと申します!種類はトキです。よろしくお願いします!」
セラはいつもの軽快な口調で自己紹介を始める。
「ここは、生き物が不思議な機械を通じて自然をちょっとだけ管理する、死後の世界です。とはいえ、説明だけじゃ分かりにくいと思うので、今からオリエンテーションを始めます! 私についてきてください」
セラがあの黄緑色の旗を取り出す。
「とりあえずついていけばいいわ」
パンテラがそう言うと、レオはとりあえずセラの後を追う。
「ねぇ、セラ。私もついていっていい?」
パンテラは少し小走りでセラの元に駆け寄る。
「……あなた一回説明したでしょ」
「俺の妻なんだよ。俺もついてくれてたら助かる」
レオもパンテラの提案に賛成のようだ。
「ふ〜ん、まぁいいですけど。
担当時間ではありませんね?」
「えぇ、私の担当は夜だから」
「了解です!それでは行きましょ〜う!」
セラは大きく脚を振り上げ、歩き始める。レオとパンテラもそれに続く。
ただ、パンテラは一度立ち止まると、振り向いた。
「……ドット、ありがとう。来てよかった」
そう言うと、小走りでレオの元に駆け寄っていった。
「……よかったな……。
パンテラ……」
そう、誰にも聞こえないような小さな声で、ドットは囁いた。
―
「富士山は無事に沈静されました。富士山は無事に沈静されました――」
放送で沈静完了が繰り返されている頃――
「いや〜無事に終わってよかったなぁ。
記録もちゃんととれたし、今回は割とテラスに褒められたな、ハッハッハ」
リューセイは背後のミラに軽く話す。
「あいつが記録を褒めるの珍しいなぁー。
いつもよく記録されてるとしか言わないのによ」
「…………ねぇ」
ミラの言葉に、リューセイの足が止まる。
「どうした?」
「なんか、さっきから様子おかしくない?」
「……どこがだ?」
リューセイが聞くと、ミラが駆け寄ってくる。
「だって……」
「さっき富士山を見てたとき、腕が少し震えてたから……」
沈黙するリューセイに、ミラが続ける。
「今だって急に話し出したでしょ?
リューセイ絶対そういうタイプじゃないのに……。
なんだか、いつもと違う気がする」
「……気の所為だろ」
「気の所為じゃないと思う」
その眼差しは冗談を言っているものではなかった。
「ふふん、こう見えて察する力は高いんだよ?」
「……ㇷ」
苦笑の声を漏らし、しれっと立ち去ろうとする。
……が
カプッ……
「……?」
ミラの顎がリューセイのしっぽの先端を挟み、軽く引っ張った。
「…………」
真剣な眼差し。
「……ミラの性格上、気になることにはとことん追求するタイプだもんな」
少しの間。
小さな顎は、そっと離れた。
「……わかった……。ちょっとこっちに……」
手招きすると、ミラがちょこちょこ後を追う。
2匹は先程とは少し離れた場所で、腰を下ろした。
「……じゃあ、ちょっとだけ話す」
リューセイのその言葉に、ミラは並々ならぬ気配を感じた。
――その瞬間、リューセイの口から、ある言葉が飛び出した。
「……俺の死因は、火山噴火だった」
――回想――
足を痛めた妻が巣で抱卵していた。
そのとき、山が唸った。
急いで戻る。
しかし、エドモントサウルスの群れが行く手を阻んだ。
押しのけられない。いくら鳴いても届かない。
ようやく群れの最後尾が通過した。
もうすぐ辿り着く。
――次の瞬間、巣に巨魁が降った。
何が起きたか分からなかった。
鳴いた。叫んだ。
次の瞬間、岩が落ちてきた。
――現在――
「……………」
「…………………」
二匹の沈黙が続いた。
「…………間に合わなかった」
鋭利な言葉が、沈黙を破った。
「……今でも活火山を見ると、少し思うところがあってな。まぁ、記録は仕事だからするけど」
「とまぁ、こんな感じだ」
そう言い残すと、リューセイは立ち上がる。
そして、去り際にこんな言葉を残した。
「……俺には自然管理はできない」
「……どうして?」
ミラの疑問が、リューセイの足を止めた。
「リューセイは賢くて、手も器用でしょ?
いつも思ってた。なんで自然管理しないんだろうって」
数十秒の間。
「……俺にはできないんだよ」
リューセイはくるりと身体を回すと
「俺にはできないんだ……!」
少し声が荒ぶる。
「知識があるとか、手先が器用だとか、それよりも自然管理をするなら大事なものがある」
「それは、経験だ」
リューセイは続ける。
「本来、経験は操作の良い糧になる。
経験していたほうが、操作に慣れているからだ。
……でも俺は……!」
「俺はあれを経験してしまったから……っ」
微かに息切れが聞こえ始めた。
「だから俺には自然管理はできない。あれを経験してしまった以上、自然現象を扱うという大きな責任は持てない。操作するのが、怖い。
……だから俺は記録しかできない」
次々飛び出る戦慄の言葉に、ミラは状況を飲み込めずにいた。
そして、思わず首を傾げるミラに、リューセイは続ける。
「……俺の巣にいた子たちは、卵の状態で生を終えた。この意味が分かるか…?」
ミラの喉は、開かなかった。
「……イノセントワールドに来る条件は、一度現実世界で誕生すること」
「一度現実世界で実体を持ったものだけが、来ることを許される」
少しの間。
「……卵の状態で死んだら……。
孵化していなかったら……」
「こっちの世界でも会えないんだぞ……!!!」
ハァハァ……と
リューセイの息が切れる。
――すると、黙っていたミラが、口を開いた。
「……リューセイはいつも、大丈夫って言う」
「…………?」
「砂嵐のときもそう。それくらい大丈夫だろって言ってたでしょ?
リューセイは気にしいじゃないから……」
そう言って、ミラは切り紙を取り出す。
そこには『だいじょうぶ』の文字。
「だから、リューセイなら大丈夫だと思――」
その瞬間――
「あっ……!」
リューセイの指差し棒が振るわれ、切り紙は真っ二つに裂けた。
「大丈夫なわけないだろ!」
「俺には……俺には記録しかできない…!」
そう叫ぶと、リューセイはミラの視界から消え去った。
「ぁぁ…………」
ミラは立ちすくむしかなかった。
その足元には、引き裂かれた『だいじょうぶ』の切り紙が哀しげに落ちていた。
数秒が経った、そのとき――
「ミラくん」
何かが近づいてきた。
「……リイさん……」
リューセイの妻、リイだった。
その手には、あのシマエナガの雛が抱えられていた。
―
「リラ、リラ待ってくれ」
静かな波音が聞こえる浜辺では、小さな衝突が起きていた。




