見つめる先には
今朝見た幼少期の夢を思いだして、校舎3階の窓際から校庭を眺める。
梅雨の中休みなのか、今日は青空が見える。
野球や、テニス、陸上部など部活動に勤しむ学生の姿があった。
「昔は、あんなに泣き虫だったのにな」
ぼそりと独り言を呟いて、サト、と呼ばれていた平 暁士は、校庭でキラキラに輝いている昔泣き虫だった少年のサッカー姿を見つめていた。
泣き虫の子は、小学校に上がると、サッカー少年へ変わっていった。
絵画教室は、小学校の低学年まで一緒に通っていたが、福士 亮太はサッカー一筋のかっこ良い高校生になっていた。
サトは、変わらず絵を描くことが好きで、というか、絵にしか興味を示せなかったので中学、高校と美術部で黙々とキャンパスに鉛筆を走らせている。
初めて、亮太を見た時のことは、はっきり覚えている。
同じマンションの隣の部屋へ引っ越しの挨拶をしに行った時のことだ。
4歳の冬だった。
彼の周りは、とてもキラキラしていて、輝いていて、思わずそのキラキラに手を伸ばしてしまった。
頬に触れた時ビリっと静電気が起こり、二人してびくりとした。
頬に手を当てキッと睨まれた。でも、彼自身は怖くなかった。
優しい色をしていたから。
僕たちは同じ歳だったけど、引っ越しの挨拶でそんなことがあったからか、同じ保育園に通っていても、最初はあまり仲良くなかった。
引っ越して半年くらいで、また、父の海外転勤が決まった。
また引っ越すのかと母と相談していたみたいだが、結局、僕と母は残ることになった。
理由は、母の仕事を辞めるとか休職できるタイミングではなかったからだと言っていた。
父は仕事関係でよく海外に行っていた。
僕が生まれる前に、一度目の海外駐在となり、父と母はアメリカに住んだ。
そして僕が生まれた。日本に戻ってきて、母も仕事を再開したが、二度目の駐在話が出てきた。
母は仕事好きで、責任感も強い人だから2回目の帯同はとても悩んだみたいだ。
当時は、何回か言い争うようなことも聞いたが、結局、父が単身でいくことに納得した。
高校生になるまでに、何回かの駐在や異動があって、なんやかんや父と一緒に住んでいたのは一年くらいかもしれない。
それでも、父は半年に一度は帰ってくるし、隣のキラキラした男の子がいたから、あまり寂しいとは思わなかった。
母子家庭になって、最初の頃は大変だったみたいだけど、亮太の母さんと育児を協力し合うようになってからは僕と亮太は仲良くなっていった。
亮太の両親は、離婚している。おばさんは、看護師として働いていて日曜日も仕事がある。
サトと亮太は一緒に過ごすことが多くなった。
兄弟のように育った。
絵画教室も一緒に通った。
昔、展覧会で迷子になって二人で座り込んだ後、すぐに母と先生が迎えに来てくれた。
会場の入り口は2つあって、裏手の方に入ってしまって元の場所が探せなかったのだ。
あの後、一緒にサトの家で夕飯を食べてる時に、亮太が泣いたことを母に話したら小さな喧嘩へ発展した。
喧嘩の後、しばらく口を聞かなくなって、寂しくて、苦しかった。
でも、いつの間にか仲直りしていた。
兄弟のように育った幼馴染。
でも、僕の中で彼は……。
――好きな人。
これは、墓場まで持っていかないといけない秘密だ。
美術部の隣は吹奏楽部で、いつものように部員の声と楽器の音で賑やかだ。
音楽準備室を挟んで位置している美術部の教室には、サトと中田 京香がいる。
京香は、サトの1つ先輩だ。
背が低くて、天然パーマのくるくるした髪の毛をきちんとリボンで結んでいる。
少女漫画から出てきたような可憐な見た目なのだが、はっきりモノ申す人で、しょっちゅう部長と口喧嘩している。
「ねえ、サトくん。今日の私は何色に見えるかしら?」
「そうですね……。ピンクって感じですかね」
二人して窓の外を眺めながら、口だけを動かす。
フフフと不気味な笑い方をした後、「とうとう私の想いが通じたのよ」とグラウンドで準備体操している子に手を振っている。
相手は、陸上部の走り高跳びの選手だ。
その子もそれに気づいて、手を振り返した。
「ああ、モデルになってくれたんですか?」
「そうなのよ。苦節1か月。やっと気持ちが通じ合ったのよ」
「……」
だいぶ、しつこかったからな。
通じ合ったのかどうかはさておき、モデルの了承を得られたことがすごく嬉しかったらしい。
京香の周りには、ピンクの幸せ色が見えた。
サトは、小さい頃から、人の機微に敏感だ。
人の感情が『色』で見える。
悲しんでいる時は、黒や灰色のような濁った色。
怒っている時は、赤、紫、黒の混ざったような濃い色。
喜んでいる時は、パステルカラーのように鮮やかな色。
人それぞれ多少の違いがあるのだが、基本は同じような色合いに見える。
なんとなく今日は調子がいいのかな? 悪いのかな? という判断をしていたのだ。
昔、それを母に話したら、黙ってしまった。
母の色がみるみる濁っていくのを見たことがトラウマになっている。
……言ってはいけないのだと。
不思議で、恐ろしくて、情緒不安定だった幼少期。
母は、それを絵に描いてみたらと提案してくれた。
絵画教室へ通うことになってから、色を表現できることで、だいぶ落ち着いてきたらしいが。
この色が見えるということは母と絵画教室の先生は知っている。
遠い昔、亮太に話した記憶があるが、彼がそれを覚えているか分からない。
*****
美術部では、年に一度、市の展覧会へ出品するための作品を制作している。
絵、陶芸、彫刻。
美術部には、全員で六名在籍している。
サトと京香、部長の三人が絵を専攻し、あとの三人は陶芸、彫刻だ。
京香に、『色が見える』話をしたのは、サトが高校に入学したばかりの頃だ。
新部員のお世話係である京香と共に行動することが多かった。
人物像を描きたいと常々思っていた京香は、そのことをサトに話していた。
モデルも決まっているのだと。
「どうしたらモデルになってくれると思う?」
その日は、外をスケッチするために、中庭に向かって校庭の横を歩いていた。
陸上部が準備体操をしている真横を通る。
「あの人ですよね?」
手足が長く、ほっそりとした女性。
髪の毛を1つに束ねている。
冷たそうな外見なのに、彼女の周りは、鮮やかなオレンジで、とても楽しそうな印象を持った。
「声かけてみても大丈夫だと思います。すごく調子が良さそうですよ」
「な、何言ってんのよ。練習中だし……邪魔しちゃ悪いわよ」
「……ああ、そうですか」
サトは、中庭に向かって歩き出す。
「そうよ……」
京香は、そう呟くと、恨めしそうに陸上部の彼女を見ながら、サトの後を追いかけた。
中庭は、ちょっとした日本庭園がある。
近くの四阿に腰掛けて、松の木をスケッチする。
「ねえ、さっきの調子良さそうってなに? 彼女のどこを見てわかったわけ? もしかして……」
「……」
もしかして、何か見えるの? そんな質問をされるのかと身構えてしまう。
「あなたも、狙ってるのね? だから彼女に詳しいんでしょ?」
突拍子もない言葉に、スケッチしていた鉛筆の芯を折ってしまった。
否定しようと京香の顔を見るが、彼女は鋭い眼差しでサトを見ている。
気圧される……。
京香の周りは赤色に燃えていた。
真っ直ぐな性格の彼女は、喜怒哀楽が激しい。
それが羨ましくもあった。
サトは、ふふッと笑い、「狙ってませんよ」と伝えた。
きっと彼女は、しつこく聞いてくるだろう。
色のことを話してみようかと思った。
――実は……。
小さい頃から見える色の話をした。
そして、陸上部の彼女は、面白い人なのではないかという印象をもったこと。
京香の顔は、真剣なまま腕組みをして、なにやら考えている。
「じゃ、今から行ってくる」
そう言うと、走って中庭を抜けて校庭に向かってしまった。
そして五分も経たないうちに戻ってきて言った。
「断られた」
「……?」
落ち込む様子もなく続ける。
「でも、またお願いしてみる。今は大会前だからっていう理由だったから……それに彼女、とても素敵な人だった」
うっとりしている京香を横目にスケッチを続ける。
思い立ったら行動の人。
皆んな、京香のことをそう言う。
(この人、凄いな)
自分には出来ない。
「陰谷祥っていうんだって」
「名前知らなかったんですか?」
こくりと頷く京香の顔は、真剣そのものだ。
「一目惚れよ」
思い出しては、目を細めて、ニヤついている。
「……女性が……好き……なんですか?」
おそるおそる聞いてみる。
サトは、完全にスケッチする手を止めていた。
京香が顔を仰いで、1つ息を吐いた。
「わからない。でも彼女のことは好きだわ」
「そうなんですね」
「で、彼女に告ったわ。ついでだし」
「……ついでって」
今度は、鉛筆を落としてしまった。
なんたる行動力。
「サトくんのそれ、イイわね。色が見えるなんてさ。明日晴れるとか雨降るとかそんな感じでしょ? 便利ね」
そんな例えをされるとは思わなかった。
京香にとっては、天気と一緒。
それが、なんだかホッとして、考えすぎるのもくだらないことなんだと思えた。
呆気にとられた出来事だった。
*****
「本日の部活動のテーマは、人物像! だ」
美術室に入ってくるなり、無駄に大きな声を出して説明する部長の姿を冷めた目で見ながら、部員が定位置につく。
サトと京香も校庭を眺めていたが、しょうがなく部長の方へ向いた。
「モデルは、だれですか?」
部員が手を挙げて言う。
「俺だ」
部長のドヤ顔に、一同またか……という言葉を飲み込んだ。
彫刻や陶芸を専攻している部員もスケッチをする。
1か月に一度のペースで、この部長がモデルという実地訓練的なことをしている。
「あいつ、モデルになるの好きなんだよ。見られるのが快感ってやつだな」
彫刻を専攻している2年生が、身悶えながらふざけて後輩に話しかけている。
後輩は笑うしかない。
おもむろに、シャツを脱ぎ上半身裸になった部長。
「今日は、ヌードだ」
ヌードといっても、ズボンは着用している。
椅子の背もたれに肘をかけ、斜め横を向きで座る姿勢になった部長をそれぞれ自分の好きなアングルでスケッチしていく。
サトは、部長を真正面から見たところに椅子を置き描き始めた。
部長の視線は、チラチラ京香に向いていた。
京香は、そのまま椅子を正面にした、斜め横顔の部長を描く位置に座った。
視線に気づいているであろうが、京香の表情は変わらない。
以前、京香がサトに話していた。
「部長ってさ、私のこと好きだよね。気持ちは嬉しいけど、気が向かないのよね」
色が見えなくても、部長の心は分かりやすい。
何事も一生懸命で、面倒見がよくて、お人好し。
本当にこんな人いるんだなって思うくらい純粋な人。
部長の色は白い。
『白は200色あるんやて』なんていう言葉を聞いたことがあるが、絵具では表せない色だ。
大体、人がもっている『色』は、ほとんど絵具で表せない。
絵画教室に通い始めた小さい頃は色が表現できて喜んでいたが、今は違う。
どうやっても人の感情は、表現できない。
それでも、絵を描くことが好きなのは、景色でも人でも些細な表情の変化があって、美しいからだ。
特に、人を見ていると面白い。
部長は、京香の視線を意識しながら、喜んだり、憂いたりする。
彼の色もそれに合わせて、淡くなったり濃くなったりしていた。
部長のスケッチが仕上がり、時間の最後に来た顧問へ見せて、この日の部活は終了となった。
窓の外はまだ明るい。
運動部の声や音がグラウンドから聞こえる。
京香が窓を開けて、大きく伸びをしていた。
「ああー、外の空気は気持ちいいね」
部長は急いでシャツを着ると、京香の横に来て何か話しかけたそうにしていた。
「何か用?」
京香から挙動不審の部長に問いかける。
「あ、え、えーっと、鍵閉めるから。早く片付けろよ」
「はーい」
顔も見ずに返事をして、グラウンドの陸上部を見ている。
部長も京香の視線を追いかけてグラウンドを見ている。
「陰谷さんだっけ? モデルしてくれることになったのか?」
「え? なんで知ってるの?」
「そ、そりゃ、毎回、モデルのこと話してたし……な? サト?」
サトは、そんな部長の問いに頷いただけで、グラウンドにいる亮太を見つめていた。
まだ一年生なのに、もうファンがいるようだ。
グラウンドのフェンス越しにいる女子生徒の黄色い声が聞こえる。
「亮太くん、こっち向いて」
「可愛い」
それを先輩に揶揄われながら、ボール拾いをしたり走り込む姿は、一生懸命だ。
微塵もふざけるような態度はない。
それがまた、かっこ良いと慕われる。
亮太は、友達が多い。
いつも周りに人がいる。
僕は、運動が得意なわけでもない。
勉強が出来るというのも違う。
なにか秀でているものがない。
だから、キラキラしている彼の隣に僕なんかが居たらダメだ。
ひっそりと遠くから見つめるだけで満足しているのに……。
グラウンドにいる亮太が、ふと顔を上げる。
見下ろしているサトと目が合った。
亮太は、口元を少し上げて、手を振った。
その瞬間、近くの女子から「キャー」という悲鳴が上がる。
「手振ってくれた」
「えっ、あんたにじゃないでしょ」
「うそ、誰よ」
女子の口々から、いろんな言葉が湧き上がる。
ほんの、一瞬の行動だったけど、サトの心臓は跳ね上がっていた。
(ほんとに、かっこいいんだよな。 僕も、キャーキャー言いたいよ……)
そんな気持ち悪い妄想に耽っていると、京香から絵具を買いに行きたいから、画材店に付き合ってくれと言われ、部長と三人で学校帰りに行くこととなった。
画材店で夢中になって絵具や筆を見ていたので、帰る頃にはすっかり暗くなっていた。
家に着いて、玄関を開けると、亮太のスニーカーがあった。
「おかえりなさい。今、亮太くん、お風呂はいっているから。出たらサトも入りなさいよ」
キッチンから、顔だけ出した母が言う。
「お、おう。ただいま」
今日は、亮太の母親が夜勤なのだろう。
こういう時は、サトの家に夕飯を食べにくる。
荷物を自分の部屋に置いて、リビングの扉を開けようとしたら風呂のあるドアから亮太が出てきた。
「サト、おかえり」
濡れた髪をタオルで拭いているだけなのに、その姿に見惚れてしまう。
「た、ただいま」
あまりじっと見ていると変だと思い、視線を逸らす。
「また、画材屋さん行ってたのか? 一番風呂もらっちゃったよ」
そうにっこり笑ってくれる顔も、目がつぶれるくらい眩しい。
「僕もすぐに入るよ」
そう言って、脱衣所に飛び込んだ。
また、挙動不審になっちゃった。
最近は、亮太の顔をまともに見られない。
どきどきが止まらないからだ。
大きく息をつく。
無造作に洗濯機に置かれている亮太のシャツに目が留まった。
そのシャツをもって、顔を埋めた。
――亮太の匂いがする。
香水とか石鹸とかの匂いじゃなくて、男の、亮太の体臭が感じられて妙な気分になってしまった。
無意識に股間に手が伸びてしまい、中心が熱くなってくる。
『あれ、俺、シャツ置いてきちゃったかな』
扉の向こうで、亮太の声が聞こえた。
(――やばい)
咄嗟に、シャツを元の場所に戻して、風呂場に飛び込んだ。
『入るよ』と言って、脱衣所に入ってきた亮太の声をシャワーの圧力でかき消した。
聞こえないフリをする。
風呂の椅子に座って、頭からシャワーを浴びて、目を閉じた。
落ち着け。落ち着け。
僕は、気持ちの悪いやつだ。
でも……。
止められない。
脱衣所に亮太が出ていった気配を背中で感じながら、後ろめたい快楽を発散した。
手に残った罪悪感を洗い流す。
この気持ちも洗えたらいいのに。
一緒に夕飯を食べた後、リビングでテレビを見ていた。
母親はキッチンで片付けをしている。
ソファーには、サトが座り、その横で亮太は床に座ってソファーを背もたれにしてスマホをいじっていた。
ふと、亮太は何かを見つけたのか、テーブル下から見つけたノートを捲っている。
「これ、俺か?」
ノートに描かれている絵をサトに見せて問う。
そこに描かれていたのは、亮太の肖像画だった。
「ち、違う」
ノートを取り返そうとしたが、うまくかわされてしまった。
「違わないだろう。これ、俺だよね?」
「ち、違う。これは……AO1のキョウヤだよ」
テーブルの下に置いてあった、雑誌に載っている写真を見せて言った。
AO1は、人気急上昇中のダンスグループアイドルで、キョウヤは、そのセンターをつとめいてる。
初めて見た時に、亮太に似ていると思って、思わず雑誌を買ってしまった。
「AO1……そういやクラスの女子も騒いでたわ」
雑誌をパラパラめくりながら言う亮太の隙をついて、ノートを奪った。
それを見て、 「ノート見せてよ」と手が伸びてくる。
サトは、ノートを胸に抱えて、背中を向けて逃げた。
ところが、亮太が背中から抱きついてノートを奪おうとする。
あり得ない近さと接触に心臓が早鐘をうつ。
「だめだよ。下手だから」
「サトの絵はうまいよ。俺、サトの絵好きだ」
そんなことを言われて、観念した。
顔をみずに、ノートを亮太に差し出した。
雑誌のキョウヤとノートを交互に見て「似てるかな」と呟く。
「AO1のキョウヤでしょ? 亮太くんに似てるわよね」
サトの母親がキッチンから顔を出して言い、サトも頷いた。
亮太は「そうか……?」と首をかしげながら、ノートを見ている。
ノートを返してもらいたくてしょうがなかった。
そこには、亮太の絵しか描いていない。
それをキョウヤだと言い張るのにも限界がくる。
雑誌をめくり、キョウヤがアップで写っているところを見せた。
「ほら、ここのあごのあたりとか、目の形とか似ているよ」
更に、雑誌をめくり、笑顔の写真を指さす。そう見せている間にノートを奪った。
「あ、あと笑ったこの顔とか。似てるよ。だから僕、キョウヤが好きなんだよ!」
(あ……。好きって言っちゃった……)
顔が熱い。
どさくさに紛れて告白めいたことをしてしまった。
「そうか……」
少し照れたような顔つきになった亮太が呟く。
「そう……だよ」
サトは消え入りそうな声で答えた。
どうしよう、顔が見られない。
「推しなのよね!」
母親が割って入る。
「私もファンなんだ」
そう言って、ハミングしながら、「これ持って行って」とおかずの入ったタッパーを亮太の前に置いた。
時計は、夜の九時を指していた。
そろそろ、亮太が家に帰る時間だ。
もう少し、一緒に居たい。
でも、居たくない。
ごちゃまぜな感情が繰り返される。
さっきまでのノートの話は終わっていて、今は一緒にゲームをしている。
マリオカート、最後のコースを回っていた。
「サト、今度、一緒にでかけようよ」
急に亮太から出た言葉に驚いて、クッパがコースからはみ出し壁にぶつかった。
「……画材店、俺も行ってみたいんだよね」
画材店か……小さい頃は、一緒によく行っていた。
僕が好きだったから。亮太はそれに付き合ってくれていた。
「うん、りょうちゃんがいいなら、行こう」
「サト……もう、ちゃん付け、恥ずかしいよ」
はにかみながら「亮太でいい」と言った。
ゲームは、亮太が一位でゴールした。
クッパは、何度も壁にぶつかっている。
「サト下手だな」画面を見て笑っている。
ふらふらとしたクッパのように、自分の頭もくらくらしていた。
ようやく最後にゴールできた。
――亮太。
そう呼べるのだろうか。
帰る準備をする亮太に話しかける。
「どうして、画材店?」
「……いや、なんとなく。行ってみたいなと思って……その後、スポーツ店行きたいからさ、付き合ってよ」
不安な顔をしているサトに真面目な顔で亮太が向き合う。
「いや……か?」
「ちが、違う。いやじゃない。ただ」
ただ、なんかデートみたいだ。
付き合ってもいないのに。
男なのに。
馬鹿みたいな妄想をする。
「ただ?」
今度は、亮太が不安そうな顔をしている。
そんな顔しないで。
本当は死ぬほど嬉しい。
嬉しいのに。
「……雨降らないといいなと思っただけ……」
つまらない回答をしてしまう。
「そうだな。そろそろ梅雨も終わりって天気予報で言ってたし。雨、降られないといいな」
そう微笑んで言うと、シャツを鞄にしまった。
さっき、僕が匂いをかいだシャツ。
ごめね。りょうちゃん。
気持ち悪い奴で。
「サト、亮太って呼んでみてよ」
「え?」
「だって、一緒に出掛けるのに『りょうちゃん』じゃ、俺恥ずかしいよ」
「……」
「ほら」
「あ……うん、また今度言うよ」
「今言って、ほら」
「……」
玄関先で始まったこのやりとりは、亮太のしつこさで十分ほど続いた。
「はい、せーの」
「りょ、りょう、た」
「もう1回」
「え? りょうた、亮太」
最後の方は、もう自棄になっいて顔を下に向けて言っていた。
「……暁士」
いきなり言われた名前に顔を上げる。
満面の笑みの亮太が「またな」と言って帰って行った。
サトは自室に戻り、さっき押し問答していたノートと雑誌を置いてベッドに倒れこんだ。
『暁士』
そう呼ばれた声と笑顔が頭から離れない。
「亮太……りょうた……」
枕に顔を埋めて何度も呟く。
床に開かれたノートが目に留まる。
さっき、リビングから持ち帰った亮太の絵が描いてあるノート。
ノートの取り合いになった時の事を思い出す。
亮太の顔が寄って、吐息がかかって、手がサトの背中や腕に触れた。
思い出すだけで、身体が熱くなる。
身体を胎児のように丸めて目を瞑る。
雑誌の中で微笑むキョウヤの笑顔。
クラスの女子が、それを見て、キャーキャー騒いでいた。
グラウンドのフェンス越しに亮太を見つめ、歓声を上げる女子。
僕は同じことが出来ない。
ただただ、彼女たちが羨ましい。
この感情が何かの間違いであればいいのに。
幼馴染として好き。
友達として好き。
であれば、良かったのに。
僕のこの感情は……欲情してしまうのは……。
怖い。自分が気持ち悪い。
触れられた温もりと近くに寄った顔を思い出しては、自責の念にかられながら眠りに落ちた。




