第29話 子爵の罠が明らかになり、ギルドは騒然となりました
ルーンベルの街を揺るがす魔物の大群の接近。前線である西門へと冒険者たちを送り出した私は、ギルドに残った非戦闘員の避難誘導と、物資の補給管理というもう一つの戦場に立っていた。
次々と逃げ込んでくる街の人々をリスト化し、怪我人の有無や備蓄の消費ペースを計算していく中で、私は手元の書類にある「強烈な違和感」を見つけてしまった。
それは、大災害の裏で意図的に引き起こされようとしている、バルザック子爵の『本当の狙い』を示すもの。人の命を数字の駒としか見ていない貴族の悪意に対する激しい怒りが、私の事務員としての冷静な思考を恐ろしいほどに研ぎ澄ませていた。
「ミリアさん! 東区画と南区画の避難民の受け入れは終わりましたか?」
「ええ、ユイさんの作ったブロック分けの表のおかげで、混乱なく地下倉庫へ誘導できてるわ! でも……」
ミリアさんが、少しだけ不安そうに手元の束ねられた羊皮紙を見た。
「さっきからずっと気になってるんだけど……西の森に一番近い、近郊の村々からの避難民が、一人も来ていないのよ」
「……やっぱり、そうですか」
私はギリッと奥歯を噛み締め、手元の『避難者リスト』と、先日私がまとめた『ドルンの不正台帳の控え』を並べてカウンターに広げた。
魔物の大群が西の森から溢れ出したのなら、真っ先に被害を受けるのは森に隣接する開拓村のはずだ。
しかし、彼らが逃げてきた形跡はない。ギルドへの救援要請も来ていない。
「ミリアさん。普通なら、森の異変に一番早く気づくのは現地の村人です。でも彼らが逃げてこないということは……『逃げられない』か、『情報が意図的に遮断されている』かのどちらかです」
「遮断って……まさか、領主である子爵がわざと警告を遅らせているって言うの!?」
「おそらく。……これで、すべての点と点がつながりました」
私は冷たい手で羽ペンを握り、白紙の羊皮紙に素早く図式を書き出していった。
現代の会社で、悪質な業者が土地を買い叩く手口を何度か耳にしたことがある。それは、この異世界でも同じだった。
「子爵がなぜ、西の森の異常発生を隠蔽し、ギルドの依頼を偽装してまで低ランク冒険者を囮にしようとしたのか。それはただの『時間稼ぎ』だけではありません。魔物に開拓村を襲わせ、壊滅させるのが目的だったんです」
「む、村を壊滅させる!? 自分の領地なのに!?」
「はい。村が壊滅すれば、そこの土地はただの荒れ地になります。生存者がいなければ、子爵は安値で……あるいはタダ同然で、その土地を『再開発』という名目で合法的に買い叩き、完全に自分だけの利権にできる。西の森の魔物素材と合わせて、莫大な富を生む地盤を手に入れるために……意図的に村人を魔物の餌にしたんです」
ペンを持つ手が、怒りでブルブルと震えた。
数字のズレ、不自然な偽装依頼、そして今回の避難者の不自然な空白。
すべては、一部の権力者が私腹を肥やすために、罪のない村人や若手冒険者の命を平然とすり潰すという、吐き気がするほど悪辣な計画だったのだ。
「絶対に、逃がしません。……こんな嘘に塗れた書類、事務員としての私が全部破り捨ててやります」
私は一気に筆を走らせた。
過去の不正台帳、偽装依頼の傾向、そして現在の避難状況の不一致。それらをすべて論理的に結びつけ、子爵の意図を完全に立証する『告発書類』を書き上げる。
「……完成しました」
私はその分厚い書類の束を抱え、ギルドの一角で状況を注視していた、王都の監査補佐であるアシュレイ様の元へと足早に向かった。
「アシュレイ様。これを見てください」
私がドンッと書類を机に置くと、アシュレイ様は少し驚いたように緑の瞳を見開いた。
彼が書類を手に取り、数ページめくっただけで、その端正な顔からスッと余裕の笑みが消え去った。
「……なるほど。そういうことですか」
アシュレイ様は冷たく低い声で呟き、信じられないものを見るような目で私を見つめ返した。
「ユイ嬢。あなたは……ただギルドの受付で避難者の名前を数えていただけのはずだ。それなのに、ここから遠く離れた子爵の狙いから、土地の買収計画に至るまで、数字の矛盾だけですべてを読み切ったというのですか?」
「はい。書類は嘘をつきませんから。……アシュレイ様、この書類で、子爵を裁けますか」
私が真っ直ぐに見据えて尋ねると、アシュレイ様はフッと短く息を吐き、突然、私の手を両手で強く握りしめた。
「ユイ嬢。私は今、あなたという存在に本気で戦慄しています」
熱を帯びた緑の瞳が、至近距離で私を射抜く。
ふわりと上品な香水の匂いが漂い、彼の美しい顔が近づいてきた。
「これほどまでに完璧で、一切の隙がない告発状を見たのは初めてだ。……ええ、約束しましょう。あなたの作ったこの書類が、子爵の首を刎ねる鋭い刃になります。私が王都の権限をもって、直ちに緊急報告書を作成し、彼らを断罪します」
公の場で見せる優雅な姿とは違う、男としての独占欲と、圧倒的な才能に対する強い渇望が、彼の手のひらから伝わってくる。
「……本当に、あなたを王都に連れて行きたくてたまらない」
甘く囁かれた言葉に、私の頬がカッと熱くなった。
アシュレイ様は優しく微笑んで私の手を離すと、すぐに王都への緊急通信の手配へと動き出した。
これで、子爵の裁きは王都に託すことができる。
あとは、前線にいるレオンさんたちが魔物を食い止め、この街を守り抜いてくれれば。
そう祈るように胸の前で両手を組んだ、その時だった。
「……伝令!!」
ギルドの扉が激しく開き、血まみれになった見張りの冒険者が転がり込んできた。
「た、助けてくれ……! 西門の防衛線が保たない!」
「何があったの!? レオン様たちは!?」
ミリアさんが悲鳴のように叫ぶと、伝令の冒険者は絶望に染まった顔で叫んだ。
「魔物の数が、想定の倍以上いるんだ……っ! 森の奥から、見たこともない巨大な魔物が次々と……! このままじゃ、レオンの旦那たちごと、西門が突破されるぞ!!」
その報告に、私の頭の中から血の気が引いていく。
倍以上。
私の計算した予測を遥かに超える、圧倒的な暴力。
「レオンさん……っ」
絶対に死なせないと約束した彼が、今、決壊寸前の防衛線で命を削っている。
私は唇を強く噛み締め、手元の『避難表』と『補給リスト』を強く握り直した。
戦えない私にできる最後の一手は、まだ残されているはずだ。




