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五月に走る恋 後

※読みやすさを考え、「五月に走る恋」を前後編に分けました。内容に大きな変更はありません。

***


ちょうど来た電車に乗ると、

やけに弾力のある緑の座席に、俺はドッと腰を下ろした。


加速する電車の窓の外で、

古いビル、新しい家、神社の新緑やらが、

後ろに走り去っていく。


頬までせり上がって来るような胸の動悸が、

全速力で走ったためかどうか、

俺には分からない。


手癖のように携帯を取り出す。

クラスのコンパ、

サークルの例会、

木島からの誘い、

平野の相談……

機械的に上から開いていく。


――急に俺の心臓がガチンと鳴った。


小楠さんからメールだ。


本のお礼だろうと思いつつ、

さっさとメールを読んでしまうことが惜しくて、どうでもいい天気の通知を開く。


ちょうど家の最寄り駅に着き、

ドアを飛び出た俺は、ホームに立ったままメールを開く。


やはり、本のお礼……

気立ての良さとひょうきんさがにじむ二、三行。

小楠さんらしい。


が、それに続く二行は、余りにも予想外だった。



――今度もし来てくれるなら、連絡をくれると嬉しい


――その時間には、予備校にいるようにしたいから



俺は、人もまばらな階段を二段飛ばしで駆け上がった。

家までの急な上り坂をチャリで一気に走る。


やべェ ――また会える

 やべェ ――確実に会える


  やべェ ――やべェ!


家のドアを開けようとする瞬間、

中からN大4回生の兄貴と彼女らしい人が出てきた。

彼女は他大だが、就活か何かで出会ったらしい。

何度か親がいないときに家に連れてきていて、勘弁しろと思っている。


「こんにちは。」


高い声が響く。兄貴は気まずそうだ。

それなら連れてくるな、と普段なら苛つくが、

俺の頭は、小楠さんからのメールで溢れかえって、そんな余地はない。


「弟君って、Y大の何学部?」


「え?――あ、O学部……」


「えー!すごい!」


まだ何か話しそうな雰囲気を感じ、俺はちょっと頭を下げると、

脇をすり抜けて、靴を脱ぎ捨てる。

ドアの鍵を閉める音と「結構背が高いよね。」という高い声が耳に届くと同時に、

俺は部屋に飛び込んだ。


***

部屋の片隅の段ボールを開いて、

一つずつ宝物のように取り出して確認する。


前は、なるべくきれいなものと思っていたが、

手垢のついたものでいいんだ。


それに一冊全部、必ず役に立つものじゃなくてもいい。

必要なところをコピーしたり、

ちょっと説明するだけでもいいかもしれない。


会うんだから…


俺は、滴る汗を半袖の袖口でゴシゴシ拭くと、

携帯を手に取ってゴロリと横になった。


――今度もし来てくれるなら、連絡をくれると嬉しい


――その時間には、予備校にいるようにしたいから


火照った顔に笑いが込み上げて止まらない。

俺はしゃんと座り直した。


――俺のおすすめはまだある


――次に行くときは連絡します


送信しようとして、悩む。

もっと――立ち止まるべきか?


トトトト……一度全部消す。


――了解です


四文字だけの、白い画面を見る。


俺は唇を噛みしめる。


――28点を晒されて頭を掻き、そっと答案用紙を内側に折って

――人の恋を応援し、

――自分の恋と受験は失敗し、

――合格した友人にマックに連れ出される。


視界にすら入っていなかった俺にも、気を遣って、

こんな……最高に嬉しいメールを送ってくれた。


その返信が「了解です」?


小楠さんの受験勉強のために立ち止まった方がいい……

と言うなら、会いに行かなければよかったんだ。


それを唐突に会いに行って、

優しいメールをもらって、

急に立ち止まって、

「了解です」?


こんな四文字――


こんな四文字――


今日、ハッとして俺を見た、

素朴な瞳が目に浮かぶ。


俺くらい、小楠さんを振り回さなくたっていい。

邪魔はしないけど、

絶対に振り回さない。

俺が、小楠さんを想って、勝手に振り回されて、

――勝手に走り続ける。


それで、いい。


俺は指を動かした。


――俺のおすすめはまだ結構あるよ


――小楠さんの都合のいいときに持って行きたいけど


――いつがいいかな


――今日渡した本の質問とかあれば、教えられるかも



送信ボタンを押した俺は、枕の下に携帯を突っ込んで、

また段ボールの本を整理し始めた。

――が、一分も経たずに携帯を見る。


そんなことを何度か繰り返して、

本を散らかしたままベッドに転がった。


仰向けになって携帯を見ようとすると、やたらと髪の毛が邪魔をする。

何か月も、床屋に行くのが面倒で、

伸びると自分でハサミで切っていたんだった。


(次に会うときまでに――髪、切るか。)


小楠さんからの返信は、まだ、来ない。


でも、


二の腕のほくろ、

Tシャツの肩に浮かぶ紐、

俺の視線とかち合った目――


今、このベッドに転がる俺には、


  ――これだけで、十分だった。



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