4.とっとと帰ってくれないかな
「さて、私が城に帰らない、というか帰れない理由だが――」
お茶のサーブを終えたリベラが、壁際でカークと並んで待機すると、クレイトンは前置き無しに語りはじめた。怖いので、カークはなるべく視界にいれないようにしており、その手には、持ち主の下に戻った指輪が輝いていた。
「さらわれた時の状況が問題なのだ」
◇
本日は、特別な予定も入っておらず、クレイトンは自室で一人、窓から空を眺めていた。
雲の形を見ながら、今日の昼食はなんだろうか、などとどうでもいいことを考えていたのだが、ふいに、背後に他者の息遣いを感じた。
入室を許可した覚えもなく、そもそもノックの音を聞いていない。
――え、誰が?――
振り返る前に、首に腕が絡みつき、布で鼻を口を覆われる。甘い匂いを感じると、逆らうこともできずに意識が闇に落ちた。
◇
すでに一度話を聞いているせいか、エレオノールは、そしらぬ顔でカップを傾けているので、伯爵がツッコミ役になった。
「つまり、白昼堂々と殿下のお部屋に侵入して、誰にも見とがめられずに御身を運び出した……と?」
「そういうことになる」
「室内に秘密の抜け道などは――」
「ないと思うぞ。少なくとも、私は教えてもらっていない」
本人の思い違いや、虚言を交えている可能性もないではないが、誘拐されているのは事実だ。救出できたのは、いくつもの偶然が重なった奇跡といっていい。
「犯人の姿は見ていないし、手口も見当がつかない。つまり、このまま城に帰ったとしても、同じことをされたら防ぎようがないのだ」
「なら、常に護衛がおそばにいれば――」
「これからずっとか?」
護衛がいれば手を出してこないかもしれない。だが、相手がいつ諦めるかわかりようもない以上、犯人が捕まらない限り一生護衛つきになってしまう。
「そこでだ――」
クレイトンを拘束していた袋やロープ類は、立ち去る際に回収しているので、獲物が横取りされたようにも見える。奪還しようとして犯人が動けば、そこでボロを出すかもしれない――というのがクレイトンの思惑らしい。
(そんなに都合よくいくものかしら)
エレオノールは懐疑的だった。指輪の件が成功体験になってしまったせいで、世の中をなめくさっているのではないだろうか。
「現状、私の居場所を知る者は少ない。この状態を維持しつつ、犯人が動くのを待ちたいのだ」
のだ――と言われても、巻き込まれる方は、たまったものではない。断る理由を探していた伯爵は、ふと思いついたことがあった。
「城に自在に侵入できるということは、他の方々も危険なのでは?」
「ああ、それは大丈夫だろう」
「それは、また、何故に?」
「犯人が、わざわざ王家で一番どうでもいい人間をさらったということは――」
それ自分で言っちゃうんだ、と伯爵親子は思った。しかも、なんかドヤ顔だし。
「私以外ではダメな理由があるのだろうよ」
◇
その後のことは、カークからも説明があり、情報共有は一通り終わった。
色々あったクレイトンには、休息してもらうことにして、一旦御前を下がった伯爵親子は、書斎で今後のことを相談していた。伯爵夫人がいれば、同席してもらうところだが、今は領地で別件の対応中だった。
「犯人の意図がわからない」
クレイトンを運んでいた荷馬車は、使われていない倉庫であっさりと見つかっている。王都の者であれば、誰でも思いつきそうな場所だ。
馬も見張りもいないので、てっきり荷馬車だけ捨てていったのかと思いきや、積み荷がそのままだった。
見つけたカークも困惑し、怪しいので放置しようかとも考えたが、トラップでもなんでもなかったので、そのまま救出できてしまった。
「誘拐なめてんのか」とカークに言われるほど雑過ぎる犯行だ。こうなると現場に手がかりが残っていてもおかしくないが、犯人に警戒されるので調査もできない。
「まあ、そもそも、うちはこういうの専門外だしねえ」
「……そういえば」
考え込んでいたエレオノールは、以前にも、城で人が消えた事件があったことを思いだした。
「どこかの子女が、行方知れずになったやつだな。たしか、すぐに城内で見つかったと記憶しているが」
「あれも、妙な話でしたわね」
今年成人する貴族の若者たちが集められた大広間で、一人だけ見あたらない者がいた。係りの者が全員部屋に入るところを確認していたので、ちょとした騒ぎになったが、その後、中庭をうろついているところを発見された。
出ていくところを見た者がいないので、係りの者の勘違いということになり、本人の証言もあやふやだったので、迷子ということでおちついた。
ただ、城内を迷っているところ見た者もいなかった。
「なんにせよ、殿下のご無事を陛下にご報告しなくては」
午前中に誘拐されて、午後には救出されるというスピード解決だが、たぶん城では大騒ぎになっている。
「ところで、殿下のお世話ですが、当面はリベラが担当してはどうかと」
「なんで? うちを潰すの?」
「そんなわけないでしょう。お父様はご存じないかもしれませんが、あの子には特技がありますのよ」
リベラは、スリとか詐欺とか、いかがわしいことが目的の輩とか、悪意をもって近づく連中を、見極めるのが得意だった。本人だけでなく、周りの人間も、度々それで助かっている。
「それは、特技というより、人を見る目がある賢――そうか、そんな能力が」
高速の手のひら返しだった。
「理屈ではなく、動物的な直感なのでしょうね」
あのメイドは、本能だけで行動しているのか。あきれた伯爵だったが、そう聞くと、いろいろと合点がいく。
「いつも外出時につれていってるのは、そういうわけだったのか」
「護衛だけでも十分かもしれませんが、まあ、お守りということで」
「ところで、実はリベラは、なにか特別な力を受け継ぐ一族だったとかそういうことは……」
ちょっとわくわくしながら聞くと――なにバカなこと言ってんだ――という目で見られたので、登城の準備をするとことにした。
◇
城に先触れを出し、身支度を整えたギトー伯テオドールは、見送りに来た娘エレオノールと、真剣な顔で向き合った。出発の前に、確認しなくてはならないことがある。
「娘よ」
「なんですか急に、気持ちの悪い」
「それ、お父さんが娘に言われたら一番きついやつだからやめようね」
出鼻をくじかれたが、仕切り直す。
「ああ、つまり、なんだ、殿下のことを、どう思っているのかなあと」
「……お父様、私、殿下のおそばにいると」
父は、固唾を飲んで答えを待った。
「後頭部をはたきたくなりますの」
「やめてね? 絶対やめてね?」
「つまり……やれということですわね」
「ちがうよ!?」
フリみたいになってしまったので、慌てて否定する。
「扇を持った右手がうずいて、抑えるのが大変でしたわ」
「よかった。娘の右手は静まったんだ」
エレオノールは、いらいらしていた。
喉元過ぎれば、というやつかもしれないが、誘拐されたばかりだというのに、本人は、なんだか浮ついている。そもそも、自分の立場が微妙なのをわかっているのなら、ぼんやり生きていないで、真剣に将来のことを考えるべきだろう。危機感というのものがないのか。
「そういうこと言うからには、君もちゃんと先のことを考えなきゃだめだよ」
「あら、ちゃんと考えていますわよ。老が――お父様には、ゆっくり楽隠居して頂けるように頑張りますわ」
「今、老害って言いいかけたよね? まだそんな年じゃないよ!」
気にするとこ、そこなのか。エレオノールは、自分がクレイトンを男性として意識できない決定的な理由に思い当たった
父とタイプが似ているのだ。




