ご要望
「――おはよう、みんな。うん、みんな揃っててよかった。どうだった? 夏休みは」
「めっちゃ楽しかった! 先生は?」
「うん、私も楽しかった……って言いたいところなんだけど、やっぱりそうは言えないかな」
ある朝のこと。
二年五組の教室にて、一人の男子生徒からの問いに仄かな微笑でお答えになる清麗な女性。そんな彼女のお言葉に、戸惑う様子の生徒もいれば納得の様子の生徒もいて。尤も、彼女もみんなを困らせたいわけじゃないだろうけど……それでも、きっと上手くごまかせないと判断なさったのだろう。そして、彼女のお言葉の理由は恐らく……いや、間違いなく――
ところで、本日は九月一日――夏休みが終わり、再びこの教室で過ごす日々が始まって……うん、何だかあっという間だったなぁ。
その後、ややあって体育館へ移動。そして始業式を終え、再び教室にてホームルームを。そして、そのホームルームも終え解散となった後――
「……あの、蒼那さん」
「……どうかしましたか? 弥夢くん。……ああ、そう言えば今日はまだ挨拶していませんでしたね。おはようございます、弥夢くん」
「……あ、はい……おはようございます、蒼那さん」
二年生の教室がある三階の廊下にて、躊躇いつつもそう話しかける。……うん、一人でよかった。複数だと少し……いや、だいぶ話しかけづらいし。
……ただ、声をかけたはいいものの……さて、どうしたものか。というか、声をかけるなら言うことくらい決めておけという話で。……さて、何と言うべきか――
「……何もないなら、もう行きますね、これから練習がありますので」
「……あ、その……はい、お引き留めしてすみません」
少し慌てつつ思案をしていると、僕からの返事が来ないと判断したのだろう、淡く微笑みそう口にする蒼那さん。そして、ゆっくりと遠ざかる彼女の背中をただただ見送って……うん、ごめんなさ――
「……ねえ、光月くん。ちょっといいかな?」
「……へっ?」
ふと、後方から控え目なお声が。まあ、どなたなのかは流石に分からないはずもないけど……身体ごと振り返ると、そこには二年五組の担任――そして、女子バレー部の監督でもある稲垣先生のお姿があって。
「……その、申し訳ありません」
「……いや、なんで? まだ何も言ってないけど」
何はともあれ、まずは謝罪を。すると、呆れたようにお尋ねになる稲垣先生。いや、その……こう、知らない間になにかご迷惑をおかけしてしまったのかなと……。
「……それで、声をかけた理由なんだけど……まあ、察してるかな。今度こそ、君にマネージャーになってもらいたいの。私達、女子バレー部のマネージャーに」
「…………」
すると、一つ呼吸を置きそう口になさる稲垣先生。そして、このご要望は今回が初めてではなくもう何度かいただいていて。……そして、それは先生からだけでもなく――
「……もちろん、知ってるよね? この夏の、私達の成績を」
すると、自嘲するような微笑で告げる稲垣先生。というのも……今夏に明陽女子バレー部が出場した近畿大会にて、なんと1回戦……それも、なかなかの大差で敗退してしまったみたいで。
もちろん、2府4県の代表として近畿大会に出場しているだけでも本当にすごい。そして、他の出場校もみんな相当に強いことも間違いない。……それでも、衝撃的な大躍進で近畿大会に出場した去年よりも遥かに強いと言われていた今年の女子バレー部であるからして、今回のこの結果は皆さん相当にショックだったであろうことは想像に難くない。それも、自分達が敗れたその相手が優勝した、ということでもなく、その相手もまた2回戦で大敗を……いや、決してその相手を悪く言いたいわけじゃないんだけども。
ともあれ、ご要望に対する返答だけど……うん、申し訳ないけどお断りするしかなく。どうして、僕にここまで期待をかけてくださっているのか……それは、未だに分からない。……それでも、どういう理由であれ僕は今三神さんのコーチで――
「…………あ」
「……どうかした? 光月くん」
「……あ、いえ、その……」
ふと、思わず声が。……いや、だからこそ、かも。あれほどの報酬をいただいていながら、僕はコーチとして報酬に見合う成果なんて上げていない。確かに、教え子である三神さんはこの度全国大会優勝という快挙を成し遂げた。そして、彼女自身が僕のことを名コーチだなんて言ってくれた。だけど……それほどの貢献ができただなんて、僕自身はまるで思っちゃいない。僕自身、まるで納得していない。……ならば、今ここで僕の取るべき選択は――
「……どうしました? 弥夢くん」
それから、ほどなくして。
一階の廊下にて、先ほどと同じような問いをかける見目麗しき女子生徒。だけど、先ほどとは違い今度は驚いたご様子で。……まあ、そうなるよね。すっかり息を切らした人に、急に話しかけられたりなんてしたら。ともあれ、一度ゆっくりと呼吸を整える。そして――
「……その、蒼那さんから度々いただいていたご要望ですが……まだ、生きていますか?」




