第74話 触れられないとでも思いましたか
裂け目から伸びた腕が、さらに検分室へ入り込んだ。
六本指の奥に長い手首が現れ、床を走った亀裂が長机の脚へ届く。
「兵を入れろ!」
私は扉を覆う結界の一部を開いた。
廊下で待機していた兵たちが盾を構えて入り、王の前へ二重に並ぶ。
王はその場から裂け目を見据えた。
使節団の護衛二人がレヴァンと使者を壁際へ下げ、残る二人が六本指へ斬りかかった。
刃は黒い腕をすり抜け、床石を打って火花を散らす。
腕は護衛を無視し、長机の命令核へ伸びた。
ギルムは記録板を抱え、机から身を引く。
「命令核には触れないでください」
私は命令核を結界で包み、迫った六本指との間を塞いだ。
指先がギルムの手前で止まり、表面を大きく押し込む。
ゼクスが室内を見渡した。
「レヴァンたちを壁際へ。長机の前を空けろ。ギルム殿は記録板を持って王の側へ」
護衛はレヴァン、使者、随行員を裂け目から遠ざけた。
ギルムも長机から離れ、王を守る盾の内側へ移る。
兵二人が長机の左右へ回り、腕へ盾を向けた。
六本指がさらに力を加えた。
私の張った壁がたわみ、止まっていた床の亀裂が再び伸び始める。
腕の大半はまだ向こう側にある。
だから護衛の剣は通り抜けたのだ。
だが、裂け目を掴んだ六本指だけは、この部屋の空間へ食い込んでいる。
私は指が食い込んだ六か所を、一つずつ結界で閉じた。
右手を握る。
六か所が同時に締まり、ぼやけていた腕の輪郭が固まった。
逃げ場を失った腕が王宮側へ引き出され、床へ叩きつけられる。
石板が砕けた。
「触れられないとでも思いましたか」
腕は向こう側へ引かれ、直後には検分室へ押し込まれた。
裂け目が激しく揺れても、六本指は床から離れない。
私は指の間へ薄い壁を差し込み、裂け目の縁から一本ずつ引き剥がした。
床を押し下げていた力が消え、長机の脚元まで届いていた亀裂も止まる。
腕の中央に黒い割れ目が走った。
捕らえられた部分を、自ら切り捨てるつもりだ。
開き始めた断面の両側を挟み、そのまま押し戻した。
「捨てて逃げることも許しません」
六本指が石板を掻き、腕が激しく痙攣する。
「裂け目は止まりました。ですが、ベンデル卿から魔力が抜け続けています」
ギルムが王の側から記録板の表示を追った。
私はベンデル卿へ向き直る。
右腕は人のものとは思えない太さに膨れ、長く伸びた黒い爪が床へ触れていた。
肩から胸へ走る筋は皮膚の下で脈打ち、背後の裂け目へ続いている。
「身体と門を分けます」
指輪、胸、裂け目の三か所を押さえ、黒い筋を皮膚の下から引き剥がした。
三本に分かれた筋が、肉体の外で止まる。
膨れ続けていた肩が止まり、背を押し上げていた力も消えた。
床を削っていた黒い爪が動かなくなる。
それでも、指輪の内側では黒い光が明滅していた。
肉体から離れた筋を、再び引き戻そうとしている。
王が命じた。
「接続を断て」
「今断てば、第二核がベンデル卿の体内で弾けます」
「止められるか」
「止めるのではありません」
私は床へ固定した腕を見た。
「こちらで使います」
王は即座に命じた。
「ならば奪え」
ベンデル卿が顔を上げた。意識は戻っていたが、変形した右腕を支えられず、身体が大きく傾いている。
「護衛隊長、私を運べ!」
誰も近づかない。
「聞こえないのか!」
ベンデル卿が左手を伸ばす。
護衛隊長はその手を見たが、取らなかった。
「近づかせるな」
ゼクスの命令で、兵二人がベンデル卿の左右へ回った。
助け起こさず、使者やレヴァンへ進ませない位置を取る。
「セラフィナ、これを外せ!」
私は答えず、第二核と裂け目を繋ぐ筋へ魔力を重ねた。
その直後、裂け目の奥から異なる太さの音が重なった。
『器を返せ』
声が壁と床を震わせる。固定された六本指が、ベンデル卿の右手へ向かって曲がった。
銀の指輪が裂け目の方へ引かれ、ベンデル卿の身体が床を滑る。
「私まで器にするとは聞いていない!」
「……『私まで』ですか」
護衛隊長は、差し出されたままの左手から視線を外した。
裂け目から返事はない。
六本指は結界に抗って床石を掻き、なおも第二核を引き寄せようとした。
私は第二核から伸びる接続を空中へ浮かせた。
一本に見えていた筋へ、途中から別の黒い流れが食い込んでいる。
指輪から伸びた術式とは形が違い、裂け目へ近づくほど太くなっていた。
「別の者が、この道を奪ったのですか」
ゼクスが問う。
「聖会が開いた道に、別の流れが入り込んでいます」
私は床へ押さえた腕をさらに引いた。
向こう側から引き戻す力を押し切り、前腕まで王宮側へ引きずり出す。
石板がさらに砕けた。
第二核から伸びる筋を覆い、そのまま腕の奥へ追う。
すると、接続の途中が内側から白く焼け始めた。
「途中で魔力が集まり、別の形へ変わっています」
ギルムが記録板を押さえた。
「中継核です」
私は白く焼けていく箇所の両側を閉じ、消されかけた道をその場へ留めた。
焼ける光が止まり、その向こうに別の空間が現れる。
暗闇の奥に、大小の違う目が並んでいた。
その手前に、黒い法衣をまとった人物が立っている。
魔族へ背を向けたまま、聖会の紋を刻んだ杖から中継核へ魔力を送り続けていた。
ゼクスが人影へ目を向ける。
「接続を維持している者ですか」
「そうです」
杖を握る手が止まった。
人影が振り返り、杖の先をこちらへ向ける。
「接続の途中に、人間がいます」
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