第34話 冒険者たちを死なせないため、私は避難表を作りました
ルーンベルの街へと迫り来る、オーガやトロールといった『重量級』の魔物たちで構成された本隊の大群。
到達予想時刻は、夜明け前。残された時間はあとわずかしかないというのに、第一波の激闘を終えたばかりの冒険者たちは、皆一様に息を乱し、魔力も体力も限界に近づいていた。
この疲労困憊の戦力をどう配分し、魔物の本隊を迎撃するか。そして、非戦闘員をどうやって安全に守り切るか。
街の命運を懸けた極限のリソース管理を前に、私は一人の犠牲も出さないという重圧で押し潰されそうになりながらも、事務員としての極限の集中力を発揮していた。
パチ、パチ、パチ、ジャラッ。
静まり返ったギルドのカウンターに、私が弾く『簡易そろばん』の乾いた音だけが響き渡る。
私は現代の会社で、人員不足の繁忙期を乗り切るために何度も作成してきた『エクセル』のタイムスケジュール画面を頭の中に描き出し、それを巨大な羊皮紙の上へと高速で書き写していった。
「……できました」
私がペンを置くと、横で息を呑んで見守っていたセルマ主任が、信じられないものを見るように目を見開いた。
「ユイさん……これ、たった数十分であなたが全部計算したの?」
「はい。今のルーンベルに残された全戦力と物資を、最も効率的に回すための『戦力ローテーション表』と『非戦闘員避難・補給リスト』です」
私は、インクの乾ききっていない巨大な羊皮紙を、ギルドの壁に貼り出した。
集まってきた冒険者たちが、その表を見てざわめき始める。
「おい、なんだこの細かい枠と数字の羅列は……」
「俺のパーティの名前が、あっちこっちの時間帯に細かく分かれて書いてあるぞ?」
「みなさん、聞いてください!」
私はカウンターの上に立ち、声を張り上げた。
「これが、本隊を迎え撃つための新しい陣形とシフトです。冒険者を『前衛・中衛・後衛・遊撃』の四つの班に完全に分割します。……前線で戦うのは、常に一つの班だけです」
「はあ!? 馬鹿言うな、あんなバカでかい魔物の大群相手に、戦力を四分の一にするってのか!?」
血気盛んな冒険者が声を荒らげる。
しかし、私は怯むことなく言葉を返した。
「全戦力を一度にぶつければ、一時的には押し返せても、必ず数時間後に全員が同時に疲労の限界を迎えて全滅します。だから、限界が来る『前』に、時間管理で部隊を強制的に入れ替えるんです」
私は表の赤い線を指差した。
「第一班が前線で戦っている間、第二班はその後方で待機。第三班はさらに後方でポーションを飲みながら仮眠を取り、第四班が物資の運搬と怪我人の救護にあたります。そして、一時間ごとにこの役割をローテーションさせます」
現場の感情や気合に頼らない、冷徹なまでの時間と数字の管理。
常に一定の火力を最前線に維持しつつ、必ず全パーティに均等な休息と補給の時間を与える仕組み。それが、戦えない私が弾き出した『誰一人死なせないための答え』だった。
しかし、細かい字を読むのが苦手な冒険者たちは、複雑なシフト表を前にまだピンときていない様子だった。
「……要するにさ」
ふわりと、私の背後に甘い香水の匂いが漂ってきた。
カウンターに肘をつき、冒険者たちを見渡したのは、A級斥候のカイルさんだった。
「俺たちが頭を使って『いつ休むか』なんて考える必要はないってこと。可愛いユイちゃんの作った、この完璧な『時間割』の通りに動けば……俺たちは絶対に死なない。そうだろ?」
カイルさんが琥珀色の瞳を細め、わかりやすく噛み砕いて翻訳してくれる。
その言葉に、冒険者たちが「なるほど」「時間が来たら勝手に下がって休めばいいのか」と、少しずつ理解を示し始めた。
そこへ、静かに歩み出てきた長身の影があった。
深い青の瞳に強い決意を宿した、ギルド最強のS級剣士――レオンさんだ。
彼は壁に貼られたシフト表を一瞥すると、私の目の前で立ち止まり、真っ直ぐに私を見下ろした。
「……前線の指揮は、俺と支部長で執る。だが、部隊の入れ替えと補給のタイミングは、すべて君の指示に従う」
レオンさんは、私の目をじっと見つめ、低く力強い声で宣言した。
「君が指示してくれ。俺たちは、その数字通りに動く」
最強の剣士が、ただの受付嬢である私の采配に、己の命と街の命運をすべて委ねてくれた瞬間だった。
彼からの絶対的な信頼の重みに、私の心臓が大きく跳ねる。
「……はい! 私が責任を持って、必ず皆さんの命を繋ぎます!」
私の決意の言葉を合図に、ヴィクトル支部長が「聞いたな野郎ども! 第一班、西門に展開しろ!」と怒声に近い指示を飛ばした。
ギルド内が再び激しく動き出し、冒険者たちが私が定めたシフトに従って、整然と迎撃の陣形を組み始める。
そして。
空が白み始め、夜明けが近づこうとしていた、その時だった。
ズズン……、ズズズン……。
ルーンベルの街全体を揺るがすような、重く、恐ろしい地響きが空気を震わせた。
西門の向こう、立ち込める朝靄を引き裂くようにして、建物の二階建てほどもある巨大なトロールや、丸太のような棍棒を持ったオーガの大群が、その醜悪な姿を現したのだ。
「来たぞォォォッ!!」
見張りの悲鳴のような報告が響き渡る。
恐怖と絶望が具現化したような、魔物の本隊(超重量級)。
それを迎え撃つのは、ただの受付嬢が紙とペンで構築した、薄氷の防衛線。
いよいよ、ルーンベルの命運を懸けた、防衛戦のクライマックスが幕を開けようとしていた。




