第73話 三つ目には触れるな
レヴァンの指は、書類の奥に見えていた赤い封蝋へかかったままだ。
「その紙を出してください」
レヴァンが一枚を抜く。割れた封蝋の端が、紙に残っている。私は隣室の兵へ向いた。
「輸送箱も」
兵が箱を運び、長机へ置く。昨日、書状とともに使者から預かり、王宮側で保管していたものだ。
「書状はすでに渡している」
ベンデル卿が言う。
「空箱まで調べる必要はないでしょう」
「何が残っているかを確かめます」
私は、マイゼルの腕に仕込まれていた命令核の破片を長机へ出した。王がレヴァンを見る。
「その紙は、どこで受け取った」
「ソレイユを発つ前です。正式説明用の書類と一緒に封じられていました」
「誰が入れた」
「分かりません。受け取った時には、すでに書類の中にありました」
ベンデル卿が口を挟む。
「説明のために用意された資料の一つだ。それだけで私との関係は示せない」
「関係があるかどうかは、これから確認します」
ゼクスが手を出す。
「紙を」
レヴァンから受け取り、三行へ目を通した。
「封印具管理。聖会の誓約。混乱は王宮側の判断として記録」
紙を長机へ置く。
「レヴァンが、この場で加えた文言ではありません」
王は書状を運んだ使者へ向いた。
「お前は、この紙を知っていたか」
「いいえ」
使者は即答する。
「私は書状を運んだだけです。説明用の書類には触れていません」
「輸送箱は開けたか」
「開けていません」
「なぜ、書状を渡した後も持っていた」
「出発前に渡された運搬手順に、使節団が到着するまで開けずに保管し、責任者へ返すよう書かれていました」
「誰から渡された」
「分かりません。運搬手順に差出人の名はありませんでした」
「使者は指示に従っただけだ」
ベンデル卿が言う。ゼクスが記録紙へ書き加えた。
「使者は説明用の紙を知らない。輸送箱は、出発前の指示によって王宮まで運ばれた。そう記録します」
私は命令核を長机の中央へ置く。
「全員、その場を動かないでください」
ベンデル卿の視線が動いた。
「使節団全員を検分するつもりか」
「調べるのは、命令核と同じ流れだけです」
床へ魔力を通す。長机の下から四本の光が走り、壁際の遮断紋へ入った。扉の金具が下り、窓の縁も結界に覆われる。室内から外へ向かう魔力が押し戻された。
「検分が終わるまで、外部との接続を止めます」
私は使節団を見渡す。
「痕を消そうとすれば、その動きも残ります」
ベンデル卿の右手が動き、指輪の内側に火花が走った。火花は消えず、右手の横へ留まる。護衛たちの目が集まった。
「今の魔力も残りました」
ベンデル卿は手を下ろした。
私は命令核の割れ目へ魔力を通す。内部に残っていた流れが起き上がり、使節団の装備と荷を順に通過した。
反応したのは三つ。
最初は輸送箱。底板の中央に、細い刻みが浮かぶ。
「昨日、この箱は私も検めています」
ギルムが底板を見る。
「補強板にしか見えませんでした」
「命令核と同じ流れを重ねた時だけ、内側が開きます」
命令核の光を重ねると、補強板の裏に隠された魔力路が姿を現した。
次に反応したのは、レヴァンの紙に残る赤い封蝋。蝋の奥で、折り込まれた金属片が光っている。私は金属片だけを引き出した。
ギルムが布で受け取り、裏待機室から回収した連絡片を隣へ並べる。材質と幅は同じだが、縁の刻みは一致しない。封蝋から出た金属片の刻みは、裏待機室のものより一つ内側へずれている。
「同じ規格で作られています」
ギルムが二枚を見比べる。
「ただし、刻みの位置が違います」
私は二枚へ命令核の流れを重ねた。二枚は逆向きに反応する。
「裏待機室のものは受信用。こちらは返送用です」
最後に反応したのは、ベンデル卿の右手。ベンデル家の紋を刻んだ銀の指輪が光を返した。
輸送箱。封蝋の金属片。マイゼルの命令核。三つから伸びた線が、指輪の内側へ集まる。
ベンデル卿が、使者とレヴァンへ目を向けた。
「その二人が、私の指輪から魔力を抜き取ったのでしょう」
「そんなことはしていません」
使者が即座に否定する。
「私は魔法を扱えません」
「扱えなくても、誰かへ箱を渡すことはできる」
「誰にも渡していません。王宮へ入ってからは、兵の監視下にいました」
ベンデル卿はレヴァンへ視線を移す。
「ならば、お前だ。私の封を扱った際に魔力を抜き取り、術具へ入れたのでしょう」
「私にも、そのような術は使えません」
レヴァンは目を逸らさない。
「渡された紙を開き、書かれていた順に読んだだけです」
「それでは、向きが合いません」
私は三つの線を分けた。輸送箱と金属片には、指輪から入った流れだけが残っている。命令核には、指輪へ戻る線と、指輪から入った線があった。
「術具には、起動時の流れが残ります」
二本の線を指輪へ重ねる。
「王宮内から情報を受け取り、その後で指示を返した。どちらも、この指輪です」
使節団の者たちがベンデル卿を見る。
「この検分は不当だ」
ベンデル卿が護衛隊長へ命じた。
「使節団を退出させろ」
「正式説明は終わっていない」
王が言う。
「退室は認めない」
ベンデル卿は護衛隊長を睨んだ。
「使節団を下げろ」
護衛隊長は動かない。
「聞こえなかったのか」
「聞こえています」
「ならば従え」
護衛隊長がベンデル卿の背後を離れた。二人の護衛も続き、レヴァンと使者の前へ移る。
「二人は、まだ我々が守る使節団員です」
「私が責任者だ」
「今は、あなたの退室命令には従えません」
護衛隊長は位置を変えない。レヴァンは抱えていた書類を下ろした。もう、ベンデル卿の方は見ない。
私は輸送箱へ戻る。底板の魔力路へ、封蝋から抜いた金属片を合わせた。
刻みがずれているため、そのままでは噛み合わない。金属片を反転させると、刻みが底板の空いた箇所へ重なり、箱の中で金具が動いた。
補強板の下から、三本の短い溝が現れる。二本には、すでに魔力が通った痕がある。流れの形は、裏待機室の連絡片へ残っていた二つの返答と一致した。
最後の一本だけが未使用だ。
「三つ目は、次の指示を求める合図です」
私は指輪から箱へ残る魔力を、その溝へ合わせた。
「三つ目には触れるな!」
ベンデル卿が叫ぶ。
私は手を止めない。
「それを返せば、向こうが次の術を開く!」
王の視線がベンデル卿へ向いた。
「なぜ、その先を知っている」
ベンデル卿の口が閉じる。
私は輸送箱、指輪、命令核を別々の結界で囲った。
「外から何を返されても、室内へは通しません」
使われていない溝を押さえる。
「送ります」
指輪から取り出した魔力を、残された形に合わせて流した。輸送箱の底で金具が鳴る。
箱の周囲だけ遮断結界を開き、魔力を一度外へ通す。すぐに閉じた。
検分室から音が消える。
輸送箱の底で短い反応が二度続く。三度目の光は消えず、一本の線となって溝へ残った。裏待機室の連絡片で確認した返答と同じ動きだ。
「聖会が応じました」
ゼクスが一歩前へ出る。
「何と返っていますか」
「外から入り込む術は止めます。返答だけを読みます」
返ってきた魔力を三重の結界で閉じた。侵入しようとする術式を外側で止め、中央へ内容だけを残す。
文字が浮かんだ。
『逆流を確認』
ベンデル卿の指輪が震える。
『接続者を固定』
指輪の内側で金属が擦れた。
『第二核を起動』
「待て」
ベンデル卿が右手を見る。
「第二核……なぜ、私に」
文字は止まらない。
『ベンデル、お前は失敗した』
使節団の者たちが一斉に振り向く。
『その身を糧に、門を開け』
「違う」
ベンデル卿が右手を引いた。
「私は命令どおりに――」
銀の指輪に刻まれた紋が、内側から砕ける。黒い核が開き、細い爪が指へ食い込んだ。黒い筋が手首から肘へ走る。
「外せ!」
ベンデル卿が指輪を掴んだ。同時に、長机の上でマイゼルの命令核が跳ねる。
第二核と命令核の破片が、同じ間隔で明滅した。次の瞬間、ベンデル卿の右腕を囲む空間が歪む。
「返答の術ではありません」
私は指輪へ結界を重ねた。
「指輪の中に仕込まれていた第二核が、命令核に残る流れを目印に接続を開いています」
外から入り込もうとした術は、輸送箱の結界に止めたままだ。動いているのは、ベンデル卿の指輪の内側。
歪みの向こうから、王宮内にはなかった魔力が右腕へ流れ込む。外套の袖が張り、肘から先が膨れ上がって縫い目が裂けた。
ギルムが記録板を押さえる。
「命令核と第二核が呼応しています!」
「接続を開いているのは第二核です。命令核は同じ流れに反応しているだけです」
黒い筋が肩へ届く。その背後で、空間が縦に裂けた。
裂け目の奥から、六本の指が現れる。どの指にも、関節が一つずつ多い。
六本の指が裂け目の縁を掴み、左右へ押し広げた。空間の歪みが床まで走り、石板が沈む。
向こう側の何かが、こちらへ身体を押し込もうとしていた。
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