第7話 軽薄な斥候にからかわれた私、数字で嘘を見抜きました
冒険者ギルドでの仮採用が始まってから数日。
私の窓口には、『補給・行程チェック表』――通称『ユイの紙』を求める冒険者たちが連日列を作っていた。
押し寄せる依頼書の束にも少しずつ慣れ、事務員としてのペースを掴み始めていた今日の午後。
不意に、喧騒に包まれていた窓口の空気がふわりと変わった。
血の匂いと汗の匂いが混じるこのギルドには似つかわしくない、微かな香水の甘い匂い。
「やあ。君が噂の受付嬢だね? はじめまして、ユイちゃん」
カウンターに両肘をつき、馴れ馴れしく顔を覗き込んできたのは、黒髪に琥珀色の瞳を持つ見知らぬ青年だった。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。しなやかな筋肉を包む上質な革の軽鎧を着ており、腰には短剣を下げている。
彼は人懐っこい笑みを浮かべているけれど、その琥珀色の瞳の奥は、どこか冷たく観察するような光を帯びていて――全く笑っていなかった。
「……はじめまして。本日はどのようなご用件でしょうか?」
警戒心を悟られないよう、私は事務的な営業スマイルを浮かべて手元の羊皮紙を整えた。
隣の窓口では、ミリアさんが目を見開き、私に向けて(ちょっとユイさん! あんな顔面偏差値高すぎる人、どこから湧いてきたの!?)と口パクで激しくツッコミを入れている。
「つれないなあ。俺はカイル。これでも一応、A級で斥候をやってるんだ」
カイルと名乗ったその青年は、長い指でカウンターをトントンと叩きながら、一枚の依頼書を差し出してきた。
「今日はね、ユイちゃんに特別な依頼の相談に乗ってもらいたくて来たんだ。君、すごく優秀だって専らの噂だから」
「恐れ入ります。ですが、私はまだ仮採用の身ですので、通常の処理しか……」
「まあまあ、そう固いこと言わずにさ。これ、確認してみてよ」
甘く囁くような声で押し切られ、私はしぶしぶその依頼書に視線を落とした。
書かれていたのは、『月光草の大量採取依頼』。
ルーンベルの西にある森で、傷薬の材料になる月光草を集めるという、一見すると何の変哲もない内容だった。
しかし、その紙の上の『数字』を見た瞬間、私の頭の中でパチリとそろばんの珠が弾かれた。
採取量、五千株。
期限、三日。
報酬額、大銀貨十枚。
私はゆっくりと顔を上げ、目の前で優雅に微笑むA級斥候を真っ直ぐに見つめ返した。
「……カイルさん。この依頼、数字が合いません」
「おや? どこがだい?」
「すべてです」
私は手元の簡易そろばんには触れず、暗算で弾き出した数字を淡々と口にした。
「月光草は夜間にしか群生しない特殊な薬草です。熟練の採取者でも、一晩で集められるのはせいぜい五十株。五千株を三日で集めるには、最低でも三十四人の人員を夜の森へ同時に投入する必要があります」
カイルさんの眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「三十四人の冒険者を夜の森で護衛なしに動かすのは不可能です。護衛の費用を含めれば、報酬は大銀貨十枚では全く足りません。一人当たりの取り分が銅貨数枚になってしまい、これでは誰も依頼を受けないでしょう」
「うんうん、鋭いね。でも、ギルドを通して人を集めれば……」
「いいえ。一番不自然なのは、この依頼の『ギルドへの仲介手数料』です」
私は依頼書の端に書かれた、不釣り合いに高額な手数料の欄を指でトントンと叩いた。
「冒険者への報酬が不当に低いのに、ギルドに支払う手数料だけが、A級の魔物討伐依頼に匹敵する額に設定されています。……普通なら、あり得ない数字のアンバランスさです」
現代の会社でも、時折こういう書類があった。
表向きは備品の購入や外注費を装いながら、実際は別の部署へ予算を回したり、特定の業者に便宜を図ったりするための、不自然な数字の羅列。
書類は嘘をつかない。嘘をつくのは、それを書く人間だ。
「この依頼の本当の目的は、薬草の採取ではありませんね?」
私は声を一段低くし、静かな怒りを込めて告げた。
「高額な手数料は、ギルドの人間を抱き込むための賄賂。そして本当の目的は……三十人以上の人間を、三日間だけ、西の森の特定の区域へ『合法的に送り込む』こと。その後ろには、この無茶な数字を提示できるだけの資金力を持った『隠された依頼主』がいるはずです」
ぴたりと、カウンター越しの空気が止まった。
ミリアさんが息を呑む音が聞こえる。
カイルさんの顔から、軽薄な笑みが完全に消え去っていた。
作り物めいた甘い表情が剥がれ落ち、そこから現れたのは、鋭い刃物のような、冷徹な情報屋としての素顔。
彼はゆっくりと身を乗り出し、私の耳元に顔を近づけてきた。
ぞくりとするほど低い、本気の声が鼓膜を震わせる。
「……怖いなあ、ユイちゃん。俺の嘘、数字で剥がすんだ?」
それは、からかいの言葉ではなかった。
私の事務能力という『底』を測り、そして明確な危険な色気を帯びた、捕食者のような響きだった。
心臓がトクンと大きく跳ねる。レオンさんの時とは違う、ぞわぞわとするような感覚に、私は思わず一歩後ろへ引こうとした。
けれど、カイルさんはスッと元の姿勢に戻り、再び人懐っこい笑みを貼り付けた。
「いやあ、驚いた。まさか受付嬢に依頼の裏まで見抜かれるとはね。君、本当にただの新人?」
「……私はただ、数字のズレを指摘しただけです」
「ははっ、謙遜しなくてもいいよ。でもさ」
彼はカウンターの上の羊皮紙を指先で滑らせ、手元に引き寄せた。
そして、琥珀色の瞳で私を真っ直ぐに射抜き、意味深に唇の端を吊り上げる。
「君を騙せないって、男としては困るね」
その言葉の中に込められた熱と危険な響きに、私は何も言い返すことができず、ただ遠ざかっていく彼の背中を、微かな動揺と共に見送ることしかできなかった。




