第37話 未帰還者リストの中に、最強剣士の名前がありました
ルーンベルの街を襲った、未曾有の魔物大災害。
夜明けの光と共に、最前線である西門から「変異種の討伐完了」と「防衛戦の勝利」を告げる鐘が鳴り響いた。
ギルド内は生き残った冒険者たちと避難民の歓喜に沸き返り、誰もが涙を流して互いの無事を喜び合っている。
しかし。その勝利の歓声は、今の私の耳には全く届いていなかった。
「……変異種を仕留めた後、森へ逃げる残党を追って……そのまま、レオンが未帰還だ」
ヴィクトル支部長の重く苦い報告が、私の頭の中で何度も、何度も反響している。
レオンさんが、帰ってこない。
あんなに「君のいる窓口に帰る」と約束してくれたのに。私から渡した、絶対に死なないための『撤退条件のリスト』を持って行ってくれたのに。
足の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。
目の前が真っ暗になり、心臓が冷たい手でギュッと握り潰されたような、息もできないほどの絶望と恐怖が押し寄せてくる。
(嫌だ。そんなの、嘘です……っ)
彼が死んだなんて、絶対に信じない。
でも、もし、もし彼が冷たい森の奥で、一人きりで倒れていたとしたら。
「ユイさん……っ」
ミリアさんが泣きそうな顔で私の肩を支えてくれた。
私はガクガクと震える手で、顔を覆った。大声を上げて泣き叫び、今すぐこの窓口を飛び出して、西の森へ彼を探しに行きたかった。
けれど。
(……泣いている暇なんて、ない)
私は大きく息を吸い込み、自分の頬を両手でバシッと強く叩いた。
剣も魔法も使えない私が、泣きながら森へ飛び出したところで、彼を見つけ出せるわけがない。ただの足手まといになり、彼が命を懸けて守ったこの街の『後方支援』を崩壊させるだけだ。
私にできるのは、ただ一つ。
事務員として、彼を見つけ出すための『完璧な記録』を提示することだけ。
「ミリアさん、支部長。泣くのは、全員が生還してからにします」
私は震えを無理やり押さえ込み、手元の『簡易そろばん』を強く握りしめた。
「今から、全部隊の『未帰還者リスト』を完成させます。それと並行して……レオンさんが現在どこにいるのか、計算で弾き出します」
「け、計算で弾き出すって……そんなこと可能なのか!?」
ヴィクトル支部長が驚愕の声を上げるが、私はすでにカウンターの上に分厚い台帳と、西の森の詳細な地形図を広げていた。
「可能です。……レオンさんは、私が渡した『絶対撤退条件』のルールを必ず守る人です。なら、彼の行動パターンは、数字で完全にトレースできます」
私は羽ペンを握り、目にも留まらぬ速さで羊皮紙に計算式を書き殴っていった。
パチ、パチ、パチ、ジャラッ。
彼が西門を出撃した時刻。
変異種と遭遇し、ノアくんたち第一班を撤退させた時刻。
彼の通常のポーション消費ペースと、私との約束である『ポーションの残りが二本を切った時点で即座に撤退』という条件。
「変異種というイレギュラーを相手にしていれば、ポーションの消費は通常の三倍。……ノアくんたちを逃がしてから約四十分後、彼は確実に『撤退条件』を満たしたはずです」
私は地図の上に、彼が撤退を開始したであろう『時間と座標』を点として打ち込んだ。
「問題は、彼がどこへ向かったかです。……あの人は、絶対に街へ残党を引き連れてきたりはしない。ルーンベルの西門から魔物を遠ざけつつ、自身の生存率をギリギリまで残せる『遅滞戦闘』のルートを選ぶはずです」
「街から遠ざけつつ、生き残れる場所……」
私の呟きに、横からスッと指が伸びてきて、地図の一点を指し示した。
「ここじゃないかな」
いつの間にか隣に立っていたのは、A級斥候のカイルさんだった。
彼が指差したのは、西門から北西へ大きく外れた場所。切り立った崖と細い獣道が入り組む、旧採石場の跡地だった。
「ここは地形が入り組んでいて、大型の魔物は一度に一体しか通れない。大群を一人で足止めしつつ、時間を稼ぐには絶好のポイントだ。……あのバカ剣士なら、迷わずここを選ぶね」
「カイルさん……!」
「計算と、現場の勘のすり合わせ完了ってところだね」
カイルさんは琥珀色の瞳を鋭く細め、腰の短剣をカチャリと鳴らした。普段の軽薄な笑みは一切ない、本物のプロの顔だった。
「支部長。俺が斥候部隊と、動ける高ランクの連中をまとめて、このポイントへ急行するよ」
「……ああ、頼む! 俺も後続をまとめてすぐに向かう!!」
ヴィクトル支部長が吼え、ギルド内で休息を取っていた冒険者たちが「レオンの旦那を迎えに行くぞ!」と次々に立ち上がった。
ノアくんも「俺も行きます!」と、傷だらけの体で剣を握り直している。
カイルさんが身を翻して駆け出そうとした瞬間、私はカウンターから身を乗り出し、彼のマントの端をギュッと掴んだ。
「カイルさん、どうか……彼を、お願いします……っ」
抑え込んでいた震えが、声に混じって零れ落ちる。
カイルさんは少しだけ驚いた顔をした後、私の手を優しく包み込み、そっと引き剥がした。
「心配しなくていいよ、可愛いユイちゃん。君の推理と、あいつのしぶとさに賭ける」
カイルさんはフッと柔らかく微笑み、私の頭を軽く撫でた。
「あの男が、君との約束を破って死ぬわけがない。……必ず、君の元へ連れて帰ってくる」
その言葉を残し、カイルさんたち救援部隊は、朝陽に照らされた西門へと向かって疾風のように駆け出していった。
遠ざかる彼らの背中を見送りながら、私は両手を胸の前で強く組み合わせた。
未帰還者リストの最後に書かれた、『レオンハルト・ヴァイス』という名前。
私がこの名前の横に引くのは、死亡の黒線ではない。絶対に、生還の赤い承認印だ。
「……待っています。あなたが帰ってくる、この場所で」
私は涙を拭い、彼が必ず生きて帰ってくると信じて、受付窓口のカウンターに立ち続けた。




