第12話 貴族に褒められた私を、最強剣士が無言で守りました
ルーンベル冒険者ギルド支部に、王都から監査補佐として訪れたアシュレイ様。
彼から思いがけず、私の作成した台帳を「芸術」だと絶賛され、王都への引き抜き(スカウト)を提案されて戸惑っていた私の前に――討伐から帰還したばかりの最強剣士、レオンさんが無言で立ち塞がった。
身分の高い貴族相手にも一歩も引かない彼の大きな背中に、私はどうしようもない安心感と、心臓が痛いほどのドキドキを感じていた。
「ユイ嬢。先ほども言いましたが、あなたのその卓越した整理能力と数字の管理力……この辺境の支部に留めておくのは、王国にとっての損失です」
アシュレイ様は、殺気立つレオンさんを前にしても優雅な微笑みを崩さず、はっきりとした声で告げた。
その緑の瞳は、まるで貴重な宝石を見つけたかのように、熱を帯びて私を見つめている。
「私なら、あなたにふさわしい場所を用意できます。王都の本部で、私と共にギルド全体の記録管理を統括する立場に就きませんか? 待遇は、今の十倍以上を約束しましょう。あなたのその『手書きの表』一つで、国中の冒険者の生存率が上がるのです」
十倍。そして、国中への影響力。
現代の会社で、どれだけ残業して書類を整えても、決して上がることのなかった私の評価額。
「エクセルもろくに使えないアナログさん」と陰口を叩かれ、誰にも見向きされなかった私の地味な事務能力を、こんなにも真っ直ぐに、国を挙げて必要としてくれるなんて。
信じられないような提案に、私の頭は真っ白になりかけていた。
けれど、私は……。
「っ……」
私が答えを返すよりも早く、目の前に立つレオンさんが動いた。
彼は大きな手で、アシュレイ様に握られていた私の右手をスッと引き剥がし、自分の背中の後ろへと私を完全に隠すように庇い立った。
「……彼女は、ルーンベル支部の受付だ」
地を這うような、低く冷たい声。
レオンさんは深い青の瞳でアシュレイ様を真っ直ぐに睨み据え、圧倒的な威圧感を放った。
普段は感情を表に出さない彼から、ビリビリと肌を刺すような明確な怒りと、強烈な独占欲が周囲に伝播していく。周囲にいた冒険者たちが「あのレオンが貴族相手に凄んでるぞ……」と息を呑むのが聞こえた。
「勝手に、俺の窓口から連れ出すな」
俺の、窓口。
その力強い言葉に、背中に隠された私の頬がカッと熱くなった。
ただの事務員だった私を「自分に不可欠な存在」として、こんなにも強く引き留めようとしてくれている。
彼の背中越しに伝わってくる熱と微かな鉄の匂いが、私の心臓をトクン、トクンと激しく打ち鳴らしていた。
「……おや。これは恐い」
アシュレイ様は少しだけ目を丸くした後、クスクスと上品に笑った。
「S級冒険者、レオンハルト・ヴァイス。あなたほどの男が、一人の受付嬢にこれほどまでに執着するとは。……彼女がどれだけ『価値のある受付嬢』か、よくわかりました」
アシュレイ様は私に向かって、優雅に一礼した。
「今日はこれで引き下がります。ですが、ユイ嬢。私の提案は本気です。……あなたが王都へ来る気になったら、いつでも声をかけてください」
そう言い残し、アシュレイ様は純白の外套を翻して、監査の続きを行うために二階の支部長室へと向かっていった。
彼が去った後も、ギルド内は水を打ったように静まり返ったままだ。
レオンさんはゆっくりと振り返り、私を見下ろした。
先ほどまでの恐ろしい殺気は嘘のように消え去り、そこにあるのは、ほんのわずかな安堵と……少しだけ不器用な、私を気遣うような視線だった。
「レオンさん……。あの、助けていただいてありがとうございます。それに、お帰りなさい。お怪我は……」
「ない。……君の顔を見たら、安心した」
ぽつりとこぼれ落ちたその言葉は、誰にも聞こえないほどの小さな声だったけれど、私の耳にはしっかりと届いた。
彼は私の頭を大きな手でポンと軽く撫でると、そのまま無言で討伐証明書をカウンターに置き、背中を向けてギルドの奥へと歩いて行った。
「……ちょっと、ユイさん!!」
レオンさんの背中が見えなくなった瞬間、隣の窓口からミリアさんがバンッ!とカウンターを叩いて身を乗り出してきた。
その目は、興奮でキラキラと輝いている。
「な、なんですか、ミリアさん」
「なんですかじゃないわよ! 今の聞いた!? 王都の貴公子からのプロポーズみたいなスカウトに、あの氷の剣士様の『俺の窓口から連れ出すな』発言! あれ完全に独占発言ですよ!」
「ぷ、プロポーズだなんて、そんなわけないじゃないですか! アシュレイ様は私の事務能力を評価してくださっただけで……レオンさんだって、自分がいつも依頼を受ける窓口の担当がいなくなったら困るから、引き留めてくれただけで……っ」
「出た、ユイさんの伝家の宝刀『仕事上の評価だと思い込む』! もう、顔真っ赤じゃないですか。レオン様、あんなに独占欲丸出しだったのに」
ミリアさんにからかわれ、私は両手で自分の熱い頬をパシッと叩いた。
落ち着かなければ。私はただの受付嬢で、ここは職場だ。やるべき仕事は山のようにあるし、浮かれている場合ではないのだ。
私は大きく深呼吸をし、手元の簡易そろばんを握り直した。
そして、ふと顔を上げた時だった。
(……あれ?)
監査補佐であるアシュレイ様が二階の支部長室へ向かったことで、一階のカウンターは一時的に彼の厳しい目から解放されていた。
その隙を突くように、少し離れた会計窓口の奥で、ドルンさんが異様なほど慌ただしく動いているのが見えた。
彼は顔面を蒼白にしながら、普段は厳重に鍵をかけている引き出しを乱暴に開け、特定の古い台帳を何冊か抜き出していた。
そして、周囲をキョロキョロと警戒しながら、自分の革鞄の中にその羊皮紙の束を押し込んでいる。
(あの台帳の表紙の色……私が昨日、銀貨三枚の不自然なズレを見つけた、子爵関連の依頼が記録されている月のものではないですか)
間違いない。
ドルンさんは、アシュレイ様の本格的な監査が会計窓口に入る前に、横領の証拠となる不正な帳簿を外部に持ち出して『隠滅』しようとしているのだ。
現代の会社でも、横領犯が外部の監査が入る直前に、証拠となる伝票をシュレッダーにかけたり、別ファイルに隠したりするのはよくある手口だった。
紙の束の不自然な動き、過剰な焦り、そして数字の矛盾を隠そうとする人間の行動パターン。
毎日書類と向き合ってきた事務員である私の目は、その小さな違和感を決して見逃さない。
「……書類は、逃がしませんよ」
私は小さく呟いた。
剣も魔法も使えない私が戦える唯一の武器は、正確な数字と、記録の裏付けだ。
彼が何を隠そうとしているのか、そしてその奥に潜む『本当の数字の嘘』を暴くため、私は静かに視線を研ぎ澄ませた。




