ずっと変わらない
サトは、肌の色が白い。
小さい頃は、可愛らしく見える色白も、高校生の男にはアンバランスで気持ちが悪い。
日焼けしようにも赤くなって終わり。
中学生の時にビーチで調子にのって日焼け止めも塗らずに遊んでいたら、真っ赤になって肌が腫れあがってしまった。
その後、ボロボロと皮がむけ、自分が別の生き物になったような嫌な気分だった。
それ以来、日焼けをしようと思わなくなった。
一緒に来ていた亮太は、こんがり小麦色に焼けていて、中学生には見えない色気がそのころから備わっていた。
僕の性的指向は、その頃はっきりした。
ビーチできわどい水着姿の女性より、男性の姿に目を奪われていたし、なにより水着姿の亮太を凝視していた。
最初は、それがどういう意味なのか自分でもよくわからなかったが、母の兄に会って、確信した。
英康おじさん。
ずっと海外で暮らしていたが、都内でバーを経営することになったということで、そのお祝いにお店へ行ったのだ。
母に兄がいることは知っていたが、あまり話題にも出てこないので、たいして気にも留めていなかった。
じいちゃん、ばあちゃんと英康おじさんの関係は希薄だったが、母と英康おじさんは連絡取り合っていたみたいだ。
ビルの隙間にある怪しげな店は、中学生のサトには刺激が強かった。
今でも鮮明に覚えている。
開店前だったから、客は、母と僕だけ。
重々しく開かれたドア。中は薄暗い。
良い香りのするおしぼり。
壁に並べてある無数の酒瓶。
母の前に置かれた色合いが美しいカクテル。
初めて見る、母の母じゃない女性としての顔がそこにあった。
英康おじさんは、 サトと似ていて、肌も白かった。
清潔感のある綺麗な人だった。
「綺麗な肌は良いことだから大人になっても自信をもてるくらい手入れしておきな」
そう言われた。
それまで、嫌で嫌でしょうがなかった白い肌も、その一言が腑に落ちてしまった。
第二次性徴期を遂げ、体毛の存在が気になる年頃だ。
濃さは普通だろうけど、肌のせいで黒が目立つのだ。
まだ髭には見えない、口の周りの毛が濃く見える。
剃刀負けして、切れた肌も、それはそれで目立つ。
ずっと嫌だと思っていたのに……。
おじさんの凛とした風貌に圧倒された。
英康おじさんは、薄い紫の色が見えた。
責任感の強い、優しい人なんだな。と感じた。
「サト、困ったことがあったら、わたしがいるから大丈夫よ」
僕からは何も言わなかったけど、帰り際におじさんが、それだけ言った。
数日経ってから、ネットで店のことを調べると、会員制のバーと書いてあった。
口コミには、LGBTという文字が入っている。
聞いたことのある言葉だ。
なんとなく知っているようで知らない。
インターネットでそれらの言葉を調べて、納得した。
G ゲイ 自分の性自認が男性であり、男性に性的、恋愛的な魅力を感じる人。
英康おじさんは、きっとそうなのだろう。
――僕もゲイなんだ。
女性より男性に視線が行くのも、気になるのもそういうことなんだ。
だから水着姿の亮太から目を離せなくなった。
触れたい。触れられたい。
――性的、恋愛的――。
いや、友達で、幼馴染だから……好きだけど、好きだけど……違う……。
複雑な感情がぐるぐると渦巻く。認めてしまうのが怖かった。
*****
亮太と出かける日になった。
マンションの隣同士だけど、なぜだか駅で待ち合わせしようと亮太に提案された。
前日の朝、スマホにメッセージが届いた。
『前に言った、出掛ける話、明日でどう?』
朝からそんなメッセージを見て、学校行ってからもずっと上の空だった。
返事は、オッケーしたが、着ていく服、髪型、どうしよう。大丈夫かな。とずっとそんなことを考えていた。
結局、前日でどうにかなるものでもなく、いつもの洋服、いつもの髪型になってしまった。
日曜日、昼前。初夏のムッとする暑さと、真っ青な空が今日の一日の晴れを教えてくれている。
指定された場所の大きなモニュメントの前には、待ち合わせなのか、沢山の人がいる。
まるでデートみたいで、ドキドキする。
だけど、すぐに何を舞い上がってんだと落ち込む。
指定された場所で待っていると、キラキラした男の子がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
亮太だ。
周りの女子がヒソヒソと話す言葉が聞こえてくる。
「あれって、キョウヤ?」
「違うわよ」
「でも似てるよね」
「かわいい」
たしかに、亮太だ。洗練された格好に芸能人のような雰囲気が重なり、息をのむ。
「サト、ごめん。待たせた」
いつもの微笑みなのに、なにか違う。
「髪型、変えた?」
サトの指摘に、亮太が頭を掻きながら答える。
「美容室で、キョウヤの写真見せてやってもらったんだ」
サイドを短めにカットして、分け目を変えたスタイリングは、あの雑誌に出ていたキョウヤと同じだった。
黙っているサトに不安そうな顔を向ける亮太の視線が目にはいった。
「あ、ごめん。びっくりして」
「変か? サトがキョウヤ推しっていうからさ……なんか、やってみた」
照れながら言う亮太の顔にキュンとする。
「似ていて、びっくりした」
そう言ったが、本当は、亮太がかっこよすぎた。
学校で見る彼と違い、洗練された雰囲気に見惚れていた。
少し、髪型を変えただけなのに、こんなに大人びた雰囲気を纏うようになった亮太がまぶしい。
こんな僕が亮太の隣を歩いてもいいのか。
周りの視線と、自分の気持ちが混合して落ち着かない。
「サト、俺、変? この髪型合ってない?」
周りからの視線に戸惑っているのか、そんなことを聞いてくる。
「りょ、りょうちゃんが、かっこいいからだよ」
「暁士……、りょ・う・た・だよ」
目を見つめられて言われる。
心臓の音が、聞こえちゃうんじゃないかと思うほど、僕はドキドキが止まらなかった。
待ち合わせ場所から数分の場所にあるアート専門の商業ビルに入る。
この中に、画材、版画、彫刻、などそれにまつわる専門店や小さなギャラリーが入っている。
よく行く画材店に入り、自分の得意分野に囲まれて、少し落ち着きを取り戻していた。
絵具のコーナーに向かう。
絵具にも沢山の種類があるが、サトは水彩画を描くので、その絵具を見ながらチラチラと亮太を見ていた。
亮太は、懐かしそうにお店の装飾に目を向けていた。
小さい頃は、親に連れて来てもらって、よく来ていたが……何年ぶりだろうか。
「八年ぶりくらいな」
そう、言われて、心が読まれたのかと心臓が跳ねる。
「そのくらいかもね」
隣に来た亮太が、サトが持っているチューブ入りの絵具を見て、「たくさんだな」と呟いた。
「そういえば、サトって、まだ色見えてるの?」
「……っ!」
突然そんなことを聞かれて目を丸くしたサトを微笑みながら見ている。
「覚えてたの?」
「色が見える。って、小さい頃言ってたよな。たしか、俺は金色だったっけ?」
小さい頃と同じ屈託のないままの笑顔で問われて、あの頃を思い出す。
――サト、おれ金色なの?。えー、なんかカッケー。
飛び上がりながら言ってくれた言葉を思い出す。
恥ずかしくなって、顔を下に向けたまま、こくりと頷いた。
「金色。すごくかっこいいよ」
小さく呟いた声に、満足気な顔をした亮太は、「俺が買ってやる」と買い物かごをサトから取り上げた。
その姿が、小さい頃に何かとかっこつけたがる強がり亮太のままで、思わず吹き出してしまった。
「なんだよ。笑うなよ」
「ごめん。でも、絵具……高いよ」
「え……」
結局、絵具はサトが自分で買った。
「じゃ、昼代は俺がだす」
亮太が息巻いて言ってくれたが、昼どきで、どこのレストランもすぐには入れそうにない。
ファーストフード店や、ラーメン店も沢山の人だ。
サトは人混みが苦手だ。
色が見えすぎて、気分が悪くなる。
それでも、小さい頃よりかは、だいぶマシになってきたのが。
亮太が、何かを調べてきてたのか、スマホを見て歩き出す。
繁華街の裏に入り込むような道を通って、小さなセレクトショップ、美容院が並ぶ1つの店にたどり着いた。
ランチをしているカフェだ。
さっきまで沢山の人がいたのに、ここは静かだ。
「美容室のお兄さんが教えてくれたんだ。サト人混み苦手だろ? ここは穴場なんだって」
色の話も、そのせいで具合が悪くなるという小さい頃の話を覚えていてくれた。
胸が熱くなる。
優しくてかっこ良い。
ランチを食べながら、亮太が昔の思い出話をしてきた。
昔、絵の先生の展覧会を見に行って迷子になった話だ。
「あれで、サト泣いちゃったもんな」
「……?」
「どうしよう。迷子になっちゃったって」
「ち、違うよ。泣いたのは、りょうちゃ、亮太だよ。その後、僕が母さんにそれをチクったら喧嘩になったんだよ」
「えー? そうだったかー? 喧嘩になったのは覚えてるけど」
と言う怪訝な顔の亮太に畳みかける。
「そうだよ。僕が慰めたら、泣き止んで笑ってくれた」
「うーん」
「その時、僕は……」
「うん?」
――宝物をもらったみたいに嬉しくなったんだ――なんて。そんなこと言ったら気持ち悪いよな。
「だから、僕は泣いてないよ」
そう言ってごまかすと、亮太は、なにか懐古するような目をして言う。
「うーん、そうか。あの後、喧嘩になって、しばらく話さなくて……寂しかったことは覚えてる」
(ああ、同じだ)
嬉しくて笑顔で返す。
「これ、旨いよな」そう言って、亮太はランチのロコモコ丼を掻っ込んだ。
サトも同じメニューを掻っ込む。
勢いが良すぎて、お互い、時々むせる。それを笑い合った。
髪型や雰囲気が大人っぽく変わっても、中身は亮太のままだった。
昔から知っている亮太が、僕を見てくれていることが嬉しい。
このままで。
ずっとこのままでいい。
ランチを食べた後は、人混みを気にしながら、亮太が行きたがっていたスポーツ用品店に行った。
好きなサッカー選手のユニフォームレプリカを目当てにしていたらしいが、売り切れになっていた。
「うわーくそー」
天井を仰いで、数分考え事をしてから、「ちょっと待って」と店の奥にいた店員さんへ話かけにいく。
少しして、亮太が戻ってきた。
「今度、入荷したら、連絡してくれるって」
スマホをいじりながら、「割とすぐらしいからさ」と呟いた後、サトを見つめてこう言った。
「また、一緒に出掛けよう」
「え? う、うん」
「やった!」そう言って笑う顔に胸が苦しくなる。
このままで。
このままでいいんだ。
僕の気持ちは……。知られてはならないのだから。
亮太のスマホが鳴った。店を出て、電話に出る。
僕は、少し離れたところから亮太を見ていた。
亮太の表情が少し曇る。困ったような顔をしながらも笑っていた。
電話を終えると「ごめん」と言って手を顔面で合わせて言う。
「この後、サッカー部の先輩にカラオケ誘われちゃって。サト……、一緒に行く?」
言いずらそうに申し訳なさそうに言う亮太。
優しいよな。
「行かないよ」僕もやんわりと返す。
「だよな……なんか……ごめん」
「大丈夫。久しぶりに……、りょ、亮太と出掛けられて楽しかったよ」
「俺も。また連絡するから」
真っすぐに見つめられて、恥ずかしくなったけど、僕も笑顔で返した。
*****
サトは、部活以外でもクラスで絵を描いている。
友達は少ない。
人の喜怒哀楽が見えるのは、疲れる。
態度や顔つきが平静を装っていても、色で見えてしまう。
だから、いつも適当に話を合わせて、あとは絵を描いている。
亮太は同じクラスで話しかけてくれるが、ほんの一言二言。つるむ友達が違う。
これで良いと思う。
僕たちが幼馴染で家が隣同士。だから帰りが一緒になったり、夕飯を食べたりという話は、知っている人はいるけれど、クラスメイトの女子は露骨に嫌な顔をする。
いわゆる妬みというやつだ。
僕の見た目が良いとか、頭が良いとか、運動部のエースであれば、納得がいくのだろうか。
こんなダサい奴が、亮太の隣にいて仲良くしていることは、特に女子にとっては異様な光景に見えるのかもしれない。
いつものように休み時間に絵を描いていた。
肖像画を描くと、決まって女子から気持ち悪いと陰口を叩かれる。
別に、アンタらを描いているわけじゃない。
と何度、心の中でボヤいたか。
サトが描いているのは、体育館でスピーチする先生の姿とそれを聞く生徒や、校庭で体育の授業を受ける生徒達の姿だ。ある程度、頭に記憶しておいたものを風景画のように描いている。
空間の奥行や陰影を表現することを意識して鉛筆をすべらせる。
そこへ京香が現れた。
「サトくん、あら? 練習なんて良い心掛けね」
声の主に顔を上げて、頷く。
「明日の部活だけどさ、隣の公園でスケッチするからね」
「わざわざ、言いに来てくれたんですか? 部長から連絡きてましたよ」
「違うわよ。祥さんが食堂へ行くのを見かけたから追いかけて、たまたまキミのクラスの前を通っただけよ」
周りで、ひそひそと陰口を叩く女子を見据えてさらに続ける。
「私もサトくんも美しい人しか描かないわよ。だから安心しなさい」
京香はそう言い捨てて、手の甲をひらひらさせながら、教室を出て行ってしまった。
教室にいる女子が目くじらを立てて騒いでいる。
京香が出て行ったドアを見つめて、サトは大きなため息をついた。
(全く……自分はいいけど、僕を巻き込まないでほしい。まあ、確かに京香の言う通りなんだけど)
「あの先輩すごいな」
亮太が目を丸くして、サトに話しかける。
「じゃ、俺も美しいのかな。あ、それはキョウヤか」
周りには聞こえないくらいの音量で問われて、目を丸くする。
そんなサトの表情を見て、フッと口元を緩ませた亮太は、いつもの友達に食堂へ誘われて教室の外へ出て行った。
キョウヤじゃない。亮太を描いているんだ。
言葉にしたい……でも、それはできない。
今日は、部活が休み。絵画教室がある日。
一旦、家に帰り、軽食を食べて準備をする。
絵画教室までは、電車で行く。
賑やかな街中を通り抜けて、市役所関連の建物が立ち並ぶビルの中にある。
「こんにちは」
挨拶してはいると、ここの教室の先生、松岡小百合がテーブルを出して準備をしていた。
サトに気付くと、にっこり微笑み「こんにちは」と返してくれる。
小百合は、土日の子供教室と平日夜の教室を担当している。サトが幼少期の頃は日曜日の教室に通っていた。
「手伝います」
生徒は、まだサトしか来ていなかった。
端に置かれているテーブルや椅子を運ぶ。
絵画教室の生徒は、全部で十人。
一番若いのが、サト。後は、二十代から七十代まで幅広い。
本格的に学ぶというより、趣味で楽しむ人がほとんどだが、時折開催される二科展などに応募する人もいる。
「サトくん、どう? 最近は?」
絵画教室は、2週間に一度。
最近といっても、何も変わったことはない。
おそらく『色』のことを聞いてくれているのだろう。
小さい頃に、それが悩みで絵を習い始めたようなものだ。
「落ち着いてます。人の色は、絵具で表せない。難しいけど面白です」
「そうね、サトくんがもっている能力を活かすのは、絵具だけではないかもしれないわね」
「……?」
「最近のサトくんの絵は、色がなくても色がみえる。それくらい人の表情の描き方、景色の陰影が上手になっていると思うのよ」
「……!」
嬉しい。
小さい頃から、絵はさほど上手ではなかったが、色の使い方だけは褒められていた。
最近は、鉛筆だけで描く練習をしていたからか。
細かい描写を褒められて嬉しくなった。
――こんにちは。
クラスの人たちが、ぞくぞくと教室に入ってきて賑やかになる。
「今日は、肖像画です」
先生が声を上げる。
二十代と思われる男性モデルが入ってくる。
こういうバイトがあるらしく、時々、均整のとれた体躯の人物を描くことがある。
キャメル色のパンツに、白色のシャツ姿、上から2つ目までボタンを外している。
髪の毛は、肩まで長く、口ひげがある。
整った見た目で、生徒の女性陣からため息が漏れていた。
モデルが椅子に座る。
皆、好きな角度から描くように位置を考えていた。
モデルの綺麗な顔立ちは、英康おじさんを思い出させた。
でも、色は濃紺で寒々としていて、冷たい印象があった。
スケッチに冷淡な男性像が仕上がっていく。
モデルの瞳はビー玉のように綺麗で、どこか寂し気で、空虚な感じがした。
描いていて、これほどつまらないものはなかった。
(――亮太を描きたい)
小さい頃からずっと変わらない。
亮太を描きたい。亮太を見つめたい。
見つめられたい。
湧き出た感情に蓋をする。
好きだと思う気持ちは、どこかで止めなければならない。
そう思えば思うほど、溢れてしまって苦しい。
「はぁー」
思わず、大きく出てしまった溜息に、皆がサトを見る。
ぷっと誰かの吹き出した声で、次から次へと笑いが起こる。
「サトくん、大丈夫か?」
「高校生は勉強も忙しいから」
「疲れている?」
「そろそろ夏休みだし、がんばって」
などと生徒の大人から次々と声が上がった。
「す、すみません」
頭を下げて、顔を赤くしながら、鉛筆を走らせた。
そうだ。あと一週間で夏休みだ。
*****
亮太は、選手に選ばれたようで部活動で毎日朝早く、帰りも遅い。
夏休みにはいって、ほぼ毎日、部活動に明け暮れている感じだ。
サトの家に夕飯を食べに来ても、よほど疲れているのか、食べるだけ食べてすぐに家に帰って行った。
二十人近くいる一年生の中で選手として選ばれたのは、亮太と他二人。
選手だからと特別扱いはされず、一年生としての雑用もこなしている。
そして、練習量も増えているのだから、毎日疲れているのは当然のはずだ。
夏休みは、美術部の主だった活動はない。
しかし、先生は学校に来ているし、部室も開いているので、何人かの部員が来て作業している。
特に、彫刻や陶芸は材料が学校に揃っているし、先生自ら制作していることもあって、その専攻の部員が来て先生の手伝いをしていた。
サトも絵を描くだけだが、学校へは毎日行っていた。
理由は、亮太がいるから。
校庭で練習に励む姿を見て、スケッチしている。
朝行って、昼前には帰ってくる。
時々、午後にも学校へ行くこともあるが、周りから変な目でみられないように別の場所でスケッチしたり、図書室に行ったりしていた。
今日は、京香から、祥の練習風景をスケッチするからと誘われていた。
堂々と校庭でスケッチできる彼女が羨ましい。
一足先に京香との待ち合わせ場所へ向かう。
走り高跳びの練習が見える場所は、ちょうどよい木陰になっていていた。
午前中とはいえ、夏真っ盛りの外は暑い。簡易椅子を置いて座る。
京香もやってきた。
その姿に気付いた祥が駆け寄ってきた。
京香もそれに応えている。
楽しそうに話す二人は、周りの目を気にすることなく、手を握り合ったりしている。
二人の色が溶け合って、とても仲睦まじい雰囲気が見えた。
京香が戻ってきて、スケッチの準備をする。
「仲が良いんですね」
サトは、ぼそりと呟くと、少し照れたように「そうね」と京香はそれだけ言った。
「告白したんですよね? それって、その返事ってもらったんですか? 二人は付き合っているんですか?」
突拍子もない質問に京香は目を丸くして、サトを凝視している。
(しまった。変なこと聞いた)
「付き合っているわけじゃないけど、良い関係性だと思っているわ。彼女、私の絵を好きだと言ってくれてるし。私も祥の飛ぶ姿が好き」
そう言うと、祥の方を向いて手を振っている。
「その、サトくんの質問は、恋愛的にということなのかしら?」
京香の質問に生唾を飲み込むしかなかった。
サトの返事を待つわけでもなく、「わからない」と彼女は小さく独り言のように呟いた。
それから、僕たちは、黙って鉛筆を動かした。
セミの鳴き声だけが響いていた。
スケッチが終わり、帰る準備をする。
京香はずっと黙ったままだ。
「京香先輩。すみません。さっき変なこと聞いちゃって」
「……変なことじゃないわ。サトくんの質問、変なことないわ」
京香はいつになく真面目な顔だ。
「好きって、わからない。いろんな意味があるものね。 でも、今は……このままがいい」
京香の朱色に近い鮮やかさが、少し濁って見えた。
悩み、不安という感情は、忙しなく揺れ動く。色も同じだ。
「わかります……」
そう答えたサトの声はすごく小さくて、京香に聞こえているかどうかわからなかった。
校庭では、野球部の練習が始まっていた。
今日は、サッカー部は休みらしく、サッカー部のエリアまで野球部の練習になっていた。
サッカー部がいないのに、亮太の姿を探してしまう。
大きな溜息を吐いて、学校を後にした。
夕方、スケッチブックを買いに画材店へ行き、その帰りに亮太と行ったスポーツ用品店をのぞいてみた。
亮太が欲しがっていたサッカーユニフォームのレプリカが置いてある。
入荷されたんだ。亮太に知らせなきゃ。
あ、でも店から連絡いってるか。
また、一緒に出掛けられる。
今は部活で忙しいから無理かな。
買って行ったほうがいいかな。
どうしよう。
考えを巡らせたが、今日は帰って亮太に確認してみることにした。
家に帰る道中、浴衣姿の人たちとすれ違う。
今日は、やたら目に付くと思っていたら『花火大会』の看板を見つけた。
近所でもその花火大会目当ての屋台が出ている。
小さな神社で祭りもやっていた。
人混みが苦手なサトは、行ったとしても、出店の食べ物を買ってさっさと帰ってしまう。
亮太は、毎年友達と行っていた。
今年も行くのかな。
マンションのエントランスで、母とぶつかりそうになった。
「どうしたの? 慌てて」
「サト、もう電話したんだから、出なさいよ!」
そうだ、なんか鳴ってたけど、家からだから無視していた。
「おばあちゃんが、具合悪いって言うから行ってくるわよ。もう熱中症かしら」
僕のおばあちゃんは、元気な人で、多趣味な人だ。
色んなことをして、少し張り切って、疲れてしまって、今日みたいに母がおばあちゃん家に急に出向くことがある。
きっと祭りにでも行ったのかもな。
「夕飯、適当になんか買ってちょうだい。また連絡するからスマホみといてよ!」
そう言って、足早に行ってしまった。
慌てている母の背中に「母さんも気を付けて」と言葉を送る。
しばらくその場で考える。
このまま、どこかに買い物に行こうか……。
亮太は、誰かと出掛けているだろう。
……家にあるカップラーメンでいいか。
と踵を返そうとしたときに、声を掛けられた。
「おっ、サト! 出迎えご苦労!」
亮太は、両手に袋をぶら下げていた。
あたりは暗くなってきていて、日焼けした顔の亮太が一瞬わからなかった。
「りょう、りょうた、おかえりなさい」
「さっき、おばさんとすれ違って、聞いたよ。うちでメシ食おうぜ」
と袋を顔の位置に掲げた。
「今日は、うちの母ちゃんも夜勤だしさ、出店のいい匂いにつられて沢山買っちゃったよ」
そう言いながら、ドアを開けて招いてくれた。
亮太の家に入るのは、久しぶりだった。
といっても、同じマンションの隣同士なので、同じ作りの部屋に新鮮さは感じない。
出店から買ってきた焼きそば、イカ焼き、たこ焼きやらをテーブルに並べる。
「かなり買ったんだね」
「ああ……、実は……サトの家に行こうと思ってたからさ」
はにかみながら言う亮太に目を奪われる。
「こういうのは外で食べる方が旨いだろうけどな。俺は……サトと食べたかったんだ」
「……」
顔が熱くなる。
嬉しくて死にそうだ。
「ぼ、僕もりょうちゃんと食べられて嬉しいよ」
「りょ・う・た」
頷くのが精一杯だった。
二人きりの食事。
そのうち、外で花火の上がる音がする。
二人して、窓を見る。
そんなシンクロした行動に笑い合った。
「小さい頃は、少しだけ窓から花火見えてたのにね」
サトは、自分の部屋の窓から花火の上のほうだけ見えたことを話した。
今は、マンションの周りに沢山の建物があって見えなくなってしまった。
「俺の部屋から、まだ少し見えるよ」
「え? うそ」
「ほんと、こっち」
亮太の部屋に入る。
机のところにある窓を開けて、指をさす。
確かに、少しだけ見えた。
「ほんとだ。へぇーすごい」
身体を寄せ合って外を見ていたが、あまりの近さに途中から花火どころではなくなってしまった。
すぐ隣にいる亮太の口からさっきまで食べていたソースが香る。
心臓の音が聞こえるのではないかと思うほど、鼓動が早い。
「の、残りの焼きそば食べちゃおうかな」
そう言って、そっと亮太から離れる。
「な、暁士」
薄暗い部屋の中で亮太が見つめてくる。
「AO1のキョウヤが好きって言ってたじゃん? なんで? 他にもアイドルいるだろう?……女のアイドルとかも」
「そ、それは……」
なんて言おう。キョウヤが好きなのではなくて、亮太が好きで。だから似ているキョウヤが良いと思っただけで。
――違う。
そんなこと言ったら、この友達関係がなくなるかもしれない。
「キョウヤが俺に似てるって言ってたじゃん? あれってホント?」
なんで、こんなこと聞くんだろう。
こくりと頷く。
「……」
「……」
亮太は真剣な目でサトを見つめたまま。何か言おうと言葉を選んでいるようだった。
「今度は、キョウヤの絵じゃなくて、俺を描いてよ」
「予選が始まるから、試合出られないかもしれないけど、見に来てほしい」
亮太の目に吸い込まれそうだった。
「もちろん、もちろん行く。亮太を描くよ」
大きな音がして、二人してまた窓の外を見る。
夜空の浮かぶ大きな華が、よく見えた。
触れ合う肩と腕のあたりが熱い。
京香や祥のように手を握り合えることはできないけれど、寄せ合って花火を見ることくらい許されるかな。
今だけ。
亮太が微笑みかけてくれる。
優しい瞳。
好きだ。
京香が言っていた、好きにはいろんな意味がある。
僕に対して、わからない好きでも、好きと思ってくれているのかな。
同じ気持ちであれば……。
ふと、今日ユニフォームのレプリカを見つけたことを話そうかと思った時に、視界の端っこにそのユニフォームが目に入った。
「……?」
「残りの焼きそば、食べよう」
亮太は、そう言って、リビングに行ってしまった。
ユニフォームのレプリカ……買いに行ったんだ。良かった。
もやっとした気分が残ったまま、サトもリビングに戻った。




