第75話 その腕は、こちらに残ります
こちらへ向けられた杖が、接続を横へ払う。
杖の先が通った箇所から術式が白く抜け、中継核を通って王宮まで届いていた魔力の痕も端から消えていく。
床へ押さえた魔族の腕は裂け目の奥へ強く引かれ、手首で石板を抉る。
六本指が、消えかけた接続を掴もうと開く。
「中継核までの術式が消されています」
ギルムは記録板の固定具を閉じ、残っている形を別板へ移す。
「消去が始まった位置も残せ」
ゼクスの指示が飛ぶ。
杖から流れ込んだ消去術だけを囲み、王宮側へ広がる道を塞ぐ。
戻る先を失った術は杖へ逆流し、その内部に残る魔力まで巻き込んでいく。
杖が王宮側へ跳ねる。
人影は手放さない。
握った右腕まで境界を越え、法衣の袖が検分室へ引き込まれる。
肘の後ろで空間が狭まり、腕に沿って抜け道を塞ぐ。
人影が腕を引く。
抜けない。
袖口には上位聖職者の階位章。
杖の根元には、オルディア聖会の紋が刻まれている。
「腕と杖へ触れるな。長机の前を空けておけ」
ゼクスの命令を受け、兵たちが杖の届く範囲から下がる。
人影が左手を上げる。
捕らえられた右腕へ魔力が流れ、肘の後ろに白い術式が浮かぶ。
王宮へ繋がった境界だけを消し、腕と杖を取り戻すつもりだ。
境界を王宮側へ固定する。
白い術式が広がった。
だが、境界は消えず、代わりに腕の周囲が狭まっていく。
人影が右腕を引き、向こう側の身体が大きく揺れた。
「接続を消しても、腕は戻りません」
それでも魔力は止まらない。
法衣の袖が肘へ食い込み、杖を握る指が強張る。
「その腕は、こちらに残ります」
奪還の術が消える。
床へ固定した魔族の腕が跳ねた。
六本指が開いたまま裂け目を引き、手首で砕けた石板をさらに抉る。
手を下げた瞬間、魔族の手首が床へ叩き戻された。
黒い爪が石板へ突き刺さり、亀裂が周囲へ走る。
人影は杖を離さず、左手を法衣の内側へ入れた。
胸元の金具が押され、ベンデル卿の指輪が黒く光る。
床へ傾いていた身体が跳ね起きた。
苦痛に歪んだ顔のまま顎だけが上がり、本人の意思とは無関係な言葉が流れ出す。
「第二核は、私が独断で手配した。聖会は保管にも起動にも関与していない。王宮で発生した異常は、検分側の操作による――」
第二核から伸びた黒い筋が喉と胸へ食い込んでいた。
喉からは偽証を押し出し、胸へ潜った一本は心臓を締め始めている。
床へ押さえた六本指も、銀の指輪へ向き直った。
伸びた爪を止め、ベンデル卿の喉から命令を抜き取る。
発言が途切れ、二本の帯が口元から引きずり出された。
『第二核は私物だと証言せよ』
『聖会の関与を否定し、王宮側の操作とせよ』
ギルムが記録板を傾けた。
ベンデル卿が口を開くより先に、指輪側の表示が動いていた。
「今の発言は証言ではない。第二核の命令だ」
ゼクスが告げる。
その直後、胸へ潜った筋が一気に締まった。
ベンデル卿の身体が前へ折れ、膝が石板を打つ。
「司教ごときが、私を切るつもりか! 私まで消せば、ソレイユ側の道も失うぞ!」
ゼクスが王宮側へ突き出した袖口を見る。
「呼称と階位章が一致した。接続先は聖会の司教だ」
司教は答えない。
金具へ魔力を送り、第二核をさらに強く光らせる。
心臓へ巻きついた筋が締まり、ベンデル卿の背が大きく跳ねた。
床の六本指も銀の指輪を奪おうと爪を伸ばす。
魔族の腕を押さえたまま、胸へ食い込んだ筋を引きずり出す。
「セラフィナ、止めろ! お前なら止められるだろう!」
差し出された左手が震えている。
それでもまだ、頼むのではなく命じていた。
黒い筋は胸の外へ浮いたが、最後の一端だけが心臓へ残る。
指輪が強く明滅し、伸ばしていた手が床へ落ちた。
「……頼む。止めてくれ」
言い終える前に、最後の筋を心臓から抜き取った。
処分術を偽証命令の横へ固定し、第二核と心臓の間を塞ぐ。
ベンデル卿は激しく咳き込み、床へ両手をついた。
「助けたのではありません」
指輪に残った処分術を封じ、司教から流れ込む魔力を遮る。
「証拠を、聖会に消させなかっただけです」
ベンデル卿は顔を上げた。
だが、護衛隊長の視線を受け、すぐに床へ戻す。
向こう側で、石を擦る音が響く。
司教の背後から、別の細長い腕が滑り出す。
長い指が壁を這い、その首へ回り込む。
『人間風情が、道を塞ぐな』
司教が振り返り、左手で障壁を張る。
右腕と杖は王宮側へ捕らえられている。
片手で張った障壁は薄く、魔族の爪が触れた箇所から亀裂が走った。
司教が魔力を集め直す。黒い指は障壁を割り、肩を越えて首へ伸びる。
「支配していたのではありません」
迫る爪を見る。
「聖会も、向こうにとっては道具です」
司教の首と爪の間へ、薄い結界を差し込む。
黒い指先は皮膚へ触れる直前で止まり、透明な面を喉元へ押し込んでいく。
司教が王宮側を睨む。額には汗が浮かぶ。
「何を探るつもりだ」
「あなた方が隠した施設です」
魔族の爪が結界へ食い込み、司教の首が傾く。
「腕を放せ。私が接続を――」
「切れば、その腕と命を失います」
司教の言葉が止まる。
「私が調べ終えるまで、勝手に死ぬことも、逃げることも許しません」
首元の結界を維持したまま、司教の杖から中継核へ続く術式を辿る。
司教は左手を核へ向け、隠蔽術を重ねた。
黒い靄が一気に広がり、地下室の輪郭を呑み込んでいく。
中継核を覆う靄を掴み、床へ叩き落とす。
聖会の紋を刻んだ地下室が露出する。
中央には司教の杖と繋がった黒い核。壁際には赤い核が置かれていた。
だが、向かいの台座だけが空だ。
核を失った固定具は、今も一定の間隔で光る。
光るたびに細い魔力線が地下室の外へ伸びていく。
「空の台座が、外された核へ今も応答を返しています」
ギルムが記録板に現れた線を追う。
「どこへ繋がっている」
ゼクスが問う。
固定具から伸びる線を掴む。
空中に、見知らぬ市街地が開く。
城壁の上には防護結界が残っている。
だが、結界柱から伸びる光は城外ではなく、街の中心へ向かって曲がり始める。
通りを横切る荷車が止まり、石畳には亀裂が走る。人々は荷物を捨て、両側へ逃げていく。
逃げる人々の間で、結界の光が通りの中央へ集また。
石畳の上に巨大な円が描かれていく。
王が映像を見据える。
「都市を特定しろ。現地への接続は残せ」
「接続は固定しました。都市名はまだ拾えていません」
都市へ続く線を押さえる。
「ただ、核はすでに設置され、起動しています」
石畳が円の内側から持ち上がった。
次の瞬間、中心が崩れ落ち、底の見えない亀裂が口を開く。
城壁を守るはずの光が、その中へ次々に流れ込んでいく。
「次の門が、街の内側で開き始めています」
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