第16話 冒険者たちの証言で、私の台帳が証拠になりました
ギルドマスターであるヴィクトル支部長の執務室は、分厚い木の扉によって一階の喧騒から完全に遮断され、ひどく重苦しい空気に包まれていた。
窓から差し込む傾きかけた夕日が、床に長い影を落としている。
横領の証拠を私に突きつけられ、ついに捕らえられた会計係のドルンさん。しかし彼は今、支部長の重厚な机の前で、自分の罪を過小申告し必死に言い逃れを続けていた。
私――白石結衣は、彼を絶対に逃がすまいと、静かな怒りと強い意志を胸に抱いて、ヴィクトル支部長とセルマ主任の隣に立っていた。
「……だから言っているだろう! 魔石の純度を見誤って、数回計算を間違えただけだ! ギルドの金に手をつけるなんて、そんな恐ろしいこと、俺がするわけないじゃないか!」
額に脂汗を浮かべ、唾を飛ばしながら言い張るドルンさん。
現代の会社でも、不正がバレた人間は必ずと言っていいほど「ただのミスだ」「悪意はなかった」とシラを切る。かつての私は、上司に責任を押し付けられて孤立し、言い返す言葉を持たなかった。
けれど、今の私には『完璧な記録』という武器がある。そして何より、私の数字を信じて背中を押してくれる仲間たちがいるのだ。
「……数回、ですか。では、この記録もすべてあなたの『偶然のミス』だと言うのですね」
私は抱えていた分厚い羊皮紙の束を、ドンッと重い音を立てて支部長の机の上に置いた。
「なっ、それは……っ!」
ドルンさんが目を見開き、喉の奥でヒュッと息を呑んだ。
それは、彼が証拠隠滅のために持ち出そうとした古い台帳……の、私が昨夜のうちに徹夜で書き写し、分散保管しておいた完全な『控え』だった。
「過去三年分、C級以下の若手パーティの報酬から、一律で銀貨二枚から三枚が不自然に引かれている記録です。そのすべてに、あなた特有の端数処理の癖と、怪しい処理印が残っています」
私は淡々と、しかしハッキリとした声で告げた。
「ば、馬鹿な! そんな控え、いつの間に……っ。いや、そもそも、それはお前が自分を正当化するために捏造した数字かもしれないだろう! ただの新人の記録など、証拠になるものか!」
顔を真っ赤にして叫ぶドルンさん。
私が反論しようと口を開きかけた、その時だった。
「――彼女の数字が捏造かどうか、俺たちが証明しよう」
執務室の重厚な扉が開かれ、地を這うような低い声が響き渡った。
そこに入ってきたのは、S級冒険者のレオンさんだった。銀灰色の髪をわずかに揺らし、深い青の瞳でドルンさんを氷のように冷たく見下ろしている。
そして彼の背後には、ノアくんをはじめとする、十数人もの若手冒険者たちがズラリと並んでいたのだ。
「レ、レオン……お前、なぜここに……っ」
「彼女の計算を馬鹿にする奴は、俺が許さない。……入れ」
レオンさんの合図で、若手冒険者たちが次々と執務室に入り、セルマ主任の前に歩み出た。
彼らは皆、かつてドルンさんに報酬をごまかされた当事者たちだった。
「支部長! 俺たち、去年のゴブリン討伐の時、規定より銀貨三枚少なく渡されました!」
「私たちもです! 魔石の傷を理由に、不当に減額されて……っ。文句を言ったら、出禁にすると脅されたんです!」
冒険者たちの証言が次々と上がる。
私は手元の台帳の控えを開き、彼らの証言した日付とパーティ名を照合していく。
「……第三小隊、大雨の日の討伐で銀貨三枚の不足。……紅蓮の牙、魔石納品なしの採取依頼で銀貨二枚と銅貨五枚の不足。すべて、台帳の不正な減額記録と完全に一致します」
「そんな昔の端数なんて、冒険者は馬鹿だから誰も覚えていないと思っていたんでしょう?」
執務室の入り口から顔を出したミリアさんが、勝ち誇ったように言った。彼女の腕にも、私が整理した過去の依頼書の束が大量に抱えられている。
「ユイさんが綺麗に整理してくれたおかげで、過去の依頼書との照合も一瞬だったわ。ミスの言い逃れなんてさせないから!」
私の完璧な『物証』と、レオンさんが集めてきてくれた『人証』。
二つの事実が組み合わさり、ドルンさんの退路は完全に断たれた。
「……ドルン。これでもまだ、ただの計算間違いだと言い張るつもりか?」
ヴィクトル支部長が、地鳴りのような恐ろしい声で凄んだ。
しかし、それより先に口を開いたのは、これまでずっと黙って証拠書類を見つめていたセルマ主任だった。
「……信じられません」
前例主義で、常に厳格だった彼女の手が、怒りで微かに震えている。
彼女はゆっくりと顔を上げ、ドルンさんを鋭く睨みつけた。
「白石さんが作ったこの記録の正確さは、私が一番よく分かっています。これほどの数と金額のズレ……ただのミスとして片付けられる問題ではありません。立場の弱い冒険者から搾取し、ギルドの信頼を裏切るなんて、絶対に許されません」
セルマ主任が、私に向かって深く頭を下げた。
「白石さん……いいえ、ユイさん。あなたの記録のおかげで、ギルドの腐敗を止めることができました。……ありがとう。あなたを正式な受付嬢として迎えられて、本当に良かったわ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
かつて私をアナログだと笑った現代の社会とは違う。私の数字を信じ、共に戦い、その価値を認めてくれる仲間が、この異世界にはいるのだ。
完全に逃げ道を塞がれたドルンさんは、床にへたり込み、絶望に顔を歪めた。
「……俺だけじゃない。俺一人で、こんな大規模な横領や改ざんができるわけないだろう……っ」
彼は震える声で、絞り出すように呟いた。
「……上には、逆らえなかったんだよ」
その言葉に、ヴィクトル支部長の顔色が変わる。彼が口にした『上』が何を意味するのか、私には分かっていた。
バルザック子爵。
ルーンベル支部の背後に潜む、さらなる深い闇の存在が明確になった瞬間だった。
部屋の空気が、再びピリッと張り詰める。
「……よくやった」
ふと、私のすぐ横で、低く落ち着く声がした。
見上げると、いつの間にかレオンさんが私の隣に立っていた。彼は大きな手で私の頭をポンと一度だけ優しく撫でると、そのまま私の手首をそっと握りしめた。
「もう大丈夫だ。……君は、俺が守る」
誰にも聞こえないほどの小さな囁き。
けれど、至近距離から注がれるその深い青の瞳には、私だけを特別視する強烈な熱が宿っていた。
彼の不器用な労いと、肌越しに伝わる体温が、張り詰めていた私の心を甘く溶かしていくのを感じていた。




