表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/15

六月に滴る恋 前

六月半ばを過ぎた頃、

俺は、予備校最寄り駅にあるコンビニで文房具を見ている。


***


五月の終わりは、

「おすすめの参考書を渡す」ことを主な理由として、小楠さんに会いに行った。


本当は、この「参考書」を理由に、何度も会いたいと思ったが、

出し惜しみは小楠さんの勉強に悪影響だと思い直して、

結局、全部持って行った。


早く着き過ぎて、Mt.Bookで時間を潰してから予備校に向かう。

フリールームの奥に、あの小さな背中が見えたときには、心臓の音が耳まで聞こえた。


「小楠さん」

と呼びかけながら隣に座ると、

小楠さんは、ワァとかお疲れ様とか言いながら俺を見て、

「髪切ったんだ!」

と愛想よく言ってくれる。


「あー、久しぶりに床屋行った。2年ぶりくらいかも。」

「えー!これまでは、まさか自分で?」

「机のハサミとかで……」


俺が前髪をプツンと切る仕草をすると、小楠さんは弾けるように笑う。

一瞬、フリールームの視線が俺たちに集まり、小楠さんは肩をすくめて小さくなった。

それを見た俺が、少し肩をすくめてみせると、

小楠さんは顔を隠すようにして必死に笑いをこらえる。

俺は――

――二人で罪悪感を共有したことが嬉しくて、ただただ、くすぐったい気持ちだった。

この勢いを借りて、俺は聞いてみる。


「前に渡した問題集とか、分からないところあった?」


「あった!――聞いてもいい?」


――髪を切って良かった。

小楠さんに笑ってもらえて、自然に会話を続けられる。


「おー、どこ?」


小楠さんは、質問したいページにきちんと付箋を貼っていた。


俺はリュックからサークルのチラシを引っ張り出して、

その裏に式や図形を書いて説明する。

授業前のフリールームはざわついていたが、

――俺はこの場所に、小楠さんと二人きりのような気がした。


紙をよく見せるという体で小楠さんに少し身体を寄せる。

小楠さんも覗き込む――


「小楠さん!」


女子の声。


「これから生物だよね?」


俺はそちらを見ない。

が、視線が痛い。


「――彼氏さん?」


「あ、ううん。YNで一緒だったけど、Y大合格してて……教えてもらってて……」


その会話は、俺の喉の辺りに引っ掛かっている小骨を何度も動かす。

さっきまで、ほとんど有頂天の俺だったが、今は灰色の海に沈みかけている。


「いいなあ!今度私も教えてもらいたい!」


俺はようやく顔を上げて、その女子をチラリと見て、小楠さんに聞く。


「もう授業始まる?」


「あ、うん……」


――その女子はまだ立っている。


俺は言葉に詰まったが、「じゃあ帰るわ。」と、机に出したものをリュックに片づける。


「あ、その紙はもらっていい?」


小楠さんは遠慮がちに、俺が説明に使ったサークルの紙に手を伸ばす。


――その女子はまだ立っている。


すると、俺に聞こえるか聞こえないかの、小楠さんの小さな声がする。


「残ったのは今度聞きたい……」


俺は小楠さんをチラリと見た。

小楠さんが申し訳なさそうにうつむいている。

――灰色の海は、一瞬でマリンブルーの海になる。


俺は、やけに大きな動作でリュックを背負い、

一瞬、その女子の視界から小楠さんを隠すようにすると、

素早くささやいた。


「後で連絡する。」


小楠さんはうつむいたまま、クシャクシャッと笑ったが、

すぐに、まだ立っているその女子に言った。


「今日は3A教室だよねぇ?」


「今から行く?一緒に行こう。」


しつけェな、一人で行けよ……と俺は思ったが、これ以上は留まれない。

俺はそれ以上話し掛けられないまま、フリールームを出た。


***


北側の裏門から出て、線路沿いの道まで来ると、

後ろから「早瀬君」と息せき切った声がする。


「これ……渡し忘れた!」


小楠さんがコンビニの小さな袋を差し出す。


「バナナクレープなかったけど…マスカットクレープがあったから……

本もらったり、教えてくれるお礼!」


張り付くような六月の日差しの中、

小楠さんがいたずらっぽく笑っている。


挿絵(By みてみん)


「いや、お礼とかいらねェし……」


「お礼というか、供物だよ。合格早瀬君だし。」


「それ、招き猫だろ?」


俺は吹き出した。

暑いし、小楠さんには授業があるし、もう迷えない。

――俺は受け取った。


「じゃあ……

――あ、授業大丈夫?」


「全然、大丈夫じゃない!」


小楠さんはまたクシャクシャッと笑うと、

「今日は本当にありがとう!」と言いながら走って戻っていく。


その小さな背中が曲がり角で見えなくなると、

俺は日陰のない線路沿いの道を、

遠慮のない日差しに首元を焼かれながら、

駅まで歩いた。


溶けそうなマスカットクレープを手に、

俺も、

「ありがとう」の一言を言えれば良かった、

と思いながら。


完結済み長編『神鼠の大王は猫を愛せない』も公開しています。


ダーク寄りの恋愛ファンタジーですが、よろしければこちらもどうぞ。


https://ncode.syosetu.com/n3214mc/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ