第15話 私を笑った会計係が、銀貨一枚で追い詰められました
王都から来た監査の目を逃れるため、結衣の机を物色しようとしてカイルさんに凄まれた会計係のドルンさん。
完全に追い詰められ、焦燥しきった彼が次に取った行動は、私という存在そのものをギルドから排除するための『捏造』だった。
ルーンベル支部の窓口が最も混み合う昼下がり。理不尽な言いがかりに対する静かな怒りと、絶対に数字では負けないという事務員としての自負が、私の胸の奥で静かに燃え上がっていた。
「おい、新人の受付嬢! お前、とんでもないミスをしてくれたな!」
突然、ギルドの喧騒を切り裂くような怒鳴り声が響き渡った。
声の主は、顔を真っ赤にして息巻くドルンさんだ。彼は私の窓口までズカズカと歩み寄ると、バンッ! と乱暴に一枚の羊皮紙をカウンターに叩きつけた。
「俺が最終確認をしたら、昨日のC級パーティへの報酬支払い額が間違っていた! お前、規定よりも『銀貨一枚』多く支払っているじゃないか! お前のずさんな計算のせいで、ギルドに損害が出たんだぞ!」
その大声に、周囲にいた冒険者たちや職員が一斉にこちらを振り向いた。
隣の窓口にいたミリアさんが「えっ、ユイさんが計算ミス……?」と驚いたように呟く。
「……計算ミス、ですか?」
私は手元の簡易そろばんを静かに置き、叩きつけられた羊皮紙に目を落とした。
それは、昨日私が処理した討伐証明書だった。記載されている数字と、私が弾き出した金額。そこに間違いはないはずだ。
「そうだ! やっぱり新人に報酬計算なんて任せるべきじゃなかったんだ! こんな初歩的なミスをする無能は、今すぐ受付から外れてもらう!」
ドルンさんの口元が、一瞬だけ卑劣な笑みの形に歪むのが見えた。
なるほど。彼はわざと数字を改ざんして私の計算ミスをでっち上げ、公衆の面前で私を『無能』として失脚させようとしているのだ。私がギルドからいなくなれば、横領の証拠を嗅ぎ回る者もいなくなるから。
現代の会社でも、自分のミスを隠すために部下や立場の弱い派遣社員に責任を押し付ける上司はいた。
あの頃の私は、言い返すこともできず、ただ俯いて謝るしかなかった。
けれど――ここは、現代日本ではない。
「……書類は嘘をつきません」
私はゆっくりと顔を上げ、ドルンさんを真っ直ぐに見据えた。
「私が間違っていると仰るのなら、今、この場で皆さんの前で再計算しましょう」
「なっ……」
「ミリアさん、申し訳ありません。裏から大きな黒板と、白墨を持ってきていただけますか」
私の静かだけれど引かない態度に、ドルンさんがわずかに怯んだ。
ミリアさんが慌てて運んできた大きな黒板をカウンターの横に立てかけると、私は白墨を手に取り、大きくはっきりとした文字で数字を書き始めた。
「対象は、赤毛猪三頭の討伐。そして薬草の納品が五束です」
カツ、カツ、カツ。
白墨が黒板を叩く音が、静まり返ったギルド内に響く。
「赤毛猪の基本討伐報酬が、一頭につき大銅貨八枚。三頭で大銅貨二十四枚。薬草が五束で銅貨十五枚。……ここから、ギルドの規定である『仲介手数料一割』を差し引きます」
私は左手でそろばんを弾きながら、右手の白墨を淀みなく走らせていく。
パチ、パチ、パチ、ジャラッ。
「計算式に基づき、導き出される正しい支払い額は、銀貨二枚と大銅貨四枚、銅貨三枚です。……ドルンさん、あなたが『銀貨一枚分、払いすぎている』と主張する金額は、どのような計算式で導き出されたのですか?」
「そ、それは……規定の手数料に加えて、魔石の純度不足による減額処理を……」
「赤毛猪から魔石は採れません。過去の台帳にも、そのような減額規定は存在しません」
私はピシャリと言い放った。
ドルンさんの顔から、サッと血の気が引いていく。
「それに、これが一番の矛盾です。あなたが主張する金額では、ギルドの仲介手数料が『一割』ではなく『一割五分』になってしまいます。……これは、規定違反の徴収額です」
黒板に書かれた完璧な計算式と、一切の隙もない数字の証明。
私は白墨を置き、冷ややかな視線をドルンさんに向けた。
「私の計算にミスはありません。あるとすれば……あなたが意図的に、このパーティの報酬から『銀貨一枚』を不当に差し引こうとしたという事実だけです」
「き、貴様……っ! でたらめを言うな!」
逆上したドルンさんが、私に向かって腕を振り上げようとした、その瞬間だった。
「ふざけんなよ、おっさん!!」
ドンッ! と、カウンターの前に屈強な人影が割り込んできた。
若手冒険者のノアくんだ。彼は怒りに満ちた瞳でドルンさんを睨みつけ、私を庇うように立ち塞がった。
「ユイさんの計算が間違ってるわけねえだろ! 俺たちの無茶な依頼を止めてくれたのも、物資の数を完璧に当てたのもユイさんだぞ! アンタみたいな経理室に引きこもってる奴より、俺たちはユイさんの数字を信じる!!」
「そうだそうだ! ユイちゃんの計算は魔法より正確だ!」
「そもそも最近、俺たちの報酬もなんか少ねえ気がしてたんだよな!」
ノアくんの叫びに呼応するように、ギルド中の冒険者たちが一斉にドルンさんへ非難の声を上げ始めた。
自分が仕掛けた罠によって、逆に自らの不正の疑惑を大衆の前に引きずり出してしまったドルンさん。
彼は顔面を蒼白にし、後ずさりを始めた。
「ち、違う、これは……俺は悪くない……っ」
言い訳を紡ごうと震える彼の背後に、ドスン、と重い足音が響いた。
「……説明してもらおうか、ドルン」
ギルドの空気が、ピリッと張り詰める。
そこに立っていたのは、腕を組み、かつてないほど恐ろしい怒気を放つヴィクトル支部長だった。
「新人を陥れるための三文芝居のつもりが、随分と面白い数字の矛盾を暴かれたようじゃねえか。……奥の部屋で、たっぷりと話を聞かせてもらおう」
完全に退路を断たれ、絶望に顔を歪めるドルンさん。
私が積み上げてきた地味な数字の記録が、ギルドに巣食う悪意を完全に追い詰めた瞬間だった。




