第17話 貴公子の監査と、受付嬢の手書き表がつながりました
会計係ドルンさんの横領が暴かれ、ルーンベル支部には激震が走っていた。
長年ギルドの信頼を裏切り続けてきた不正の連鎖を断ち切ったのは、一人の新人が積み上げた『数字の控え』と『冒険者たちの証言』だった。
不正を正した安堵感に浸る暇もなく、私は監査補佐であるアシュレイ様から支部長室へと呼び出されていた。自分の作成した地味な書類が、まさか王国全体の未来を左右することになるなんて、この時の私はまだ想像すらしていなかった。
支部長室の重厚な机の上には、私が作成した『補給・行程チェック表』――通称『ユイの紙』と、新しく導入した『報告書テンプレート』が整然と並べられていた。
アシュレイ様は、窓から差し込む夕日に金髪を輝かせながら、その一枚を指先で愛おしそうになぞった。
「ユイ嬢。改めて、今回の監査で見出された最大の収穫は、ドルンの失脚ではありません」
彼は新緑のような瞳を私に向け、優雅に微笑んだ。
「あなたが独断で、しかし確かな信念を持って作成したこの『手書きの表』。これこそが、アークレイン王国のギルドが求めていた答えです」
「……えっ? 私の、この紙がですか?」
私は驚きのあまり、抱えていた簡易そろばんを落としそうになった。
これはただ、現代の事務員だった頃の習慣で「あった方が便利だろうな」と思って作っただけの、穴埋め式のメモに過ぎない。
「謙遜する必要はありません。あなたが考案したこの形式は、言語や識字率の壁を越え、情報の精度を劇的に向上させている。……私はこれを、アークレイン王国全体のギルド規定フォーマットとして正式に採用したいと考えています」
「王国全体の……規定に……?」
頭が真っ白になった。
現代の会社では、私がどれだけ書類のフォーマットを改善しても、「余計なことをして混乱させるな」「アナログな改善よりシステムを使え」と一蹴されるのが常だった。
誰にも評価されなかった私の地味な事務効率化が、この異世界では、国家の標準になろうとしている。
「ただの思いつきなんです。……魔法も使えない私にできるのは、こういう小さな工夫くらいで……」
「ユイ嬢。あなたは、自分の価値を低く見積もりすぎです」
アシュレイ様は立ち上がり、私の手元まで歩み寄ってきた。
ふわりと上品な花の香りが鼻をくすぐり、彼は私の手を、壊れ物を扱うような手つきでそっと取った。
「その手は、剣より多くの命を救う手です。あなたが『念のため』と記した一行が、どれほどの冒険者の帰還を助けたか。その価値は、どんな強力な魔法よりも気高い」
「ア、アシュレイ様……」
真っ直ぐに向けられる、曇りのない称賛。
王都の貴公子に手を取られ、その有能さを言葉にして認められることに、私の頬はカッと熱くなった。現代で「時代遅れ」と笑われた私の傷が、彼の言葉によって、一枚一枚剥がれ落ちていくような気がした。
「王都へ来る気になったら、いつでも私を頼ってください。……あなたのような女性こそ、私の隣にふさわしい」
さらりと、求愛に近い言葉を投げかけられ、私は返事すらできずに固まってしまった。
ミリアさんが以前言っていた「これ、もう専属指名じゃなくて取り合いでは?」という言葉が頭をよぎる。でも、私は……。
「……あの、ありがとうございます。ただ、私にはまだ、このルーンベルで整理しなければならない記録が山ほどありますから」
何とかそう答えると、アシュレイ様は「あなたのそういう真面目なところも、実に好ましい」と楽しげに目を細めた。
アシュレイ様は一度手を離すと、「ところで」と表情を引き締めて、一冊の分厚い資料を広げた。
それは、彼が王都から持参した『王都周辺および各地方支部の魔物被害状況』の集計資料だった。
「ドルンの件で子爵への疑いが強まりました。監査の仕上げとして、各地の異常な数字を照らし合わせておきたいのです」
「……確認します」
事務員としての本能が、瞬時に私を仕事モードへと切り替えた。
私はアシュレイ様の許可を得て、その資料の数字を指で追っていく。
(……えっ?)
いくつかの地方の負傷者数と、討伐報酬の額を暗算で照らし合わせた時、喉の奥に冷たいものが走った。
ルーンベル支部でドルンが操作していた、あの『不自然な数字の丸め方』。
そして西の森――バルザック子爵の領地周辺で起きていた、低ランク冒険者への偏った依頼発行。
それと全く同じ、あるいはそれ以上に大規模で「不気味な数字の偏り」が、王都周辺のいくつかの地域でも発生していた。
「……数字が、つながっています」
私は震える指先で、資料の一点を指した。
「アシュレイ様、この数字を見てください。西の森のケースと酷似しています。……子爵一人の横領や嫌がらせではありません。もっと大きな力が、組織的に記録を歪めています」
アシュレイ様の表情から余裕が消え、緑の瞳が鋭く細められた。
事務員として資料をめくっただけで、私たちは図らずも、王国の根幹を揺るがしかねない『新たな巨大な嘘』の端っこを、その手で掴んでしまったのだ。




