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醜い色

 新学期が始まった。

 部活動や、バケーションで日焼けした生徒達は、それぞれ日焼け自慢をしたりして教室は賑やかだ。

 一方、新学期が始まった。テストだ。と項垂(うなだ)れる姿もある。

 サトはいつもと変わらずに新学期を迎えていた。

 少し変わったといえば、亮太と目が合うことが多くなったような気がしていた。

 見られている。

 いや、僕が見ているからか。

 変な期待を胸の奥にしまう。

 この土日は、高校サッカー選手権予選の第一試合だ。

 クラスの女子たちが、亮太に話しかけている。

「見に行くね」

「亮太くんを見に行くんじゃないよ。先輩よ」

「試合でる?」

 女子だけでなく、男子からも囲まれている亮太をこっそり見る。

 

「好きな人って見ちゃうよね」

 そんな言葉が耳に入ってきて、びっくりする。

 別の席で恋バナをしていた女子の会話だった。

「見てるつもりなかったんだけど、目で追っちゃってさ」

「ああ、同じ塾の?」

「そうそう、夏季講習、ずっと一緒だったから、見てたみたい。無意識で」

「好きってバレた?」

「見てるよね。気持ち悪いんだけどって言われたー」

 キャーと盛り上がっている。

 無意識で……。

 気持ち悪い……。

 そうだよな。気持ち悪いよな。

 僕が見てるから、目が合ってるだけ。そう。それだけ。


 日曜日。

 サトは、スケッチブックを持って、サッカー予選の第1回戦試合会場にいた。

 人が多い場所は苦手だ。

 特に、闘争心に沸き立っている人達は、色が濃くなって怖い。

 赤、青、黒のような濃い色が、混ざり合う。

 そこにはないはずの炎があがって見えた。

(ちょっと、近寄るのはやめておこう)

 遠くなってしまうが、少し離れたところから、観戦することにした。

 ここならスケッチも出来る。

 亮太は出場しなかったが、アップしたり、応援したりとベンチにいる姿は、緊張感と相まって全て勇ましく見えた。

 単純に目が釘付けになるくらい、かっこ良かった。

 第1回戦試合は勝利した。


 見に来て欲しい。描いて欲しいと言った亮太の言葉を真に受けて大丈夫だったかなと不安になったが、それはすぐ解消された。

 スマホにメッセージがきていた。

『見に来てたよな? 出られなかったけど、次も見に来てよ』

『あと、俺のこと描いた? 絵、見せてな』

 何度も読み直す。

『絵、描いたよ。次も絶対見に行くよ』

 それだけ返して、ベッドに転がり込んだ。

 目を瞑って、今日の亮太を思い浮かべてから眠りについた。

 

 サッカー予選の第2回戦。

 スケッチブックを持ったサトの横を同じクラスの亮太と仲の良い男子が通り過ぎた。

 確か、橋本とかいう名前だったはず。

 橋本の隣には、近くの女子高の制服を着た女子も一緒に居る。

 ベンチの近くに行き、「亮太」と手を振っている。亮太も手を振り返していた。

 他校の女子が亮太に手を振っていることが面白くない同じクラスの女子たちが、ヒソヒソ話をしながら睨みつけていた。

 そんな様子を知ってか知らずか、余裕の顔でまた手を振っている。

 なるべく知った顔から離れようと思っていたのだが、席が埋まってしまって動けなくなってしまった。

(今日は、絵を描くのはやめておこう)

 すぐ近くで、橋本と女子高の生徒が話している。

「あれ、それって、この前買いに行ったやつ?」

 女子生徒の鞄には、ユニフォームを着たクマのぬいぐるみがついていた。

「そうそう、買ってもらったの。あと、ユニフォームも買ってたよ」

「ああ、レプリカな」

「……っ」

 買い物。この子と行ったのか。

 そうか……。

 モヤモヤとした気持ちから、この後の会話で、一気にどん底に落ちていった。

 

「付き合ってどれくらいだっけ」

「まだ1か月くらいだよ」

「どうやって知り合ったんだよ」

「サッカー部の人が紹介してくれた。一目ぼれって言われちゃた」

 うふふ。と軽やかに笑う彼女に、ちぇっと舌打ちした男子生徒。

 その後のことは、よく覚えていない。

 気が付いたら、家に着いていた。


 覚えているのは、今日の試合も亮太は出ていなかったということと、彼女が出来たということだった。

 試合は、勝ったらしいことは帰りの雰囲気で察した。

 もう、行かなくてもいいかな。

 いつの間にか、頬が涙で濡れていた。


 *****

 

 美術部では、そろそろ市主催の美術展覧会に向けて動き始める。

 個人でテーマを持って、応募するのだ。

 絵、彫刻、陶芸。

 それらが全て展覧される。

 学校だけでなく、企業も参加する大きなイベントで、応募された制作物は、有名な評論家やプロからの視点で評価される。

 そして、優秀な評価がついた作品は、市内のあるゆる場所に展示される。

 大きな芸術のイベントになっている。


「テーマ、タイトル決めたら、紙に書いて出してくれ」

 部長が一人一人に用紙を配って歩く。

 

 あれから、サトは空っぽになっていた。

 しばらく絵を描いていない。

 亮太の絵を描いていると、涙が溢れてくるからだ。

「サトくん、大丈夫? 最近、絵描いてる?」

 京香が心配して声をかけてくれる。

「ああ、はい」

 描いていない。

 何を描いたらいいかわからない。

 京香が、校庭に行こうと誘ってくれた。

 外でスケッチすれば、何か描きたいものがでてくると言われて。

 練習をしている亮太を見つける。気付いた亮太が軽く手をふってくれた。

 きらきらとした彼の笑顔に胸がときめく。

 でも、苦しい。

 ふと、校庭の外を見ると、あの女子高の彼女がサッカー部の練習を見ていた。

 他校だから校内には入れない。だから、外から見ている。健気に見ている姿に苦しくなる。

 彼女なんだ。

 付き合っている。

 僕なんかがかなうわけないだろう。

 見ていたいけど、見られない。

 見つめられたいと思うのは、好きな人にだけだから。

「京香先輩、ありがとう。僕、部室で描きます」

 そう言うと、サトは校舎の中に入って行った。

 

 部室で絵が描けたわけではなかった。

 部長からもらったテーマを書く用紙と真っ新(まっさら)なキャンパスを部屋に置いて、そのままベッドに倒れこんだ。

 なんだか頭が痛い。身体もだるい。いつの間にか眠っていた。

 そのまま朝を迎えた。

 母親の呼びかけに目を覚ます。

「あらら、熱あるわね。今日は学校やすみなさい。 お母さん仕事に行ってくるから、冷蔵庫に色々入ってるからね。ちゃんと食べるのよ」

 ……風邪か。

 昨日よりは頭の痛さはない。今は喉が痛い。

 起き上がって、冷蔵庫から水を飲む。

 お腹が空かないので、その水だけ持って、部屋に籠った。

 ベッドに転がり込んで、目を閉じる。

 よくドラマやアニメでは、失恋した主人公が、「死にたいとか、何もいらないとか」そんなことを言う気持ちが少しわかった。

 熱のせいなのかな。

 このまま死んでしまったらいいのにな。とか、こんな世界なくなればいいとか……普段だったらアホだろうという考えが浮かぶ。

 どうして僕は男なんだろう。どうして亮太が好きなんだろう。亮太はなぜ彼女を選んだのだろう。

 僕は、幼馴染で友達なだけだ。

 見ているだけで良いと思ってたのに……本当は見られたい。(さわ)りたい。触られたい。

 欲望の塊だ。嫌になる。

 喉が痛くて、頭も痛くなってきた。

 また眠りに落ちていった。

 気が付いた時は、昼すぎで、カーテンを閉めた薄暗い部屋の中でスマホの明かりがメールの知らせを告げていた。

 亮太からだった。

『風邪ひいたって? 帰りになにか買っていくから欲しいものあればメール入れといて』

 欲しいもの。それは、亮太だよ。亮太だけ。

 そんな気持ちに蓋をして、起き上がる。

 頭の痛さは無くなっていた。少し喉が痛い。

 そして、お腹が空いていた。

 ははっと自嘲的に笑う。何が死にたいだよ。腹が減って起きるなんて……。

 冷凍食品を温めて食べる。

 昨日は風呂も入らずに寝てしまった。汗をかいて気持ち悪くなった身体をシャワーで洗い流した。

 風呂上り、洗面所の鏡をみて驚いた。

 なんて、僕は酷い顔をしているのだろう。

 僕は、今まで自分の色は見えたことがなかった。

 今鏡に映る僕の色は、汚らしい。なんとも言えない濁った色が幾重にも折り重なって、目も鼻も見えなくなるくらいそれが覆っている……気持ち悪い。

 ――僕は、こんなに醜いのか。

 好きな人を見つめる人の色は淡く美しい色が見える。

 亮太の彼女もそうだった。

 こんな僕が見つめちゃ駄目だ。金色の輝きをもつ亮太を汚してしまう。

 部屋に籠り、今鏡でみた自分の絵を描いた。

 何枚も、殴る様に描き続けた。

 部屋の鍵を閉めたまま、ずっと絵と向き合っていた。

 母親も帰ってきていて、部屋をノックしてくれたらしいが、全く聞こえなかった。

 しばらくして、部屋のノックがして、亮太の声がした。

「サト、大丈夫? 俺のメールみた? 寝てる?」

 その声で我に返り、絵を描いていたことと、日が暮れていることに気付いた。

 部屋のドアを開けると、亮太が心配そうな顔をしていた。

「大丈夫だよ。ありがとう」

「そうか、プリン買ってきたから、おばさんに渡しといたよ」

「亮太、サッカーユニフォームのレプリカは、買った?」

 急な質問に、亮太の目が泳いだ。

 慌てている。

「ああ、うん。友達と買いに行った」

「友達?」

「そうだよ。ごめんな。一緒に買い物行こうって言ってたのに」

「いいよ。僕なんかと居ない方がいい」

 その言葉にムッとした亮太の手が、サトの肩を揺らす。

「なんで? なんで、そんなこと言うんだ」

「言葉通りだよ。僕は亮太のそばに居ないほうがいい」

「は? 俺の試合見に来て、絵を描いてって言ったよな?」

 亮太が怒っている。

 なんで? なんで、そんなに必死になるの?

「今、展覧会に出す絵を描いていて忙しい。試合も見に行かない」

 怒った顔から、サッと血の気が引いていくような青い顔になった亮太を見つめる。

「ごめんね」小さく呟いてドアを閉めた。

 

「サト、風邪が治ったら、試合見に来て」

 部屋から離れていく足音と、玄関の締まる音で、一気に力が抜けて、座り込む。

 膝を抱え込み、額を膝につけたまま、しばらく動けなかった。

 涙だけが止まらなかった。

 

 もう一日、学校は休んだ。

 その翌日に、サッカー予選ブロック決勝が行われた。

 僕は、試合会場には行かなかった。

 負けたということを翌週学校に行って知った。

 この週末、亮太がサトの家を訪れることがなかったからだ。

 毎年、高校サッカー選手権大会決勝に進める常連校ではないが、決して弱い学校ではない。

 士気が高まっていた所で、ルーキーの出場で会場は沸いていた。

 今年の選手に選ばれた一年生は、他所(よそ)の学校からも注目されていた。

 目を付けられていたといえばそうなのだろう。

 亮太が出場し、相手選手のファールで、足を負傷した。

 右足の捻挫。

 サトは、亮太の捻挫のことも学校に行ってから、足を引きずって歩く姿で知った。

 学校で会っても、亮太は変わらず笑顔を向けてくれるが、どこかよそよそしい。

 サトも、どういう態度をとったらいいかわからず、避けてしまっていた。


 サトが描いた絵には、『空っぽ』というタイトルを付けた。

 その絵を顧問に渡す。

「ほー。これは中々秀逸なものができたな」

 顧問は、そう褒めてくれたけど、僕にはわからなかった。

 美術部の作品は、まとめて市に提出する予定だったが、サトの作品が早くに出来上がったこともあり、それだけ早く提出された。

 「(たいら)、まだ提出時期に余裕があるから、他の絵も描いてるなら出していいぞ。後は、やることなくなったなら、他の部員の手伝いをしてやれ」

 顧問の言葉に頷き、お辞儀して、職員室を出る。

 サトは、もう絵を描く気力が失せていた。

 他の絵なんて描けない。部活は、手伝いだけで参加した。

 京香は、サトの様子がいつもと違うことに気付いて心配してくれていたが、何も答えられなかった。

 心配してくれていることに、かえって申し訳なさが募る。

 『空っぽ』とつけた絵は、あの日、鏡で見た自画像を描いた。

 汚い。醜い。顔半分が見えなくなるように色を重ね、見えている目だけが薄気味悪い光を放っている。

 絵を描き上げてから、心の中にあったどす黒い塊が消えた。

 消えたというより、心にぽっかりと穴が空いたようなそんな感じだった。

 そして、鏡の中で見た、醜い色も見えなくなっていた。


 絵画教室に行っても絵を描く気にはなれなかったから、しばらく休もうとしていた。しかし……。

「描かなくてもいいから教室には来て欲しいわ。色々手伝って欲しいのよ」

 松岡小百合にそう言われて、しぶしぶ教室に通った。

 美術展覧会は、地域の絵画教室も協賛する。

 小百合もスタッフとして、応募された絵画を確認していた。その中に、サトが提出したものも見ていた。

「展覧会に出す絵、見たわよ」

 サトはビクリとした。

 別に悪い事をしたわけでもないのに、小さい子が悪さをしたのを見つかったような後ろめたさがあった。

 おそるおそる小百合の顔を伺う。

 小百合は、いつもと変わらない微笑みのままサトを見ている。

「絵が上手くなったと思った」

「あれは、サトくん自身?」

 真っ直ぐに見られて、思わず目を伏せて「はい」とだけ返した。

 

 絵画教室が終わって、片付けを手伝っている最中。

 小百合は、生徒の絵をまとめ、サトは、パレットや筆を洗っていた。

 洗い終わった道具を一緒に布で拭く。

「何があったのか話せる?」

「……」

「亮太君と喧嘩した?」

 亮太という言葉に、サトの肩が、びくりとした。

「小さい頃から、サトくん見て来てるから……ここ最近のアナタの変化は感じてたんだけど、間違っていたらごめんなさい……」

 言葉を選ぶようにゆくりと話を続ける。

 ――サトくんが絵を描く最初のきっかけは、色が見えるということだったと思うけど、段々と絵を描く事が楽しくなっていると感じたの。アナタのスケッチブックに描かれている亮太くんを見た時は、生き生きしている絵にホント驚いた。絵を描き続けて欲しいなと思った。……なにか、嫌なことやショックなことがあっても、アナタの好きなものを書き続けて欲しい――。

「……描けないんです」

 うつむいたまま言うサトに、小百合は続けた。

「サトくんの夢ってなに?」

「……わかりません」

「私はね……夢を諦めてたんだけど、教室で子供たちの絵をみているうちに、彼らの自由な発想や希望が私の力になった。欲しいと思ったものを思い続ける力が湧いたの……」

「……」

「いつまでも、希望はもったままでいて。どんな形になるかわからないけどその想いは形となるはずだから」

「先生は? ……希望が叶った?」

 顔を上げたサトは疑うような怯えたような瞳でなげかける。その瞳を真っすぐ受け止めて「叶った」と言った。

 そこに、生まれたばかりの小さな結晶が、ちりばめられていた。

 透明の中にうっすらと輝く色が、見えた。

 なにが? とか、どんな? とか色々聞きたかったけど、聞かなかった。

 小百合の微笑みは、絵画教室に初めて通い始めて不安だった時にくれたものと同じで、安心感で胸がいっぱいになった。

 胸につっかえていた何かが取れたようだった。

「先生、絵は描き続けたい。まだ、どうしたらいいかわからないんだけど……教室には来ます」


 *****

 

 市主催の美術展覧会が開催された。

 美術部員全員と顧問で学校帰りに会場へ向かう。

 会場の中は自由行動で、サトと京香と部長で、見て回る。

 絵画のフロアーに三人の絵が、張り出されている。

 サトは、京香と部長の絵を見て素直に驚いていた。

 いつも部室で絵を描いている時とは違う仕上がりの絵に息をのんだ。

 タイトルは『すき』

 京香の絵は、蔭谷祥(かげたにさち)が高跳びをしている姿だった。

 真っ青な空に向かって飛びあがる祥が美しく描かれていた。

 水彩画特有ののびやかでかつ淡い色が素晴らしく、しばらく目が離せなかった。

「京香先輩が羨ましいです」

 小さく呟いたサトの言葉に、京香は微笑んだ。

 ――好きな人をこんな風に描けて羨ましい。


 部長の絵は、夏休みに家族旅行で行った立山連峰の景色画だった。

 アクリル絵の具で彩られた絵は自然の広大さを表していて、やっぱりこの人上手だなと思った。

 京香も部長も小さい頃からサトとは違う絵画教室に通っている。

 スケッチしている絵は、いつも上手だなと思っていたが、改めて絵具がのったものは迫力がある。

 客観的に見て、自分の絵がどんな風に見えているのか恐ろしくなった。

 絵を描き上げた時は、もう描けないからというだけでそのまま提出したのだ。

 その絵が、良い仕上がりかどうかなんて判断できなかった。

 絵画最後のフロアー壁に、『空っぽ』というタイトルの絵があった。

 今までみた、色とりどりの絵から外れた気味の悪い絵が目の前にあった。

「サトくんの絵……迫力があるわね」

 京香の言葉に部長も頷く。

 僕は、見ていられなかった。

 酷い絵だ。

 汚い絵だ。

 下を向いていたサトに、顧問が近づき声をかけてきた。

「平、お前の絵、だいぶ良い評価ついてるぞ。もしかしたら市内に飾られる一枚かもしれないな」

 毎年、良い作品は、市内のどこかに飾られる。

 ローカルの紙面や小冊子に掲載されることもある。

 その言葉に、京香も部長も喜んでくれたが、サトは早くこの場から去りたかった。



 サトの絵は、顧問の言葉通り、市内に飾られる一枚となった。

 学校にもローカルのテレビ局が来て、取材を申し込まれるなど、サトは時の人となっていた。

 今まで、サトのことを気持ち悪いと言っていたクラスの女子も「サト君て芸術家なのね」なんて心にもないことを言って話しかけてくる。

 あの絵は、好きじゃない。

 それでも、初めて他の人から絵を褒められたことが嬉しくて、心の中で浮足たっている自分が居た。

 絵を描こう。

 他の絵を。

 そう思っていた。

 でも、鉛筆が動かなかった。

 

 季節は十月になった。

 偶然、サトの母親と亮太がマンションの前で鉢合わせをし「今日は、栗ご飯だから、食べにいらっしゃい」と誘ったようで、一緒に帰ってきた。

 サトが帰ってきたのは、その数分後で、亮太の姿を見るなり固まってしまった。

 亮太はケガをしてから、サトの家には一度も来ていない。

 学校では見ていたが、久しぶりに自分の家にいる亮太を見て、心が高揚した。

「ひ、久しぶり」

「おう」

「足、大丈夫?」

 足首にはまだネット包帯が見えていた。

「ああ、うん。もう大丈夫だけど、捻挫はクセになるからな。ちゃんと治しておくように先輩からも監督からも言われた。」

「そうなんだね」

 良かった。普通に話せる。

 そう。友達。僕たちは幼馴染。

 だから、このまま。このままでいいんだ。

 彼女、元気? なんて話せたら一番いいのだろうけど、そういう軽口が出てこない。

 

 亮太が、リビングのテーブルに置いてあった、ローカル新聞に目を留めた。

 紙面には、サトの描いた絵が載っている。タイトル『空っぽ』。

「これ、俺見たよ。すごい迫力だと思った」

「え? 見たの?」

 亮太は頷き、紙面を手に取った。

 紙面に書かれている文字をみる。サトが写真と共に取材を受けた文章が載っていた。

 ――夢中で描いて、気が付いたら出来上がっていました。…………このような良い評価をもらえて嬉しく思います――。

「俺は、この絵は好きじゃない」

 小さく呟いた声と亮太のひどく寂し気な瞳が、僕の胸を貫いた。

 亮太の色が、灰色に濁っていく。急に雨雲が覆いだしたように不安になる。

 そういえば、最近の亮太の色は、濁って見えることが多くなった。

 その後、夕飯を一緒に食べたが、全く味がしなかった。

 亮太は、栗ご飯が美味しかったと、レシピを友達に教えたいからと母に聞いてメモを取っていた。

 亮太が帰った後、「彼女かしら。知ってる?」とさっき聞いたレシピは、最近知り合った女の子に教えるんだそうよ。と教えてくれた。

 心がチクチクと痛んでしょうがなかった。

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