第40話 私はこの窓口で、誰かの帰る場所になりたい
ルーンベルの街を絶望の淵に追いやった魔物大災害から、およそ一ヶ月。
破壊された外壁の修復は完了し、冒険者ギルド支部も、すっかりかつての活気ある日常を取り戻していた。
すべての戦いと事後処理を終え、ようやく穏やかな朝を迎えたギルドのホールで、私はいつものように自分のデスクを拭き上げていた。
「皆の者、ちょっと手を止めろ!」
朝の喧騒を切り裂くように、ヴィクトル支部長のよく通る声が響き渡った。
カウンターの前に集まった冒険者たちや職員が、一斉に彼の方を向く。
「魔物災害における我が支部の被害を最小限に抑え、事後処理まで完璧に完遂した功績を称え……本日付けで、白石結衣を『受付主任補佐』に任命する!」
支部長の言葉と共に、ギルド中に割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
「ユイさん、おめでとうございます!!」
真っ先に声を上げてくれたのは、犬の尻尾が見えそうなほど喜んでいるノアくんだ。
「おや、主任補佐殿。これで俺の依頼も、もっと優先して処理してくれるようになるのかな?」
カイルさんが琥珀色の瞳を細め、からかうようにウインクを飛ばしてくる。
そして私の隣では、受付主任であるセルマさんが、優しい微笑みを浮かべて真新しいネームプレートを差し出してくれた。
「おめでとう、ユイさん。これからは私の右腕として、記録と危険度照合の管理を正式に任せるわ。……ルーンベル支部には、あなたの数字が必要よ」
「セルマ主任……支部長。みなさん……!」
現代の会社では、DX化についていけない「アナログさん」と陰口を叩かれ、誰からも必要とされていないと思っていた私。
そんな無能扱いされていた私が、異世界のギルドで、こんなにも温かい笑顔と拍手に包まれている。
私の地味な事務仕事が、この街の冒険者たちの命を繋ぎ、確かな『居場所』を作ってくれたのだ。
「ありがとうございます……っ。未熟者ですが、これからも全力で皆様の書類を整えさせていただきます!」
私が深く頭を下げると、再び温かい歓声がギルドを包み込んだ。
それからの時間は、いつもと変わらない受付業務だった。
新しい肩書きをもらっても、私のやるべき仕事は変わらない。依頼書の不備を見抜き、過去の台帳と照らし合わせ、危険な依頼には『保留印』を押し、安全な依頼にだけ『承認印』を押して冒険者たちを送り出す。
パチ、パチ、パチ、ジャラッ。
私の弾く『簡易そろばん』の小気味よい音が、平和なギルドに響き続ける。
やがて夕暮れ時になり、冒険者たちが酒場へと流れていき、ギルド内がしんと静まり返った頃。
カウンターで本日の帳簿を締めていた私の前に、コツ、コツ、と静かで重みのある足音が近づいてきた。
「……遅くまで、お疲れ様」
顔を上げると、夕陽を背にして立つ、長身の銀灰色の影。
先の戦いで負った傷もすっかり癒え、いつもの頑強な革鎧を身に纏った、ギルド最強のS級剣士――レオンさんだった。
「レオンさん! お怪我は、もう完全にいいのですか?」
「ああ。君が完璧なローテーションでポーションを回してくれたおかげで、跡形も残っていないさ」
レオンさんは深く青い瞳を細め、とても穏やかな表情でカウンターの前に立ち、一枚の依頼書を差し出した。
「明日からの、討伐依頼だ。……主任補佐殿に、一番に確認してもらいたくてな」
「もう、からかわないでください。私はただの事務員なんですから」
私は照れ隠しに小さく笑いながら、彼の提出した依頼書を受け取り、サッと目を通した。
討伐対象、指定エリア、補給物資の量、すべて完璧に計算されている。彼が私との『撤退条件』の約束を、今でも第一に考えてくれていることが、その数字から痛いほど伝わってきた。
「……完璧です。承認印を押しておきますね」
私がスタンプを押して書類を返すと、レオンさんはそれを受け取り、ふと、真剣な眼差しで私を見つめ下ろしてきた。
「ユイ。……本当に、王都に行かなくてよかったのか?」
彼の低い声が、静かなホールに響く。
アシュレイ様からの王都引き抜きの話。あれだけ破格の待遇を提示されたのに、私がこの辺境のルーンベルに残ることを選んだのが、彼にはまだ不思議だったのかもしれない。
「後悔なんて、していませんよ」
私は手元の簡易そろばんを置き、真っ直ぐに彼の青い瞳を見つめ返した。
「王都の中枢で、大きな組織の記録を管理するのも、立派な仕事だと思います。でも……私が一番好きなのは、現場の空気なんです」
私はそっとカウンターに手を置いた。
「ここでそろばんを弾きながら、皆さんが『行ってきます』と笑って出かけていくのを見送って……そして、泥だらけになっても『ただいま』と無事に帰ってくるのを確認する。その瞬間に、私の仕事は完成するんです」
戦えない私には、彼らを守る剣はない。
でも、彼らが安心して背中を預けられる『帰る場所』になることはできる。
「私はここで、あなたが無事に帰ってくるのを確認する仕事が、一番好きですから」
私がはっきりとそう告げると、レオンさんは大きく目を見開いた後……ふっと、今まで見たこともないほど甘く、優しい微笑みを浮かべた。
彼はカウンター越しに大きな手を伸ばし、ペンだこのできた私の右手を、壊れ物を扱うようにそっと、けれど力強く包み込んだ。
「……君には、一生敵わないな」
剣ダコの硬い感触と、熱い体温が、私の手から胸の奥へと流れ込んでくる。
レオンさんは私の手を握ったまま、深い愛情と強烈な独占欲の入り混じった瞳で、私を真っ直ぐに射抜いた。
「……俺は、君のいる窓口に帰る」
その言葉は、どんな魔法よりも確かな、私だけへの永遠の誓いだった。
「はい。……ずっと、ここでお待ちしています」
夕陽に染まるルーンベルの冒険者ギルド。
魔法も剣も使えない元事務員の私が、紙と数字だけで命を守り、最強の冒険者たちに溺愛されながら見つけた、世界で一番温かい私の居場所。
私は彼の手を強く握り返し、幸せな未来へ向けて、心からの笑顔を咲かせた。




