第14話 軽口ばかりの斥候が、私の記録を本気で守りました
私が作成した『報告書テンプレート』の導入により、ルーンベル支部の受付窓口は劇的な効率化を果たした。
未処理書類の山は少しずつ低くなり、それに伴い、会計係であるドルンさんの『不正の癖』も完全に浮き彫りになっていた。
彼は今、王都から来たアシュレイ様の監査を恐れ、証拠隠滅の機会を必死に窺っている。
一方で、彼が狙っているはずの『不正の記録が残る古い台帳の控え』は、すでに私が別の安全な場所へと移し終えていた。彼が焦れば焦るほど、自ら尻尾を出すことになる。
その日の午後。
私は窓口が少し落ち着いた隙を見て、追加のテンプレート用紙を取りにギルド奥の書庫へと向かっていた。
新しい羊皮紙の束を抱え、薄暗い廊下を通ってカウンター裏の自分の席へ戻ろうとした、その時だった。
「……っ」
私は足を止め、壁の影に身を隠した。
私の作業机――『受付嬢兼記録係』として与えられた大切な持ち場に、見知らぬ人影が張り付いていたのだ。
神経質そうな丸まった背中。会計係のドルンさんだった。
彼は周囲をキョロキョロと警戒しながら、私の机の上に積まれた書類を乱暴にめくり、あろうことか、引き出しに手をかけて物色し始めたのだ。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
現代の会社でもそうだったけれど、事務員にとって自分の机は『城』だ。
ペンの位置、書類の順番、付箋の貼り方。すべてに意味があり、仕事の効率化のために計算し尽くされている。それを土足で荒らされる不快感は、言葉では言い表せない。
それに、彼が探しているのは間違いなく『台帳の控え』だろう。
私がいち早く不正に気づき、証拠を隠し持っているのではないかと疑い始めたのだ。
(どうしよう。大声を出して咎めるべき?)
だが、今の彼には明確な証拠が見つかっていない。「ただペンを借りようとしただけだ」と言い逃れされればそれまでだ。
かといって、このまま大切な机を荒らされるのを黙って見ているわけにはいかない。
私が抱えた羊皮紙を強く握りしめ、一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。
「――うちの可愛い受付嬢の机に、その汚い手で触らないでくれるかな」
ギルドの喧騒を切り裂くような、氷のように冷たく、底冷えする低い声。
気づけば、ドルンさんの背後に、いつの間にか一人の青年が立っていた。
漆黒の髪に、琥珀色の瞳。A級斥候のカイルさんだ。
彼はつい先ほどまで、ギルドの隅のテーブルで突っ伏して昼寝をしているはずだった。それなのに、足音一つ立てずにドルンさんの背後に回り込み、その右腕をガシッと力強く掴み上げている。
「ひっ……!?」
ドルンさんが短い悲鳴を上げ、顔面を蒼白にした。
「な、なんだお前は! 離せ、俺はただ落とし物を探して……」
「嘘だね。アンタ、さっきからユイちゃんの引き出しをこじ開けようとしてただろ」
普段は軽薄で、甘い言葉ばかりを口にするカイルさんの顔には、いつもの人懐っこい笑みは微塵もなかった。
そこにあるのは、裏社会の情報屋として、数々の修羅場を潜り抜けてきた『本物の冒険者』の凄みだ。
彼がギリッと腕を握る力を強めると、ドルンさんの顔が苦痛に歪んだ。
「痛っ……! や、やめろ……っ!」
「いいか。彼女は今、ルーンベル支部にとって一番大事な宝だ。アンタみたいな小悪党が、うろちょろしていい場所じゃない」
カイルさんは琥珀色の瞳でドルンさんを射抜くと、ゴミでも払うかのように、その腕を乱暴に突き放した。
「……次やったら、その腕、切り落とすよ」
殺意の込められた低い声に、ドルンさんは腰を抜かしかけ、這うようにして逃げ出していった。
ドタバタという足音が会計窓口の方へ消えていくのを見届け、私はようやく壁の影から歩み出た。
「カ、カイルさん……」
「おや、ユイちゃん。戻ってたの?」
私に気づいたカイルさんは、ふっと殺気を消し去り、いつもの軽薄で甘い笑みを浮かべた青年に戻っていた。
まるで、今の一幕が幻だったかのように。
「見てたなら声かけてよ。いやー、俺もつい熱くなっちゃってさ。可愛いユイちゃんの城を荒らす輩は許せなくて」
彼はカウンターに肘をつき、私の顔を覗き込んできた。
「俺、けっこういい仕事したと思わない? 助けてあげたんだから、ご褒美に今度の休み、デートしてくれない?」
「……デートはお断りします。ですが、助けていただいたことは感謝します。ありがとうございました」
私が深々と頭を下げると、カイルさんは「つれないなあ」と大げさに肩をすくめた。
そして、私の手にある真新しい羊皮紙の束と、荒らされた机を交互に見て、ふと意味深に目を細めた。
「……アイツが探してたもの、ここにはないんだろ?」
ビクッと、私の肩が震えた。
「ユイちゃんみたいに賢い子が、大事な証拠を無防備に引き出しに入れっぱなしにするとは思えないからね。もう、別の場所に隠してある。……違う?」
カイルさんの鋭い洞察力に、私は息を呑んだ。
彼は私が『ドルンさんの横領の証拠』を集めていることに、とっくに気づいていたのだ。数字で嘘を暴く私の事務能力の底を、彼は正確に測り切っている。
私は何も答えず、ただじっと彼の琥珀色の瞳を見つめ返した。
肯定も否定もしない私の態度に、カイルさんは小さく息を吐いた。
「……はあ。本当に、君は強情で危なっかしい」
彼はゆっくりと手を伸ばし、私の頬を指先でそっと撫でた。
先ほどの冷酷な斥候の顔でも、普段の軽薄な顔でもない。不器用で、どこか切実な熱を帯びた瞳。
「俺は、君がただの受付嬢じゃないって分かってる。でも」
カイルさんは顔を寄せ、私の耳元で、誰にも聞こえないほどの低い声で囁いた。
「……危ないことには、首を突っ込まないでほしいんだけどな」
それは、私の身を本気で案じる、一人の男としての切実な忠告だった。
男たちの見えない庇護に守られながら、私と横領犯との戦いは、いよいよ最終局面を迎えようとしていた。




