第79話 異世界からの侵入者
魔法少女【ティアマト】と【クリック・クラック】が支配する日本は、平穏に満ちている。日本人は互いを尊び、そして神に等しき二人から施しを受けて暮らす穏やかな日々を享受している。食料も住居にも不足はなく、そして不安すらも解かさて消える――まさしく『魔法の国』である。
もっとも、そのお膝元である日本以外には興味がなく外国は散々内戦を続けて荒れ果てるだけの無限の荒野となってしまっているけれど。
ゆえにこそ逆らう者とて誰一人居ない”絶対的平和”がカタチとなった。その完全無欠のはずの理想郷に客人が訪れる。
「――――っと、おいで」
空間が裂けた亀裂、その向こう側には荒廃した別の景色が映っている。その先は異世界、魔法少女を縛り付けてその力を私欲に使おうとしたはずが暴走を許して滅び去ってしまった世界だ。
最初に降り立った彼女は見た目麗しく、まさにイケメンと言っても過言ではない美少女だ。凛とした眼光に、キビキビとした動作、スレンダーで中性的な体つきが高額の花そのものの美を具現化している。その宝塚すらも超える華美な衣装と合わせて、世の女性が見れば倒れてしまいそうな美貌である。
「うん、ありがと。……紫苑ちゃん」
もう一人の少女が亀裂の向こうへ差し出された手を取り、こちら側の世界に地に足を付けた。ある種厳しい印象を与える彼女とは違い、こちらは正反対の”甘やかな”少女だ。
夢のように艶やかな髪と、豪華なフリル、そして何より他を圧倒する巨乳。男性ならば見とれて帰ってこれなくなるほどの愛らしさであった。
だが、この行為を一言で言ってしまえば侵略なのかもしれない。例えば地球の中に限ってさえ、別の大陸の者が足を踏み込んだことで伝染病が蔓延して大量死が起こった事例など枚挙にいとまがない。
それに、この地球では手遅れだがアーティファクトに感知されるということでもある。二人とも、魔法の気配を色濃くまとっているのだから。
「どうやら、この世界はそれなりに安全らしいね。油断する訳にはいかないけれど――少なくとも毒ガスが地表を覆っている訳でもない。ちゃんと、人が生きられる場所だ」
「そうね。人の声が聞こえてくるわ。……幸せそうな声。きっと、優しい人たちだね」
紫苑と呼ばれた少女は、もう一人を抱きしめたまま油断なく周囲を警戒している。世界の移動とは運が悪ければただの自殺だ、何があるかわからない。とりあえず何もないというだけでも、たぐいまれなる幸運であるのだ。
もちろん、この二人が着ているのはものものしい防護服なんぞではない。しかし異世界を渡り歩いてなお生きているのだ――その装備がただのゴスロリであるはずもないのだけれど。
魔法の力で生けとし生きる者が減び去ってしまった世界など、いくらでもある。シックスまで乗り越えたこの世界は、本当に異常なほどの幸運だったということだ。
「行ってみよう。陽菜。少しでも情報が欲しい」
「ええ……ううっ、くうう……!」
大きな胸に手を当ててうずくまってしまう。紫苑は血相を変えて彼女の様子を確認する。
「どうしたの、陽菜? 痛むのかい?」
「うううう――だ、だいじょうぶ。なんともないわ」
そう言うものの顔色が蒼白になっている。紫苑が己の唇を噛みしめるが、どうしようもない。なぜなら、それこそが二人が世界を渡り歩く理由なのだから。
それを治せる手段を追い求めて、故郷も親も友人もすべてをなげうって旅に出たのだ。
「ああ、陽菜……!」
「いつものことよ。慣れてるわ……すぐに、発作も収まるから」
胸を掴む手がぶるぶると震えている。苦痛に耐えしのぎながら、波が過ぎ去るのを待っている。横の紫苑は、心配そうに顔を覗き込むばかりで何もできない。
「おや、あんたら――大丈夫かい?」
そこに、若い男が声をかけてきた。二人はこの世界の地図など知る由もないが、出たのは都会のビルの裏路地だ。行き交う者の声を聴けるくらいなのだから、逆に発見されるのもおかしなことではない。
もっとも、何の力もないただの男が見知らぬ人に声をかける行為は無警戒そのものだが。それも、こいつが平和ボケしているということで二人にとって悪い話ではない。
「え? あなたは……」
「この辺でバーをやってる者さ。良ければ少し休んでいくといい。――ああ、いやそんなに悪いなら病院なのかな?」
声をかけてきた男をよく見ても、まあパッとしないと思うくらいだ。スーツじゃなくて適当なよれよれのボロシャツだし、人生経験だって大したものを持っているようには見えな
い。
とはいえ、だからこそただの善意で声をかけてきてくれたのだろうと思える。それに、見慣れてるだけあって紫苑は悪人の見分けには自信がある。
「いや、持病のようなものでね。少し休めば大丈夫だ。お言葉に甘えて場所をお借りしてもよいかな?」
「もちろん。店を開けるまでまだ3時間はあるからね、横になっていくといい」
「なら、その前にお暇させてもらおうかな」
「いやいや――もうちょっと休んでいきなよ。アンタみたいな別嬪が店に来てくれたなら自慢できるってもんさ」
「はは、わかった。そうさせてもらう。行こう、陽菜」
「うううう――」
「じゃ、行こうか。肩を貸すぜ」
「――紫苑ちゃん」
「すまないが、陽菜はあまり他人と触れるのが得意ではなくて」
「まあ、そうか。こんなおっさんじゃあな。こっちだぜ」
「すまない……」
「そんな深刻そうに謝られる方がダメージでかいっての。こんなところじゃきれいな服が汚れちまうから早く来な」
「ああ――」
そして、すぐ近くのビルの地下街。言った通りのバーまでやって来た。
「……」
紫苑はバーの様子をさっと眺め、カウンターから少し離れたソファに陽菜を下ろした。
「はは、パッとしないって思ったかい?」
店主が声をかけてくる。まあ一瞬さびれていると思ってしまったし図星ではある。目線を少し逸らしながら返答する。
「いや、すまない」
「だから、謝らないでくれよ。こっちがケチな子悪党やってるような気分にならぁな。で、どうだい? ちょっとここで働いてみる気はないか? アンタなら大人気になれるぜ。保証する。俺よりも千倍似合うぜ」
少し奥に引っ込んでいた店主はもう燕尾服に着替えている。紫苑はおやと思うが、そこには何も言わない。思ったよりは、というやつだ。ボロシャツよりはずっとマシだけれど、すごいかすごくないかで言ったら全然すごそうには見えないのだから。
「はは、ボクがバーテンダーか――考えたこともなかったな。だが、そもそもボクは酒を飲んだ経験もないんだがな……」
「え? まさか、あんたまだ子供――」
「20は超えてるさ。機会がなかっただけの話だよ」
「そっか。まあ、それも幸せなことなのかねえ。実は俺、バーテンダーってのに憧れて……それで脱サラして店も借りたんだが。どうにも、こんなんが俺の夢見たものなのかな――って、寂しくなってくることがある。夢見てたもんは、もっと、キラキラしてた気がするんだな」
ふう、と少し寂しそうに笑う。紫苑はなんだかこの男の人生に急に厚みが出てきたような気がして面食らってしまう。
なんだか焦ってしまって無意味な言葉を言い繕う。
「それでも――」
「あんたもそういう経験はないかな?」
「いや、ボクは陽菜のことだけで精一杯だから、寂しさなんてものを感じる余裕はなかった。今日、初めての酒というものを体験させてもらって、それだけだ。あなたには感謝するが、しかし思い出すことはないだろう。自分でも薄情だとは思うが」
きっぱりと言った。失礼をしたと思えばしおらしくもなるが、しかし譲れないところは譲れない確固とした態度だった。店主は気風のいい嬢ちゃんだとますます気に入って話しかける。
「ははっ。ああ、いやいや。助けてやったことを一生感謝しろとか、そういうのはアホだろ。誘いを断られちまったのは残念だが、まあなんかの拍子に思い出したらまた来てくれや。その時はバイトでもしてくれると嬉しいぜ」
「……ハハッ。陽菜が治ったなら、それもいいかもしれないな」
「ええ……紫苑ちゃん。私はお酒、匂いだけでもちょっと厳しいわ」
未だに胸を抑えている彼女が、苦しそうながらも楽しそうな顔で笑っている。
「すまない。店主、バイトは無理そうだ」
「そう結論を急ぐなっての。溺れる者にとっては麻薬でも、ちゃんと扱えば百薬の長ってやつなんだぜ」
そう言って氷を取り出す。店主は店主でずっとこそこそ準備していたが、これからはショータイムだとウインクしてみせる。
「それは?」
「酒は舌だけじゃなくて目でも楽しむモンだ。目の前で作るのもオツだが、いや商売になると前もって切っておかないと腕が何本あっても足りなくてね。そんなわけで、遠慮せず見てってくれや――」
手慣れた手つきでナイフを取り出した。すぐさまシャッシャッと軽やかに氷が切られていく。透明なだけのただの氷が、光を受けて輝くダイヤモンドへ。
彼の熟練した手つきは、雑多な氷たちを幾多の宝石に作り替えていく。
「……すごい」
「そうだね。まるで魔法だ」
「……」
彼は職人さながらも無言で作業を進め、しかし口元はみっともないほどニヤニヤしていた。
「ふふっ」「あははっ」
異邦人の二人も、それが何やら面白くて、けれど氷たちはまるで芸術品のようで……時を忘れて見入っていた。魔法のような手つきを、飽きもせずに。
「――いけねっ! さっさと氷入れねえと溶けちまうっ!」
叫んで、冷凍庫を開いたときにドアに頭をぶつけてしまいながらも慌ただしく氷を入れていく。
「なにやってるのさ、店主。もう……うふふっ」
「くすくすっ」
「あー、やれやれ。恰好つかねえでやんの。俺ちんってば、いつもこうよ。おっと、そっちの嬢ちゃんは具合良くなったみたいだな」
いわれて気づき、陽菜は目を丸くして驚いた。別に発作はいつものことだ、けれど楽しさに苦しみを忘れてしまったのはいつぶりだろう。
「そうね。素敵なショーをありがとう。あなたの出すワインなら、とてもおいしくいただけそうだわ」
すっと立ち上がって優雅にカーテシーをして頭を下げる。
「お……おお。いいところの子かい? まったく、劇団の世界から抜け出してきたみたいな子たちだな」
「はは。まあ、こんな気取った格好をしていたらそう言われてしまうか。けれどボクたちが居たのは現実だよ」
「そうね――現実だわ」
「なら、うちで夢見心地って気分を味わっていきな」
店主は顔に似合わないキザなセリフを口にする。返答は笑い声、なごやかな雰囲気が満ちる。こんなんでも店主なのだから、雰囲気作りはお手のものだった。
「……っふ。そうさせてもらおう」
「ええ、こんな気分で新しい経験ができるのなら、悪くないもの」
「さあ、初めての飲酒はブルームーン でどうだい? アンタのきれいな瞳に乾杯ってな」
「くく。これは、ボクは口説かれているのかい?」
「ダメよ。紫苑ちゃんは渡さないわ。……ふふっ。きれいだけど、小さいわね。一口で終わりじゃないの」
紫苑の方は苦笑だが、陽菜の方は目の前におかれたグラスを見て目を丸くして驚いている。慣れていないのが一目瞭然だ。
店主は(やっぱ初めての経験なんだな)とほほえましい気分になってしまう。
「おっと。こいつは一気に飲むもんじゃないぜ、お嬢ちゃん。ま、こいつはあんま強くないやつだけどよ。こういうのは、一口目は唇を湿らす程度にたしなむもんなのさ」
「……唇を濡らす。――へえ、甘い香りをよく感じる。レモンの香りも」
真面目腐って、本当に唇にアルコールを付けるだけで離した。中身は一滴も減っていないが目を丸くしている。
興味がないどころか食わず嫌いの毛もあったが、吹き飛んでしまった。悪くない、と自然に唇が弧を描く。
「紫苑ちゃんたら。本当に湿らすだけじゃなくて、少しは舌の上で転がすものよ。――きっと」
陽菜はこそっと笑いながらほんのわずかに口に含む。やはり、思っていたのと違って悪くないと顔に出る。
「おおっと、そんなものだったか」
「そうよ……甘くておいしい。でも、なんでしょう。奥に苦いような、何か変な風味がするわ」
訳知り顔で頷き、しかしかすかに表情をゆがめる。慣れない風味、アルコールがわずかにひりひりするような感触とともに喉を下っていく。
「それが酒ってもんだ。ピンクの嬢ちゃんはうわばみの才能があるかもな」
その慣れない風味に眉をひそめている陽菜は、疑問符を浮かべる。
「ええと、うわばみ――って」
「いや、ボクも知らないよ」
「大酒呑みのことさ、青い嬢ちゃんも大変だ」
くすっと笑う店主に、陽菜は憮然とした表情を返す。
「こんなものを大量に飲むのかい、陽菜?」
「紫苑ちゃんたら。店主さんが勝手なこと言ってるだけだわ、もう」
「そう言ってる間になくなってるじゃないか。お次はファジー・ネーブルだ」
紫苑はおとと、と最後に残った一口を飲み干す。普段ならこんなものは毒だ贅沢品と口にすることはない。だけど、今はとても気分が良かった。
「ん……へえ、こうも違うものなんだね」
「ええ、こっちも気に入っちゃった。でも、私は紫色の方が好きだわ」
「くくっ、愛されてんねえ。じゃあ、お次は――」
そんな会話をしているうちに、他の客がやってくる。この二人は良くも悪くも特徴的な美少女だ、人気にならないはずがない。特に魔法少女が支配するこの日本ではなおさらだから、客たちは二人を見るたびに目を丸くしてしまう。
「おい、店主、こんなかわいい子をどこで拾ってきたんだよ」
「タケちゃんよ、人聞きの悪いこと言わないでくれ。道端で見つけて思わず声をかけちまったのさ。お代はいらないから、俺の店に来てくれってな」
「ほな、俺が半分出すぜ」
「いや……ちょっと待ってくれ。お金は払うぞ。お世話になったのに、さらにおごってもらうわけには――」
紫苑が財布を開いて紙幣を取り出す。すると、男たちは眉をひそめた。
「ん……? なんだこれ、金か?」
「しかしよ、どっかで見た覚えがあるぜ――」
「なんだい、そいつは。ドル札じゃねえか」
また入ってきた常連らしき男が顔を近づけてその紙幣をまじまじと見る。
「おお、ドル札。1ドルってやつだな」
「100ドルって書いてあるよ、アホ」
珍しいもん見た、と店主と客は内輪で盛り上がる。
その外で紫苑は体をこわばらせ、陽菜はそんな紫苑に身体を寄せている。馬鹿なことをしてしまったという後悔が顔に出ていた。
「おっと。アメリカのお金だってことだよな。ま、勘ぐるような真似をするつもりはないさ。けど――両替できるとこってどこかにあったか、タケちゃん?」
「いや、どこだろ。でも、アメリカだろ。まだ金は使える国だろ」
「【ふわりん】様もアメリカ国籍は持ってるって話だから、悪かねえだろ。銀行でも行けば替えてくれるんじゃねえかな――」
「ははは、ありがとう。少しぼんやりしていたようだ。ちゃんと準備しておかないといけないのをすっかり失念していた。すぐに替えておかないとね」
「いやいや――ここで朝まで休んでいってくれていいんだぜ。というか、銀行はもう閉まってるし。金のことなら気にするなよ」
「ううん。ごめんなさい、店主さん。私たちはやらなきゃいけないことがあるから」
「ピンクの嬢ちゃん。けどよ、それにしてももう夜なんだから外を出歩くのは危ないぜ。迎えが居るわけでもねえんだろう」
「それでも、行かねばならないのさ。申し訳ない、店主。やはり酒はボクには合わないようだ」
「紫苑ちゃんが飲まないなら私だって飲まないわ」
悲壮なまでの覚悟が垣間見える。そこに踏み込まないだけの分別は店主も、そして客たちも持っていた。
「そっか。あんまり悪い思い出になってねえと嬉しいが」
「何を言うのさ。あなたの好意は忘れないよ、店主」
「優しくしてくれて嬉しかったわ。でも、急いでいるの」
紫苑はわずかに赤らんだ顔をキリリと引き締めると、カツカツと外に向かって歩いていく。陽菜もその横に立って歩く。その足取りには酔いなどかけらも見つけられない。
「また、いつでも来てくれよ。待ってるから」
「ツケにしておいてくれ。いつか、払いに来る」
「そんなの……。いや、わかったよ。その時はきっちり払ってもらうかんな!」
「当然だ」
「陽菜ちゃんはそういう人よね」
振り返らず、異邦人の二人は店を後にするのだった。




