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第69話 ラードムの痕跡

 応接側へ向かう廊下では、すでに兵が走っていた。


 王の命令を受けた近侍が先行し、応接側の扉前にいた係を下がらせる。

 その後ろをゼクスが進み、私は書状を持つ近侍の横を歩いた。


 マイゼルは兵に挟まれていた。

 歩幅は大きく乱れていない。

 だが、指先だけが落ち着かず、袖口の布を何度も押さえている。


 王が短く命じた。


「カイリアも連れてこい。聖会の者を見たのなら、ここで確かめさせる」


 兵が別の廊下へ走る。


 応接側控え室の扉は、すでに開いていた。


 中には、外部説明者用の席が用意されている。

 記録用の小卓も、護衛の立ち位置も、案内役の控え場所も整っていた。


 誰かを迎える準備は、もう終わりかけている。


 だが、王はまだ、その者を受け入れるとは言っていない。


 王が係を見る。


「誰が開けた」


 係の者は喉を鳴らした。


「説明の者が来ると聞いております」


「誰から聞いた」


 係の者は返事に詰まった。


 ゼクスが席配置表を受け取り、机の上に広げる。


 外部説明者。

 記録係。

 護衛。

 案内役。


 その下に、施療奉仕者として入った者の名があった。


 王の視線がそこで止まる。


「説明者を迎える部屋に、なぜ施療奉仕者の名がある」


 ゼクスが配置表を見たまま答える。


「治療区画へ向かう者なら、応接側の配置には入りません」


 そこへ、兵に連れられたカイリアが来た。


 両手は拘束されたままだ。

 カイリアは応接側控え室の中を見た瞬間、足を止めた。


 視線が、外部説明者用の席ではなく、端に用意された施療奉仕者の席へ向かう。


 王はその反応を見た。


「その席に見覚えがあるのか」


 カイリアはすぐには答えなかった。

 唇を噛み、視線を逸らそうとする。


 王が続ける。


「封印具の古い誓約を話した聖会の者か」


 カイリアの肩が小さく震えた。


「……はい」


 王は席を見る。


「その者は、何かを持っていたか」


 カイリアは目を伏せた。


「……小さな封具を、持っていました」


「封具だと」


 カイリアは頷く。


「仕掛けた金具の光に似ていました。薄青く光って……何度も触れていました」


 カイリアの言葉は、見たままの証言だった。

 封具の仕組みを説明しているわけではない。


 私は施療奉仕者の席を見た。


 椅子全体ではない。

 肘掛けの端と、裏口側の扉の取っ手。


 そこに、ごく薄い光の名残がある。


 王宮の灯りではない。

 開錠の記録に残る光とも違う。


 薄く、奥に沈むような光だった。


 カイリアが語った封具の光に近い。


 だが、光は部屋のあちこちに残っているわけではなかった。


 私は応接側控え室を見回した。


 外部説明者用の席。

 記録用の小卓。

 護衛が立つ入口側。

 案内役の控え場所。


 そこには何も浮かばない。


 薄い光の名残があるのは、二か所だけだった。


 施療奉仕者の席の肘掛け。

 そして、裏口側の扉の取っ手。


 私は指先を持ち上げた。


「触れないでください」


 兵が足を止める。


「これは、残っている光を強める術ではありません」


 私は応接側控え室の灯りを見た。


「周りの光を抑えて、消えかけている痕跡だけを拾います。強く探れば、痕跡そのものが散ります」


 室内の灯りが、ほんのわずかに弱まった。


 壁の飾り金具。

 机の縁。

 床に落ちる灯り。


 それぞれの反射が、少しずつ静まっていく。


 すぐには何も出ない。


 係の者が息を止める。

 マイゼルの指が袖口で止まった。


 私は肘掛けの端を見続けた。


 焦れば、光は周囲の灯りに紛れる。

 急げば、痕跡そのものが散ってしまう。


 薄青い光は、そこにある。

 けれど、王宮の灯りの中では見えない。


 私は指先を動かさず、呼吸を整えた。


 誰も動かないまま、数分が過ぎた。

 ようやく、肘掛けの端に、ごく薄い光が浮かび上がる。


 続いて、裏口側の扉の取っ手にも、同じ薄青い光が現れた。


 強い光ではない。

 部屋の灯りを抑え、目を離さず拾い上げて、ようやく見えるほどの名残だった。


 王の視線が、肘掛けから扉の取っ手へ移る。


「二か所だけか」


「はい」


 私は、そこで息を吐いた。


「見えるのは、この二か所だけです」


 私はカイリアへ視線を向けた。


「この光ですか」


 カイリアはすぐには答えられない。

 喉が小さく動く。


 やがて、施療奉仕者の席から目を離さないまま頷いた。


「……同じです。聖会の者が何度も触っていた封具の光と、同じでした」


 その一言で、室内の空気が変わった。


 王が肘掛けを見る。


「席に触れた」


「はい。ただ、座っていた跡ではありません」


 私は肘掛けの端を見た。


「ここに手をかけ、すぐに離れています」


 次に、裏口側の扉を見る。


「その後で、裏口側の扉に触れている」


 ゼクスが配置表から顔を上げた。


「治療区画へ向かう動きではありませんね」


 私は頷いた。


「見えるのは、ここまでです。けれど、応接側に留まった動きでもありません。裏へ移っています」


 マイゼルが口を開く。


「そんなものが、証拠になるはずが……」


 私はマイゼルへ向き直った。


「紙の記録だけなら、そう言えたでしょう」


 裏口側の取っ手に残る薄青い光を見る。


「ですが、これは紙ではありません。応接側へ入れられた聖会の者が、自分の手で残した痕跡です」


 マイゼルの言葉が止まった。


「控えの順番は、後から整えられます。名目も、施療奉仕と書けます」


 私は肘掛けに浮かぶ薄青い光を見た。


「でも、封具が残した薄青い痕跡までは、消せなかった」


 王がカイリアを見る。


「封印具の話をした者の名は」


 カイリアは施療奉仕者として入った者の名を見た。

 唇が震える。


「……聖会のラードムです」


 その名が出た瞬間、マイゼルの肩が動いた。

 さらに、視線が席配置表へ落ちる。


 王はそれを見ていた。


「今、反応したな」


 マイゼルはすぐに顔を上げた。


「……聞き覚えのある名だっただけです」


「どこで聞いた」


 マイゼルは答えない。


 王は席配置表を示した。


「施療奉仕者の名にも、ラードムがある。カイリアが名を出した瞬間、マイゼルはそこを見た」


 マイゼルの喉が動いた。


「私は、申請された名を処理しただけです」


 私は言った。


「知らない名なら、そこを見る必要はありません」


 マイゼルの顔色が変わる。


「名前は出ました。席も用意されていました。そして、封具の痕跡まで残っている」


 私はマイゼルを見た。


「手続きで説明できるのは、紙の上だけです」


 マイゼルは、席配置表から目を逸らした。

 だが、そこにラードムの名があることは、もう全員が見ている。

 肘掛けと扉の取っ手に浮かんだ薄青い光も、まだそこに残っていた。


 王がマイゼルを見る。


「ラードムを応接側へ回したのは誰だ」


 マイゼルは口を開いた。

 だが、声は出なかった。


 王は一歩も動かない。


「ここで答えろ」


 マイゼルの指が、袖口を強く握る。


「答えられないなら、ラードムを応接側へ回した責任者として扱う」


 その言葉で、マイゼルの顔から余裕が消えた。


 ゼクスが席配置表をもう一度確認した。


 施療奉仕者の割当は、外部説明者の正面にはない。

 応接中に控える位置でもない。

 護衛の目が集まる入口側からも外れている。


 席は、応接室へ入る正面の導線から外れ、裏側の通路へ出やすい場所に置かれていた。


 ゼクスが言う。


「この位置では、説明者の体調を見るための席にはなりません」


 王が問う。


「では、何のためだ」


 私は裏側の通路を見た。


「裏の待機室へ回すためです」


 王の目が細くなる。


「説明者が応接室へ入る前に、そこで会わせるのか」


「はい」


 ゼクスが案内順の控えを見る。


「施療奉仕者の名が応接側に入っていた理由は、それですね」


 王の声が硬くなった。


「説明を受ける前に、答えを揃えるつもりだったか」


 近侍が戻ってくる。


「ラードムは、治療区画におりません」


 王が問う。


「応接側は」


「少なくとも、この控え室にはおりません」


 私は裏口側の扉を見る。


「説明者はまだ来ていません。席に着く段階ではありません」


 王がこちらを見る。


「では、どこへ行った」


 裏口側の取っ手には、薄青い残光がまだ残っている。

 完全には薄れていない。


「光が見えるのは、この取っ手までです」


 私は裏口側の扉を見た。


「ですが、この扉を使ったことは分かります」


 ゼクスが案内順の控えを確認した。


「この先は、裏の待機室です。説明者を応接室へ入れる前に、一度通す場所です」


 王の目が細くなる。


「そこへ移ったか」


「はい。少なくとも、治療区画へ戻った動きではありません」


 カイリアが震えた。


「……ラードムは、まだ王宮の中に……」


 そこで一度、息が詰まる。


「ラードムは、先に言う言葉を決めます」


 喉が小さく鳴った。


「違う答えをした者には、同じ言葉を何度も繰り返させました。自分で考えた言葉のように言えるまで」


 王の表情が変わった。


 ラードムは、逃げるために動いているのではない。

 王の前に出る者へ、先に言葉を覚えさせるために動いている。


 私は裏口側の扉を見た。


「逃げたのではありません。会う場所を変えただけです」


 王が兵へ命じる。


「裏の待機室を押さえろ。中にいる者を一人も出すな」


 兵が走る。


 マイゼルが息を吸った。

 止めようとしたのか、言い訳を探したのかは分からない。


 だが、その前に王が続けた。


「ラードムを見つけろ。応接側から外へ出すな」


 王の命令に、マイゼルは目を閉じた。

 もう、手続きという言葉では逃げられなかった。


 廊下の奥で、兵の足音が重なった。


「急いでください」


 私は取っ手に残る薄青い光を見た。


「この残光が消える前に、扉の先を確認してください」


 王は短く命じた。


「待機室側の扉も閉じろ。誰も通すな」

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