8話
塔の奥にある扉は、
夢界がこれまで一度も開けたことのない場所だった。
記録守としての役目を授かったとき、
最初に言われたのは、ただひとつ。
**「この扉の向こうには入るな」**
理由は教えられなかった。
でも、夢界はそれを守ってきた。
記録守とは、記録する者。
干渉せず、ただ見届け、書き留める者。
けれど今、
その“記録”が追いつかなくなっている。
ふたりの“今”が、
記録されるより早く、変わっていく。
そして、塔のノートにさえ、
**自分の知らない文字が浮かび上がるようになった。**
夢界は、扉に手をかけた。
冷たい金属の感触が、指先に伝わる。
「……ごめん。
ちょっとだけ、ルールを破るよ」
扉が、静かに開いた。
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中は、真っ白だった。
空間の端が見えないほど、
どこまでも続く白。
その中心に、
ひとつの“影”が立っていた。
「……君が、記録外の影か」
影は、何も言わなかった。
ただ、そこに立っていた。
夢界は、ノートを開いた。
でも、ページは真っ白のままだった。
「……記録できない、か。
君は、まだ“物語”になっていないんだな」
影が、ゆっくりと顔を上げた。
その目は、まっすぐ夢界を見ていた。
**「君は、記録守だろう。
なら、なぜここに来た」**
「ふたりの“今”が、壊れかけてる。
君のせいだろう?」
**「違う。
私は、ただ戻ってきただけだ。
ふたりが、私を忘れたから」**
「……それは、君が“記録されなかった”からだ」
**「記録されなかったのではない。
記録から、外されたんだ」**
夢界は、言葉を失った。
(外された? 誰が? なぜ?)
影は、夢界に背を向けた。
**「ふたりが選ばなかった“未来”の中に、
私はいた。
でも、選ばれなかったから、
私は“記録”になれなかった」**
「……それでも、君は戻ってきた」
**「ああ。
ふたりが、私を思い出しかけている。
それが、私をここに引き戻した」**
夢界は、ノートを見つめた。
ページの端に、うっすらと文字が浮かび上がっていた。
**『記録外個体、名の輪郭を得る』**
「……名前が、戻ってくる」
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そのころ、ふたりは図書室にいた。
古いアルバムを開いて、
過去のクラス写真を見ていた。
「……この写真、変じゃない?」
瑠衣が指差したのは、
1年生のときの集合写真。
そこに写っている生徒の数が、
**今の記憶と合わなかった。**
「この子、誰……?」
「わからない。
でも、見覚えがある。
名前は……出てこない」
「私たち、
この人と話したこと、あるよね?」
「うん。
でも、何を話したか、思い出せない」
ふたりは、写真を見つめたまま、
言葉を失った。
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その夜。
夢界は、塔のふもとに立っていた。
ノートを開くと、
そこには、はっきりとした文字が浮かんでいた。
**『記録外個体、名の一部を回収。
記録再接続、進行中。』**
「……もう止まらないかもしれないな」
彼は、塔を見上げた。
その先端は、夜の雲を突き抜け、
どこまでも高く伸びていた。
「でも、ふたりが選んだ“今”を、
俺は信じたい」
夢界は、ノートの余白にこう書いた。
**『記録守、観測を超えて、
ふたりの“今”に立ち会うことを選ぶ。』**
(続く)




