第8話 嘘つき斥候との駆け引きで、私は隠された依頼主を当てました
「君を騙せないって、男としては困るね」
ルーンベル冒険者ギルドの窓口。
A級斥候であるカイルさんの口から紡がれた言葉には、先ほどまでの軽薄な響きは微塵もなかった。
琥珀色の瞳が、獲物をねぶるような熱を帯びて私を見下ろしている。
私が彼の手持ちの依頼書――『月光草の大量採取』という名目に隠された、人員の合法的移動とギルドへの賄賂という『数字の嘘』を指摘した直後のことだった。
関わってはいけない。
現代の会社で事務員をしていた頃の自己防衛本能が、私の中で警鐘を鳴らしていた。
不自然な金の動きの裏には、必ず厄介な権力者がいる。無能扱いされていた私は、そうした会社の裏事情には決して首を突っ込まず、ただひたすらに自分の仕事だけをこなして身を守ってきたのだ。
「……私の仕事は、書類の不備や数字のズレを確認することです。この依頼書は、このままでは受理できません。お引き取りください」
私は努めて事務的な声を作り、羊皮紙をカイルさんへと押し返した。
しかし彼は引かなかった。
それどころか、長い腕をカウンターに伸ばし、私の逃げ場を塞ぐように身を乗り出してきた。
「冷たいなあ。でも、そこまで分かっちゃったならさ」
ふわりと、微かな香水の甘い匂いが鼻先をかすめる。
「じゃあ、当ててみてよ。その『隠された依頼主』が誰なのか」
「っ……私は、そんなこと……」
「君の頭の中にある『数字』は、もう答えを弾き出してるんじゃない?」
試すような、それでいてひどく楽しそうな声。
私は膝の上で、ギュッとスカートの裾を握りしめた。
彼の言う通りだった。異世界に転移してきてから、私が読み込んできた過去三年分の台帳記録。そこにある数字と地名が、すでに頭の中で勝手にパズルを完成させてしまっていた。
「……西の森は」
ぽつりと、自分の口から乾いた声が漏れた。
カイルさんが「ん?」と片眉を上げる。
「過去の記録によれば、西の森は魔物素材の利権が複雑に絡む区域です。これほどの規模の人間を三日間も無許可で動かせば、必ず領主や周辺の騎士団と揉め事を起こすはずです」
私は手元の簡易そろばんにそっと触れ、冷たい珠の感触で自分を落ち着かせた。
「揉めないという確証がある、あるいは、揉み消せるだけの権力がある人物。……加えて、ギルドに高額な手数料を即座にポンと支払えるほどの資金力。それらを兼ね備え、現在、西の森周辺で事業を拡大している貴族は……一つしかありません」
私はゆっくりと顔を上げ、彼の琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……バルザック子爵家。違いますか?」
ぴたりと、カイルさんの動きが止まった。
数秒の沈黙。
やがて彼の顔から、貼り付けたような人懐っこい笑みが完全に剥がれ落ちた。
あとに残ったのは、A級の情報屋としての、底知れない冷酷さと――私に対する、明確な『執着』の色だった。
「……正解。見事だよ、ユイちゃん」
彼は低く掠れた声でそう囁くと、長い指を伸ばし、私の頬にかかった髪をそっと耳にかけた。
「ヒヤッとしたよ。まさか、ギルドの裏の帳簿や貴族の動向まで、ただの受付嬢が数字だけで読み切るとはね。君、本当に面白い」
「っ……からかわないでください。私はただ、記録を覚えているだけで……」
「からかってない。俺は今、本気で君が欲しくなった」
カイルさんの顔が、さらに近づく。
男の人の吐息がかかるほどの距離に、私の心臓がうるさく警鐘を鳴らし始めた。
逃げなければ。そう思うのに、蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。
その時だった。
不意に、ギルド内の空気が氷点下まで下がったような錯覚を覚えた。
ざわめいていた冒険者たちの声が、潮が引くようにスッと消え去る。
「……何をしている」
地を這うような、恐ろしく冷たい低音。
弾かれたように視線を向けると、そこには討伐の事後報告を終えてギルドの奥から出てきたはずの、レオンさんが立っていた。
彼の青い瞳は、極寒の吹雪のように冷え切っており、その鋭い切っ先は、私に触れようとしているカイルさんへと真っ直ぐに向けられていた。
歩み寄ってくる彼の一歩ごとに、目に見えない重圧がギルド全体を軋ませる。
しかし、カイルさんは怯むどころか、面白そうなものを見つけた子供のように唇の端を吊り上げた。
彼は私から離れるどころか、さらに顔を寄せ、わざとレオンさんに見せつけるように私の耳元へと唇を近づけた。
「……レオンだけ見てると、俺が攫うよ?」
甘く危険な囁きが、鼓膜を震わせる。
直後。
ダンッ!! と、カウンターの木枠が砕けそうなほどの勢いで、大きな手が叩きつけられた。
「そこを退け、カイル」
いつの間にか私の目の前に迫っていたレオンさんが、私とカイルさんの間に割り込むようにして立ち塞がった。
大きな背中が、カイルさんの視線から私を完全に隠すように守ってくれる。
「おや、S級様のお出ましだ。俺はただ、優秀な受付嬢に依頼の相談をしていただけだよ?」
「嘘をつけ。……彼女は、俺の受付だ」
レオンさんの低い声には、普段の無口な彼からは想像もつかないほどの、強烈な怒りと独占欲が滲み出ていた。
背中越しに伝わってくる彼の熱と怒りに、私の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
カイルさんは「怖い怖い」と両手を軽く上げながらも、その琥珀色の瞳の奥で、レオンさんを挑発するように見つめ返していた。
最強の剣士と、危険な情報屋。
二人の男たちの間で火花が散るような無言の牽制が続く中、ただの事務員である私は、背中から庇ってくれるレオンさんの大きな存在感に、ひどく胸を乱されることしかできなかった。




