対馬侵攻 【その1】
長い間、失礼を致しました。
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壬辰倭乱時に対馬藩は5,000の兵を出したと言われている。
要は対馬藩は5,000の兵を出兵出来る兵力を備えていると言う事。
単純に1割〜2割を留守番としたとして、6,000〜7,000の動員兵力を有している。
侵攻兵力は同数以上が安心だが、10,000近い兵力を短期間で統制出来るとは思わない。
故に3,000〜4,000位の兵力で侵攻し、各個撃破で侵攻して行く。
これが今回の俺の考えの中で、最善だと思えた。
ただし、3,000〜4,000の兵力を準備できれば、の話だが。
軍の統制権は当然のごとくに、親父……宣祖が握っている、
当然の事だ。少なくとも中央集権の形態をなしている朝鮮王国では。
半島の王朝の成り立ちは、ほぼ血塗られた争いの歴史でもある。
穏便に見える高麗から朝鮮への移行ですら、王族の血は多数流れている。
王朝が滅ぶ時の遠因は色々とあるのだろうが、直接の原因は軍事権を失った時だ。
時の国王が軍事権を弱め、やがて失い国は滅びている。
故に国王は余程の事が無い限り、軍権、指揮権を委譲したりはしない。
軍権の委譲が即ち、国王の交代を意味する場合もあるからだ。
そんな時代に王世子が正規軍の1割に達する官軍を預けろ、
と言って「ハイそうですか」と言って預けるとも思えない。
今が最高の攻め時だとしても、俺による対馬侵攻は無いと俺は考えていた。
形だけでも褒賞を与え、軍を解散すべきかと悩んでいるときにそれはやって来た。
「漢陽より急使が参りました」
幕屋の外からパク・シルが声を掛けてきた。
「通せ」
パク・シルの後に続いて、やや疲れを滲ませた官服を着た男が入って来た。
両手に捧げ持つように手紙を持っている。
「王世子様にご挨拶を申し上げます……」
「ご苦労だった」
それは、親父……宣祖からの命令書だった。
曰く、官軍3,000を率いて対馬に渡り倭寇の後始末をして来い、と言うものだった。
文面から受け取れる内容は、対馬を朝鮮国内として扱うものだ。
ただし、一地方の反乱を糾弾するのに3,000の官軍は多い。
実質的な対馬攻略を目的としていると考えて良いだろう。
元均の敗戦が中央にも倭寇へ対する危機感を煽らせたようだ。
結果としては倭寇を退けたものの、元均敗北の衝撃は大きかったと言う事だ。
この時代、情報の伝達速度は遅く、精度は悪い。
王宮辺りでは、元均は一度は敗北したものの、捲土重来を果たしたと取っているのだろう。
まあ、俺の評価が変に上がるより安全面では都合が良い。
3,000の兵を俺が指揮出来るはずは無い。
現代日本の自衛隊であったとしても、俺には過分な兵数だ。
故に複数の将軍が俺の下に付くことになる。
親父……宣祖からの命令書にはその二人の名も記されている。
その二人の名前を見て、俺は思わずほくそ笑んでしまった。
「……成る程。東西の鬩ぎ合いの結果と言うわけか」
一人は予想通り、元均。
そしてもう一人は、俺の宿敵たる東人からだった。
「会いたかったぜ。英雄さん」
俺の口から、思わず独り言が溢れた。
もう一人は、前世の壬辰倭乱の英雄。
そして、俺の敵対勢力たる東人の将軍、李舜臣だった。
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