第6話 私が書いた紙が、冒険者たちのお守りになりました
ルーンベル冒険者ギルド支部の朝は、いつにも増して異様な熱気に包まれていた。
私の担当する窓口の前には、むさ苦しい冒険者たちによる長蛇の列ができている。
「ユイさん! 俺たち、明日から東の森へ薬草採取に行くんだ! 俺たちにもあの『ユイの紙』を書いてくれ!」
「こっちが先だ! 俺たちは北の鉱山で三日間の討伐だ、頼む、あのチェック表を作ってくれ!」
カウンター越しに次々と差し出される依頼書と、期待に満ちた熱い視線。
ノアくんたちが無謀な依頼から救われ、別のパーティが重傷を負って帰還したあの日から、「ユイの紙を持っていけば死なずに済む」という噂が、あっという間にギルド中に広まってしまったのだ。
自分の事務の仕事が誰かの役に立ち、頼りにされていることは心底嬉しい。
けれど、突然の忙しさと過剰な期待には、少しだけ戸惑ってしまう。
「みなさん、順番にお願いします! 紙は魔法の道具ではありません、ただの確認表です!」
私は声を張り上げながら、手元の簡易そろばんをパチパチと弾いた。
「次の方。北の鉱山で三日間ですね。パーティは前衛三人、後衛一人。……治癒術師がいませんから、回復はポーション頼みになりますね。鉱山は道が悪いので、足の怪我にも備える必要があります」
私はあらかじめ用意しておいた、空白の『補給・行程チェック表』の束から一枚を引き抜いた。
一人ひとりに一から表を書いていては、日が暮れてしまう。だから私は昨夜のうちに、よくあるパターンの『雛形』を大量に手書きで作っておいたのだ。
あとは、行き先とパーティの編成に合わせて、必要な数字を書き込むだけ。
「ポーションは予備を含めて十二本。予備の剣の他に、松明と油を多めに。……はい、こちらがチェック表です。荷造りの時に、必ずこの四角い枠に印をつけて確認してくださいね」
「おおっ! すげえ、あっという間に計算しやがった! ありがとうユイさん、これで安心して出発できるぜ!」
冒険者が嬉しそうに紙を丸めて去っていくと、隣の窓口からミリアさんがひょっこりと顔を出した。
「すごいわね、ユイさん。あんな荒くれ者たちが、ユイさんの前だと借りてきた猫みたいにおとなしく順番待ちしてるじゃない。すっかりギルドの女神様ね」
「め、女神だなんてとんでもないです。私はただ、数字を合わせて紙の空欄を埋めているだけですから。……特別なことは何もしていません」
現代の日本の会社でも、私はずっと同じことをしてきた。
フォーマットを作り、数字のズレを確認し、書類を整える。ただの裏方の、地味な事務作業だ。
それがこの世界では、こんなにも感謝されるなんて。不思議な気持ちだった。
その時だった。
ギルドの重厚な木戸が、ギィッと重い音を立てて開いた。
途端に、喧騒に包まれていたホールが水を打ったように静まり返る。
入り口に立っていたのは、長身の剣士だった。
銀灰色の髪に、深い青の瞳。革鎧には魔物の返り血や泥が少し跳ねているが、怪我をしている様子はない。
S級冒険者、レオンハルト・ヴァイス。彼が、黒竜谷の討伐依頼から帰還したのだ。
彼が静かに一歩を踏み出すと、周囲の冒険者たちが「お、おい、レオンだ」「道を開けろ」と、怯えたように左右に割れた。
まるで海が割れるようにしてできた道の先には、私の窓口がある。
レオンさんは私の前に並んでいた冒険者たちを、氷のように冷たい視線で一瞥した。
ただそれだけで、屈強な男たちが「ひぃっ」と息を呑み、蜘蛛の子を散らすように窓口から離れていく。
誰もいなくなったカウンターの前に、レオンさんが歩み寄ってきた。
森の土と、かすかな鉄の匂い。
「……随分と、俺の【専属】受付は人気なようだな」
低く響く声には、ほんのわずかだけ、不機嫌そうな響き――まるで、自分だけのものを横取りされた子供のような響きが混じっていた。
「レ、レオンさん! お帰りなさい。お怪我は……」
「ない。君の計算通り、すべて事足りた。あの紙がなければ、帰りが一日遅れていたかもしれない」
レオンさんは懐から、出発前に私が渡した『補給・行程チェック表』を取り出した。
少し皺が寄っているが、破れも血の汚れもない。無事に帰ってきてくれたのだと、私は胸をなで下ろした。
「よかったです。討伐の報告書は、こちらでお預かりしますね」
私が報告書を受け取ろうと手を伸ばすと、レオンさんはその手をすっと躱し、代わりに一枚の真っ白な羊皮紙をカウンターに置いた。
「俺にも、新しい紙を一枚書いてくれ」
「え? 新しい紙、ですか? 次の依頼はまだ決まっていないはずじゃ……」
「いいから。君が書いたものなら、何でもいい」
真剣な青い瞳で見つめられ、私は戸惑いながらも羽ペンを取った。
依頼がないのなら、何を書けばいいのだろう。迷った末に、私は彼が怪我をしないようにと、簡単な『帰還時の装備手入れ手順』を項目にして書き出した。
文字を書き終え、インクを乾かして差し出すと、レオンさんは大きな手でそれを受け取った。
「……ありがとう」
普段は無表情な彼が、ほんのわずかに目元を和らげる。
そして彼は、その私が書いたただの紙切れを、とても大切なものを扱うような手つきで丁寧に折りたたみ――自分の左胸、心臓に一番近い革鎧の内ポケットへと、大事そうにしまった。
「これは、俺のお守りだ」
低く甘い声でそう囁かれた瞬間、私の頬にカッと熱が集まる。
そんな大事な場所に、私の書いた紙を入れるなんて。
周囲の冒険者たちが遠巻きに見守る中、最強の剣士から向けられるあまりにも熱を帯びた視線に、私は何も言い返すことができず、ただ羽ペンを握りしめて俯くことしかできなかった。




