第25話 子爵の依頼を止めたら、受付嬢ごときと笑われました
「王都の商会からの正当な依頼を、不当な理由で凍結した受付嬢がいると聞いている! 今すぐ責任者を出せ!」
ルーンベル冒険者ギルド支部の重厚な扉を蹴り開け、高圧的な怒声を響かせたのは、バルザック子爵家の紋章を胸に掲げた使者の男だった。
私が先日、数字の違和感とカイルさんの裏情報から見抜き、凍結処理を行った『西の森での不審な高額依頼』。その強制受理を迫るため、ついに子爵側が直接的な圧力をかけてきたのだ。
権力者の身勝手な都合で、若手冒険者たちを囮として死地に送ろうとする悪意。
それに対する静かな怒りと、ギルドの規約と記録を武器に真っ向から戦い抜くという事務員としての決意が、私の胸の奥で熱く燃え上がっていた。
「私が、該当の依頼を凍結処理した担当者です」
私はカウンターの前に一歩進み出ると、ひるむことなく使者の男を見据えた。
男は私を上から下まで値踏みするように睨みつけ、鼻でふんと嗤った。
「お前が? ふざけるな。ただの受付嬢ごときが、貴族の依頼にケチをつけるなど言語道断だ。今すぐ凍結を解除し、冒険者たちを森へ向かわせろ。さもなくば、ギルドごと取り潰すぞ」
あからさまな脅迫。
その言葉に、ギルド内の空気が一瞬にして氷点下まで下がった。
「……おい。誰に向かって口を利いている」
地鳴りのような低い声と共に、私の隣にいたレオンさんが殺気を放ちながら一歩前に出た。
逆側からは、カイルさんが短剣の柄に手をかけ、氷のように冷たい琥珀色の瞳で使者をねめつけている。最強の冒険者たちが放つ圧倒的な威圧感に、使者の男が「ひっ」と情けない声を上げて後ずさった。
「レオンさん、カイルさん。手を出してはいけません」
私は両手を広げ、彼らを必死に制止した。
ここで冒険者が貴族の使者に暴力を振るえば、それこそギルドを取り潰す『正当な理由』を相手に与えてしまう。現代の会社でも、理不尽なクレームに対して感情的に反撃すれば、足元をすくわれるのは現場の人間だ。
暴力ではなく、正しい手続きと記録で勝たなければ意味がない。
「下がっていてください。……これは、私の仕事です」
私が振り返って真っ直ぐに見つめると、レオンさんはギリッと奥歯を噛み締めながらも、踏み出した足をスッと引いてくれた。私の『受付嬢としての戦い』を、尊重してくれたのだ。
私はカウンターの下から、あらかじめ用意しておいた分厚い『ギルド規約集』と『過去の台帳』をドンッと机の上に置いた。
「使者殿。ギルド規約第七章、第十二条の規定に基づき、不自然な高額報酬および、過去の類似依頼における高死亡率のデータが確認された場合、受付担当者は独断で依頼を保留・凍結する権限を持っています」
私は規約のページを開き、該当箇所を指差した。
「さらに、この王都の商会からの依頼書ですが、ギルドに支払われる仲介手数料の比率が規定から大きく外れています。書類の不備、および危険度の偽装の疑いが晴れない限り、この依頼を受理することはできません」
「なっ……! こ、小賢しい真似を! たかが新人の小娘が、規約の揚げ足を取って貴族に逆らうつもりか!」
使者が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「いいえ、揚げ足ではありません。ギルドの正当なルールです」
私が毅然と言い返すと、使者はついに逆上し、カウンター越しに私へぐわっと手を伸ばそうとした。
「――そこまでになさい」
凛とした声が響き、私の隣にスッと並び立つ影があった。
受付主任のセルマさんだった。
前例主義で、常に厳格だった彼女。以前なら、貴族とのトラブルを避けるために私を窘めていたかもしれない。
しかし彼女は今、毅然とした態度で使者を真っ直ぐに睨み返していた。
「彼女の判断は、ルーンベル支部受付の『総意』です」
「せ、セルマ主任……」
「白石さんが提示した記録と規約の解釈に、一切の誤りはありません。当ギルドは、不当な圧力がどれほどかかろうと、冒険者の命を危険に晒す偽装依頼は断固として拒否いたします」
セルマ主任の力強い言葉に、使者の男は完全に言葉を失った。
そこへ、ずっと私の背後で黙って控えていたレオンさんが、スッと私の真後ろに立ち、大きな影で私をすっぽりと覆うように庇った。
ただ無言で立っているだけ。それなのに、ギルド最強のS級剣士が『彼女には絶対に指一本触れさせない』という明確な意思を示すだけで、使者の男の顔からみるみるうちに血の気が引いていく。
「くっ……お、覚えていろ! このまま済むと思うなよ!」
ぐうの音も出なくなった使者は、見苦しい捨て台詞を吐き捨てると、逃げるようにギルドから出て行った。
重厚な扉が閉まり、ギルド内に安堵の空気が広がる。
「セルマ主任……ありがとうございました」
「お礼を言われる筋合いはないわ。私はただ、正しい仕事をした受付嬢を守っただけよ」
セルマさんはフッと柔らかく微笑み、私の肩をポンと軽く叩いてくれた。
そして振り返ると、レオンさんが深い青の瞳で私を見つめ下ろしている。彼の大きな手が、労うように私の頭をポンと優しく撫でた。
武力ではなく、事務員としての真っ当な仕事で、貴族の理不尽な圧力を跳ね除けたのだ。
しかし、私の背筋には微かな悪寒が残っていた。
書類による『合法的な冒険者の間引き』を完全に防がれた子爵側。
これで彼らは、記録の完全な改ざんか、あるいは……直接魔物を街へ向けるような『実力行使』に踏み切るしかなくなったはずだ。
本当の脅威は、静かに、確実にこのルーンベルへと迫っていた。




