第76話 街を守る結界が、門になる
空中に浮かぶ街の中心で、亀裂が脈打つ。
同時に、検分室の床へ押さえていた六本指が跳ねた。
黒い爪が石板へ食い込み、巨大な前腕が向こう側へ強く引かれる。
司教の首元でも、止めていた黒い指が結界を押した。
爪先が喉へ迫り、司教が顎を引く。
「セラフィナ様」
ゼクスが六本指と司教を見比べる。
私は床の腕を押さえ直した。
六本指の力が落ちると、司教を狙っていた黒い指まで動きが鈍る。
二つへ流れ込む魔力を追う。
どちらも、聖会が開いた接続へ途中から入り込んだ同じ黒い流れへ戻っていた。
ゼクスが床の六本指と、司教の喉元へ伸びる黒い腕を見る。
「二つとも、同じ流れに繋がっているのですか」
「ええ。根は同じです」
空中の街で、石畳がまた沈んだ。
王が映像へ顔を向ける。
「先に街を特定しろ」
私は映像を広げた。
二本の水路が市街地を横切り、その間に白い八角塔が立っている。
城壁塔には翼を広げた水鳥の紋。
その外周を八本の結界柱が囲んでいた。
王の目が止まる。
「……ラーヴェイン」
ギルムも映像を確認した。
「結界柱は八本。水路の位置も一致します」
「間違いない」
王が兵へ振り向く。
「通信室へ走れ。ラーヴェインの行政官と守備隊長へ至急連絡を入れろ。王宮からの緊急命令だ」
「はっ!」
兵が検分室を飛び出した。
ゼクスは街の映像を見たまま言う。
「通信が通っても、現地が動くまでには時間が掛かります」
「なら、その間にこちらを終わらせる」
王の視線が私へ戻る。
私は司教の首へ迫る黒い指を見た。
司教を狙った細い腕は、王宮側へ固定していない。
聖会の接続へ入り込んできた黒い流れを、そのまま押し戻せばいい。
喉を守っていた結界を広げ、そのまま爪を包む。
さらに奥へ薄い膜を滑らせ、聖会の接続へ食い込んだ黒い流れだけを押し分けた。
指先から力が抜ける。
『邪魔をするな』
暗闇から声が響いた。
黒い爪がもう一度司教へ伸びる。
届かない。
結界を押し返すと、長い指が一本ずつ喉元から離れ、細い腕まで黒い流れの中へ引かれていった。
最後の指先が消える。
司教も、中継核も、空の台座も残っている。
王宮側へ突き出した右腕と杖にも変化はない。
司教が息を吐き、左手を動かした。
「司教を監視しろ」
王の命令が飛ぶ。
ゼクスが兵へ向き直る。
「二人残れ。腕と杖には触れるな。向こうの左手から目を離すな」
兵が接続の前へ回る。
司教は左手を止めた。
私は六本指へ向き直る。
こちらは同じようにはいかない。
前腕まで王宮側へ引き出した実体が、聖会の接続と黒い流れの両方に絡んでいる。
二つを分け、一方だけを残す術式は、その場で作れるほど単純ではない。
接続の形を読みながら組むため、完成までには時間が掛かる。
だから六本指を固定してから、組み続けていた。
大半はすでに出来ている。
残っていたのは、聖会の道と黒い流れが分かれる最後の位置だけだ。
司教の隠蔽を剥がし、中継核と空の台座まで露出した今、その位置も見えている。
「この腕も外します」
王が六本指を見る。
「接続は残せるか」
「ええ。聖会の道には触れません」
六本指が石板を掻いた。
向こう側から引く力が増し、黒い爪が床を削る。
私は前腕へ手をかざした。
拘束の内側に組み続けていた術式が、腕に沿って淡く浮かび上がる。
重なった光が付け根へ集まり、最後に残していた隙間へ一筋の光を通した。
分離術式が完成する。
六本指が大きく反り返った。
爪が石板を削り、破片が跳ねる。
『返せ』
「返しません」
術式を通す。
黒い流れが前腕から一気に剥がれ、向こう側へ引き戻される。
聖会が作った接続だけが残った。
巨大な腕から力が抜ける。
それでも六本の指だけは、残った魔力でゆっくりと石板を掻いていた。
「腕は外しました。追跡路は残っています」
ゼクスが司教側を確認する。右腕と杖は、まだ王宮側へ固定されたままだ。
ギルムが六本指の周囲を見る。
「大型の隔離板が要ります。腕を動かさず、この場で囲えます」
「持ってこい」
ゼクスが兵へ命じた。
「腕には触れるな。固定具と封魔布も一緒だ」
兵が走る。
隔離板が届くまでは、六本指の周囲を結界で封じておく。
王はベンデル卿へ目を向けた。
「ベンデル卿を隣室へ。監視を二人付けろ。指輪には触れるな」
ベンデル卿が片膝を立てる。
立ち上がりかけた身体が揺れ、壁へ手をついた。
兵二人が左右へ回り、逃げ道を塞ぐ。
ベンデル卿は何も言わない。
自力で立ち直ると、そのまま監視の兵に挟まれて隣室へ移されていった。
私は空の台座からラーヴェインへ続く接続へ意識を戻す。
正式通信を待っている間にも、街中央の亀裂は広がっていた。
接続をさらに辿る。
市街地の地下を走る細い流れが外周へ伸び、その先で規則正しく魔力が行き来している。
都市結界の管理系統だ。
「結界の管理盤まで届いています」
ゼクスが振り返る。
「敵が、そこまで入り込んでいる?」
「ええ。だから、こちらからも使えます」
私は王を見る。
「声だけなら通せます」
「やれ」
管理盤へ届いている経路だけを拾い、声を乗せる。
最初に聞こえたのは雑音だった。
『……何だ、この反応は』
男の声。
続いて、金属を操作する音が重なる。
『東側を確認しろ。管理盤の表示が――』
ゼクスが接続へ向かって声を出した。
「ラーヴェイン中央結界管理所か」
向こうが止まる。
『……誰だ』
「王宮だ。国王陛下から直接命令がある。管理責任者を出せ」
『王宮?』
疑う声が返る。
正式な通信路ではない。
異常が出ている管理盤から、突然王宮の声が届いている。
「正式通信も別に送っている」
ゼクスが続ける。
「今は結界を止めるな。責任者を出せ」
向こうで人が動く音が重なり、すぐに別の声へ代わった。
『管理責任者です。王宮から直接、というのは……』
王が口を開く。
「確認は正式通信で取れ。今は結界を止めるな。異常の出ている区画を調べろ。行政側にも警報を上げろ」
『承知しました』
返答と同時に、向こうで管理盤を操作する音が続く。
その間に、大型の隔離板が検分室へ運び込まれた。
ギルムが設置位置を示し、ゼクスの指示で兵たちが六本指へ触れないまま周囲へ組んでいく。
床との隙間を固定具で塞ぎ、最後に封魔布を被せた。
「閉じろ」
留め具が噛み合う。
布の下から聞こえていた爪の音が止まった。
『東側の出力が落ちています!』
管理所から声が飛ぶ。
王が接続へ向き直る。
「他の区画は」
『確認中です。東側だけが急に――』
管理盤を操作する音が続いた。
『……待ってください』
「どうした」
『全体の使用量は変わっていません。東側へ送られる分だけが減っています』
王の眉が寄る。
「減った分は?」
『管理盤では、まだ結界内を流れています』
私は空中のラーヴェインを見る。
東側の城壁を覆う防護結界が、先ほどより薄い。
だが、光そのものが失われたわけではない。
一本の結界柱から伸びた光が、途中で向きを変えた。
外ではない。
街の内側へ。
市街地を横切り、そのまま中央の亀裂へ吸い込まれていく。
さらに別の結界柱からも光が曲がった。
「減っているのではありません」
王とゼクスが映像を見る。
城壁が薄くなるほど、街中央の円が明るさを増していく。
正確な量までは分からない。
だが、行き先は見えている。
「街を守る結界が、門に使われています」
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