第35話 私を素人と笑った人たちが、私の表を求めました
夜明け前の薄暗い空を震わせるような、重く鈍い地響き。
ルーンベルの西門で、ついに魔物の本隊――オーガやトロールといった超重量級の群れと、レオンさんたちギルド防衛隊との激突が始まった。
凄まじい咆哮と剣戟の音が、遠く離れたギルドのホールにまで響いてくる。
そして戦闘開始からほどなくして、ギルドの重厚な扉が次々と開き、血まみれになった負傷者たちが運び込まれ始めた。
「衛生兵! 早くこっちにポーションをくれ! 腕をやられた!」
「待ってくれ、こっちが先だ! 息をしてない!」
怒号と悲鳴が飛び交い、ギルド内は一瞬にして野戦病院のような凄惨な有様となった。
怪我人を運び込んでくる冒険者たちはパニックに陥り、空いている床に次々と負傷者を寝かせていく。
「おい、ポーションはどこだ! 早く持ってこい!」
「待て、在庫の確認が……ああっ、誰がどの怪我をしているのか全くわからん!」
パニックに陥っていたのは、長年ギルドで働いてきた古参の職員たちも同じだった。
彼らはこれまで、負傷者の対応を『現場の感覚』と『担当者の記憶』という、極めて属人的なアナログ手法に頼ってきた。平時ならそれでも回っていたのだろう。
しかし、これほどの大規模災害の前では、個人の気合や経験など何の役にも立たない。
「……ミリアさん! 事前の打ち合わせ通り、動線を確保します!」
「了解よ、ユイさん!」
怒号が飛び交う中、私はカウンターから身を乗り出し、ミリアさんと共に素早く動き出した。
私は現代の会社で、災害時の避難マニュアルや、人員不足の際の業務フロー図を何度も作成してきた。混乱した現場を救うのは、気合ではなく『誰もが迷わずに動ける絶対的なルール』だ。
「怪我人を運んできた方は、入口で立ち止まらないでください! 床に引かれた『青い線』に沿って進み、まずはミリアさんの前を通ってください!」
私が事前に床へ引いておいた塗料の線に沿って、冒険者たちを強引に誘導する。
そしてミリアさんは、怪我人の状態を一目見て、彼らの胸元に色のついた『木札』を次々と結びつけていった。
「意識あり、出血軽微。あなたは『緑の札』! あっちの壁際で待機して!」
「意識なし、大量出血! 『赤の札』! すぐに奥の処置台へ運んで、高位ポーションを使って!」
それは、私が前夜のうちにミリアさんに叩き込んでおいた『負傷度別の選別表』だった。
魔法も使えない私が、誰が重傷かなどと細かく判断している暇はない。
だから、判断基準を極限までシンプルにし、色で視覚化したのだ。
赤は即時処置。黄色は待機処置。緑は軽傷。黒は……すでに手遅れ。
誰が見ても一目で優先順位がわかるこのシステムによって、私とミリアさんの担当するエリアだけは、嘘のようにスムーズに怪我人が捌かれ、的確な治療が施されていた。
「な、なんだあれは……」
混乱の極みにいた古参の職員たちが、私たちの無駄のない動きを見て呆然と立ち尽くした。
彼らは最初、私が床に線を引いたり、色付きの札を用意したりしているのを見て、「新人がまた紙切れの遊びをしている」「現場を知らない素人の机上の空論だ」と鼻で笑っていた。
だが今、彼らの目の前で命を繋いでいるのは、彼らが頼った『ベテランの勘』ではなく、素人と笑われた私が作った『事務的なシステム』だったのだ。
「……おい、どうする。こっちはもうポーションの在庫が……重傷者が誰かもわからねえ!」
一人の古参職員が、顔面を蒼白にして震え声を上げた。
彼がプライドを捨て、助けを求めるように私の方へ顔を向けた、その瞬間だった。
「全員、白石さんの作った表と動線に従いなさい!!」
ギルド内に響き渡る、鋭く凛とした声。
受付主任のセルマさんが、大量の『色付きの木札』を抱えて古参職員たちの前に立ち塞がった。
「主任……!」
「今、このギルドを最も効率よく回しているのは、彼女の作った仕組みです! ベテランの意地なんて捨てなさい。今すぐ彼女の指示を仰ぎ、命を救うことだけに集中しなさい!」
前例主義で頑固だったセルマ主任の力強い号令に、古参職員たちは弾かれたように顔を上げた。
そして、彼らは一斉に私のもとへ駆け寄ってきたのだ。
「し、白石! いや、ユイさん! 俺たちにもその札をくれ! どう動けばいいか、指示を頼む!」
「ポーションの補給ルートを教えてくれ! あんたの言う通りに動く!」
私を「現場を知らない素人」と笑っていた人たちが、藁にもすがる思いで私の『表』を求めている。
「……はい! 札をお渡しします。皆さんは黄色のラインを担当してください! ポーションは地下から第二班がピストン輸送しています。在庫管理は私が帳簿で合わせますから、出し惜しみは不要です!」
私は手元の簡易そろばんをパチリと弾き、迷うことなく明確な指示を飛ばし続けた。
胸の奥が、誇りで熱くなる。
現代日本では、どれだけ業務を効率化するエクセルを作っても「冷たい」「人間味がない」と評価されなかった私の仕事。
それが今、この異世界で、間違いなく人々の命を繋ぐ血の通った『ルール』として機能している。
ギルド全体の職員が私の作成したトリアージ表と補給動線に沿って動き出したことで、野戦病院化していたホールは驚異的な速度で秩序を取り戻していった。
これで、後方の憂いは完全になくなった。前線で戦うレオンさんたちに、ポーションが尽きることは絶対にない。
(大丈夫。私の計算通りに進めば、必ず勝てる……!)
そう確信し、安堵の息を吐きかけた、その時だった。
「……緊急伝令!!」
血走った目をした斥候の冒険者が、転がり込むようにギルドへ飛び込んできた。
「ユイさんのシフト通りに前衛を下げて、戦線は保ってる! でも……っ!」
冒険者の悲痛な叫びに、私の心臓が嫌な音を立てた。
「敵の群れの中に、想定外の『変異種』が混ざってる! オーガの倍以上ある巨体で、魔法まで撃ってくるバケモノだ! レオンの旦那が一人で押さえ込んでるが、このままじゃ……第一班の撤退時間が保たないぞ!!」
その報告に、ギルドの空気が再び凍りついた。
変異種。
過去の台帳にも存在しない、完全に計算外のイレギュラーな暴力。
完璧に回り始めた私のシステムを嘲笑うかのように、最前線で一人踏みとどまっているレオンさんに、死の影が迫ろうとしていた。




